資源の濃縮、情報の濃縮
――その読書経験が今のお仕事に影響を与えていると思いますか?
柴田明夫氏: その頃から、読んで気に入ったところや、後で資料作製や執筆の際に使えそうなところを読書ノートに書き留めておくことにしました。そのノートが今は45冊くらいあって、内容的には、8000冊近い情報が蓄えられています。例えば原油をテーマに寄稿文を書く場合、読書ノートを引っ張り出して、関連する本の情報に一気に目を通す。そうすることで、重要なキイワードや歴史を再確認し、新たな分析手法や切り口を発見することができる。そういった意味では貴重な資料だと思っています。
私はよく「資源は濃縮だ」と言っているんですが、これらのノートもある意味、情報の濃縮なのです。本を読んで、ノートに濃縮するといった方法で、自分の中へ取り入れていく。石炭にしろエネルギー石油にしろ、偶然にその場所に濃縮されたものなので、そういう意味では同じような気がしています。また、頭の整理という意味では、大学で教えることも有効です。人に理解してもらうために創意工夫することも、重要だなと思っています。
――丸紅に入社されようと思ったきっかけは、どういったものでしたか?
柴田明夫氏: ある意味、偶然でもありました。当時は昭和51年でオイルショックの時代だったので、採用数が減っていました。就職活動では友人と農林中金か商社か、という話になり、2人で会社訪問しようということになったのです。まず住友商事に行こうと、東西線の竹橋で降りたら、目の前に丸紅がありました。そこで丸紅を受けようということになったのです。幸い、農林中金も丸紅も両方内定をいただいたので、友人は農林中金、私は丸紅を選んだのです。今考えると丸紅に入社して非常に良かったと思います。どの商社にも経済研究所がありますが、それぞれスタンスが違います。内部指向で、経営企画的な研究所もありますし、著名な個人が大きな権限を持っている研究所もあれば、地方の自治体に対して強い研究所もある。丸紅の場合は、比較的に個々の研究員には自由な活動を認めてくれたことが、良かったと思います。
――本を出す、ということはいつ頃から考え始めましたか?
柴田明夫氏: 90年代には色々と原稿依頼などは来ていたので、書き溜めていくうちに次第に本を出すことを考え始めました。当時も、湾岸危機やアジア通貨危機など新たな研究テーマとなる問題が次々に起こり、原稿依頼があれば引き受けていましたが、その際、自分にとって無理難題だなと思われるテーマなどにも積極的に取り組みました。当時は、日経産業新聞に「本の紹介」欄があって5年間ほど、月に2回、400字位で新書の紹介をしていました。初めにまず、私の方から候補となる本を6冊選び担当の新聞記者に知らせて、その中から2冊選んでもらい書評を書く。でも、その2冊を改めて読んでみると、内容が薄く紹介分を書くのに一晩中かかったこともありました。本全体を紹介しようとすると味気のない解説文になってします。私のほかにも書評を依頼されている人がいましたので、内容によっては、ほかの人の書評が載ったりして、悔しい思いをしたこともあります。
――そこで鍛えられた、という感じでしょうか。
柴田明夫氏: そうですね。書評は全体を紹介する必要はなく、本の中の「あっ」と思う一言二言や、こんな切り口がある、ということを具体的に採りあげる。また、著者はどういう人なのかということも必ず書きますし、本のなかで著者が何を主張しているのか、それに対して自分の考え方も加えます。それらを織り交ぜればすぐに400字になります。そういった意味ではかなり苦労したので、文章を書く上ではその5年間で、ずいぶん鍛えられたと思います。
研究をしてきたのは、本を書くための準備だったのかもしれない
――研究を積み重ねて、それを一般の読者に伝えるようになった執筆のきっかけはどういったものだったのでしょうか?
柴田明夫氏: 本を書きたいという思いは漠然と抱いていましたが、2006年の頃に日経から話を持ちかけられ、執筆を始めました。私もそろそろ定年という着地点も見えていたので、それまでに自分が研究してきたことを、まとめておこうと考えたのです。それまで研究などをやってきたのは、本を書くための準備だったのかなという感じもしていました。
――初めての執筆はどのような感じでしたか?
柴田明夫氏: 初めての執筆ということもあり、自分のやり方で良いのかどうかも分からなかったのですが、幸い担当してくれたのが、細谷さんという優れた編集者だったのです。出版できたのは、やっぱり良い編集者ありき、というところもあると思います。
著書一覧『 柴田明夫 』