メディアの過渡期、臨機応変な使い分けを
――普段の読書スタイルについてお聞かせください。
嶋口充輝氏: 最近、大きなガチッとした本はなかなか買わなくなって、どっちかというと乱読、素読です。講演で必要な部分だけを読むとか、雑誌も大きくてかさばるので、家で読みたいところを破って、持ち歩いています。
――電子書籍はお使いになっていますか?
嶋口充輝氏: 今のところはあまり電子書籍を使うほどの必要性がなくて、紙の本でだいたい足りているかな、と思います。やっぱり僕らは紙に慣れているところもありますし、そういった紙への愛着がなければ最初から電子書籍で十分だと思います。要するにコンテンツだけの問題で、媒体は別になんでもいいわけです。だから若い人にとっては電子書籍の方がはるかにいいでしょう。
――論文誌の編集長もされていますが、論文はかなり電子化されていますね。
嶋口充輝氏: ジャーナルはもう電子化されています。日本マーケティング学会の『マーケティングジャーナル』は、全て電子化にしました。前にいた医療科学研究所の『医療と社会』も完全に電子化しています。ただ、『マーケティングジャーナル』は、読む人が課長さん以上のような人たちで、紙に慣れがあるので、リクエストに応じてプリントしたものをお渡しするという、電子と紙の二段構えでやっています。過渡期的なツールとして、しばらくはそういうスタイルになるでしょう。
――紙と電子は併存していったほうが良いとお考えでしょうか?
嶋口充輝氏: 電子に慣れるには、やっぱり時間が少しかかりますからね。私は、コンテンツにお金を払って、それをどのぐらいの頻度で見るかということを考えると、紙媒体でも不便を感じません。それに今、紙媒体は安いです。それと、厚いガチッとしたタイプの本は飾り的な意味で必要性があるかもしれないので、臨機応変でいいんじゃないかと思います。でも、いずれ電子媒体の方になっていくとは思います。
「書かざるを得ない」がモチベーション
――文章を書くということについて、特別な想いはありますか?
嶋口充輝氏: 私は若い頃、論文や記事を頼まれた時は絶対に断りませんでした。ジャーナルは後に残るし、それをまとめれば本になるからです。後に残るということが重要で、これが文章を書くことのモチベーションになっているのです。もう1つ、私の知り合いに非常に高名なカナダの彫刻家がいて、ある時「嶋口さん、論文を書かないと大学はまずいんですか」と聞かれたので「いや、全く論文を書かなくても、大学は永久雇用だから」と答えたんです。そうしたら「じゃあなんで論文を書くんですか」と聞かれました。その時に、ちょっと考えて「締め切りがくるから、書かざるを得ないんでしょうかね」と答えたら、その人が「そう!我々芸術家も、作品を世にどんどん出している人たちは、ほとんど締め切りがある人なんです」と。流行作家などのモチベーションもそれに似ていると思います。
僕の処女作は、英語で『Marketing Channels in Japan』といって、博士論文をむこうの方で出版化したものですが、日本に帰ってきた後、自分の先生が本のシリーズの統合編集者みたいなことをやっていて、「君も何か1冊やれ」と各々に振り分けるわけです。そうすると締め切りができて、書かざるを得ないから書く。すると、それをベースに関連出版社から話があって、また締め切りができる。これが良いモチベーションになっています。例えば講演で新しいテーマについて頼まれると、資料を用意して準備しますから、それがだいぶ溜まり、他にも雑誌の特集などで記事を書いたものもたまってくる。出版社の方から、そういうものを1冊の本にしていくという話が多かったような気がします。
――本を作るときには編集者の働きかけが重要なのですね。
嶋口充輝氏: 締め切りを守らせるために鬼の催促をしてくれる編集者は、やっぱりいいです。締め切りを明確にして催促しないと、7割がたはズルズル締め切りが延びてしまう。1回区切っておかないといつまでたってもできない。締め切りは、もっと書きたいことがあっても、一応そこまでのところでまとめます。これだけ本が氾濫して出ている中で、それなりに出し続けるためには、締め切りは重要な役割をはたしているのだと思います。
びしっと「古典」ができる学者に
――今後の活動の展望をお聞かせください。
嶋口充輝氏: 今まで通り、言われるままにやってくというのが一番いいのかなと思います。我々は研究を生涯やりつづけ、頼まれれば講演もします。僕たちの世界は、落語の世界に似ていて、落語には古典落語と新作落語がありますが、若い人たちは新作落語をやればいいんです。同様に僕たちの世界でも、若い人たちは新しい情報をどんどん取り込んで、時代に合ったコンテンツを出していけばいい。しかし僕らはそんなことはできない。情報は一応追っているからフォローはできますが、自ら新作落語をしたら、滑稽な感じになってしまうかもしれません。原理原則をびしっと明らかにして、しっかり伝えていくという役割です。情報が氾濫してくると、色々なものは出てくるけれど、重要なことは結局、「原則」なのです。理論といってもいいかもしれません。基礎的なことをやるにあたって、もう1回古典のようなものをちゃんと読んでみたいです。
――チャレンジしてみたいことなどはありますか?
嶋口充輝氏: 今まではあまり関心がなかったのですが、もう1回経済学と、生物学の中の生態学のようなもの、エコロジーや科学哲学といったものをしっかりやってみたいと思っています。科学方法論は大学院の時に博士課程で教えていて、仲間たちが集まって、せっかく授業でやっていたのに何もしないのはもったいないから、ということでマーケティング科学方法論の本を書いたのですが、非常に難しい本になってしまいました。僕はもともと経済学部からマーケティングをやっていますから、やっぱり経済学の論理性や、物事の考え方というような基本的なところが活かされているので、そこをもう一度しっかりやってみたいです。そこに、動態的な均衡というものを目指す生態学のような考え方がうまく入ってきたらいいな、という気持ちがあります。でも、締め切りがないから、どうなるかは分かりません(笑)。
(聞き手:沖中幸太郎)
著書一覧『 嶋口充輝 』