未来は常に不確定なもの、決断する力が道を拓く
1982年東京大学法学部を卒業し、富士銀行入社。84年厚生省保険局企画課に出向。86年富士銀行退社、フルブライト奨学研究生としてハーバード大学行政大学院へ留学し、92年シカゴ大学経営大学院にてPh.D.取得後、94年に慶應義塾大学総合政策学部助教授(2001年から教授)。著書には、『すぐれた意思決定』、『すぐれた組織の意思決定』『すぐれたゴルフの意思決定』などがあります。医療政策と意思決定という2つの専門分野を持つ印南一路氏に、これまでの経歴や人生や本に対する考え方について、伺いました。
医療政策と意思決定、二つの専門分野で
――普段のお仕事に関しまして、近況をお聞かせください。
印南一路氏: 僕は医療政策と意思決定という2つの専門分野を持っています。1982年、大学卒業後に銀行へ勤めたのですが、2年後に厚生省の保険局企画課に出向したんです。そこで医療保険、医療政策と出会って、その段階で金融よりも医療政策に興味を持つようになりました。それで一旦銀行に戻りましたが、すぐに辞めてしまったんです。お金はありませんでしたが、フルブライトの奨学金(日米の相互理解に貢献できるリーダーを養成することを目的とした一般公募の奨学金制度)がもらえたんです。それでハーバード大学の大学院に留学し、医療政策を学びました。
その時期から研究者になろうと思い始め、数量志向で有名なシカゴ大学ビジネススクールに行くことにしました。そこは医療政策、医療管理の世界最高のプログラムを持っているということで有名だったんですが、僕が入学して1年で、医療だけが特別扱いされることがスクール内で問題になり、先生がみんないなくなってしまったんです。それで分野を変えざるを得なくなって、意思決定論を選択しました。今は、行動経済学という呼び名になっています。
――日本に戻ってきたのはいつ頃だったのでしょうか?
印南一路氏: シカゴ大学で交渉論を教えた後、94年に日本へ戻ってきて、慶應義塾大学の総合政策学部の助教授になりました。総合政策学部は割りと自由がきいたので、医療政策と意思決定の2本立てのままずっときました。医療の方も地道に研究してきましたが、97年に意思決定の分野で本を書いて、その本が結構売れたんです。それ以来、約2年おきに組織の意思決定や交渉の本を書いていて、直近で言うと、去年は『すぐれたゴルフの意思決定』を書きました。意思決定の分野は個別研究をするよりも本を書く方が主になっています。意思決定の知見は様々な分野に分散していて、まとまっていません。実社会に役立つように、それをまとめて提供するのが僕の役目かなと思っています。
医療政策の方は数字を扱った研究を中心にしていて、医療の現場にあまり行かなかったんです。そういった研究のやり方を自分自身で反省し、もう少し医療の現場に行って社会的な研究をしようと取り組んだところ、『「社会的入院」の研究―高齢者医療最大の病理にいかに対処すべきか』で日経・経済図書文化賞をいただくことができました。
背水の陣で、一生懸命やるのがいい
――これまで、人生の節目でどんな意思決定をしてきたのでしょうか。
印南一路氏: 僕は絵の天才少年でした。自然が好きで、画家になろうと思っていたんです。ところが、早熟なのか先を考える癖があって、小学校4年の時点で行き詰まってしまいました。賞はたくさんとりましたが、基礎がなかった気もしますし、芸大への関心もありませんでした。好きな画家を見ると、不遇な人生を送っている人が多いじゃないですか。そういう部分も考え、画家の道へ進むことは、自分からやめてしまいました。
小学校の頃、成績は真ん中ぐらいで、勉強に目覚めたのは中学1年からです。高校3年まではずっと理系でした。
――大学は東京大学の法学部ですが、どういった理由で選ばれたのですか?
印南一路氏: 父親がエンジニアで、その姿を見ながら「エンジニアって損をするな」と思っていたんです。自分がやりたいものがよくわからないまま、一番つぶしのきくところを志望しようと文Ⅰに行き、裁判官になりたいと考えていました。
もちろん予備校にも通って一生懸命勉強しましたが、4年の時に受けた司法試験に落ちてしまって、糸が切れた風船のような状態になりました。当時、司法試験は今よりはるかに難しくて、合格率も1パーセントをきっていました。それで、キッパリとあきらめて銀行に就職したんです。でも銀行に就職してから、自分は勉強が好きだということに気が付いたんです。自分でも驚きましたし、大きく反省もしました。それまでの自分の生き方は、やりたいことがあってそれなりに努力をしても、すぐに成功しないと諦めていました。画家も諦めたし、文系に転向したのもそうだし、裁判官の道も自分で切ってしまった。その選択の仕方は、間違っていたんじゃないかと。その考えでいくと、一番以外は全部ダメなんですから、成功する人なんてほとんどいなくなりますよね。熱意はあっても、自分にかける姿勢がなかったと反省しました。だからこそ次はすぐに諦めず、なんとかやり通そうと思い、銀行を辞めて留学したんです。
――意思決定をするのが早いように感じます。
印南一路氏: 背水の陣で望むことが重要です。例えば留学しようと思った時も、既にフルブライトもとってハーバードに向かったので、話をすれば当然銀行はお金を出すと言うと思います。帰ってきますと約束をしてお金を出してもらい、実際に帰るかどうかはその時決める方が多いと思います。でも、そういうやり方は自分には合いませんから、僕は「辞めるし、帰ってきません」と話しました。
その後、後輩からたくさん相談を受けたんです。そういう風にやった人もいるし、やらなかった人もいる。その後、金融は業界全体が特に酷い目にあいましたから、留学しなかった人はやっぱり後悔しています。留学していた人は、外資系に転職したりして、高給取りのまま推移している人もいる。その時に役員入りは確実だと言われて本来業務をやっていた人は、合併につぐ合併で、個人的には凄く優秀なのに組織に埋もれてしまっているということもあります。
私の意思決定論の中では使わない言葉ですが、重要なのは決断力だと思います。教える時には充分リスクを考えて意思決定しろと言いますが、実際には計算しようと思ってもできない。意思決定は、数式で解いてなんとかする世界じゃなく、凄くあいまい。実際にそこで決断したからといって自動的に成功する訳じゃないけれど、決断すると、自分自身が戻ることができないので、一生懸命やらざるを得ない。それがプラスの影響を与える訳です。僕の場合、大きかったのは、決断したことによって周りが助けてくれたことです。だから、「ひたむきに一生懸命やれば、誰かが助けてくれるよ」と、僕は学生に言うんです。助けを期待して行動したり戦略的に動いたりすると、「ああそう、頑張ってね」でおしまいになってしまいます。だから一生懸命やるのがいいんです。