「豊かな生活」が描ければ、技術革新は未来を明るくする
池尾恭一さんは、マーケティングを専門とする経営学者。消費者行動、市場戦略について、日本の企業社会の特質を踏まえて分析し、ビジネススクールでの指導、学術研究を展開されています。論文や教科書、一般向けの書籍を多く執筆される池尾さんに、研究における電子書籍の利用、音楽や映画などのコンテンツ受容の仕方の変化を手がかりに、書籍の形、出版社のあり方などの未来展望を語っていただきました。
日本のビジネススクール発祥の地で指導
――ビジネススクールでの活動についてお聞かせください。
池尾恭一氏: 学部がない、いわゆる独立大学院で、経営管理研究科の修士課程と博士課程を担当しております。うちの学生は8割ぐらいは実務経験のある人で、年齢は30歳くらいの人が多いです。企業から派遣されて来る方がだいたい3割、新卒の学生が2割ぐらい。残りが企業をスピンアウトして来るといった形です。大学院ではありますが、アカデミックスクールではなくてプロフェッショナルスクール、すなわちプロのマネージャー、経営者を養成するところです。一方、博士課程はアカデミックスクールで、学者を養成する場所です。ただ、修士課程との関係もあって、ビジネススクールで教える学者を養成することに若干ウエイトをおいています。また、学外でも企業向けの研修をやらせていただいて、ビジネススクールのMBAプログラムより上の40歳、50歳ぐらいの方を相手にしたプログラムを多くやっています。
――慶應のビジネススクールには長い歴史がありますね。
池尾恭一氏: 慶應のビジネススクールは、日本で最初のビジネススクールなのです。去年、慶應ビジネススクールは創立50周年を迎えました。歴史を調べると、1956年に米国のハーバードビジネススクールがフィリピンでアジアでは最初のAMP(Advanced Management Program)を開催しましたが、そこから教授陣が帰国する際、慶應に来てくれました。日本には外貨がなかったので、世界的な石油会社のスタンダード・バキューム石油がお金を出してくれて、そこで開かれたのが、慶應ビジネススクールの母胎となったプログラムで、高等経営学講座、通称トップセミナーというものでした。その後、1962年に組織としての慶應ビジネススクールがスタートしました。今でも毎年夏に、大阪の帝国ホテルにハーバードの先生も呼んでやっています。私もハーバードに行っていましたし、ハーバードのビジネススクールと慶應は、非常に関係が深いのです。ハーバードと同じようにケーススタディーを非常に重視しているのも、そういった歴史的ないきさつがあるからです。
本を持っていないと、手持ちぶさた
――中学から慶應に通われていたとお聞きしましたが、幼少期はどのようなお子さんでしたか?
池尾恭一氏: 私は神奈川県の葉山というところに生まれました。だから、「ご出身は東京ですか?」と聞かれると、プライドを持って「違います」と言うんです(笑)。中学校から慶應で、小学校の時には唯一プレッシャーのかかった勉強をしていたと思います。中学、高校では野球をやっていまして、高校の時、1番バッターで神奈川県ベスト4までいったこともあるんですよ。
――読書はお好きでしたか?
池尾恭一氏: 子供の頃からも、本を読むことは好きでした。中学校に入ってしまうと、一貫校で受験戦争とは無縁だったので、わりと勝手に、好きな本を好きなように読んでいました。大学の教師になると、本を読むのは商売ですが、それ以前から活字中毒的なところがありました。電車に乗ると、難しい本でも週刊誌でもいいんですが、何か読むものがないと手持ちぶさたになります。今はiPadやスマートフォンがあるので、かなりの数の本が入りますし、九州まで新幹線で行っても、アメリカまで飛行機で行っても、飽きることが無いのでうれしいです。
――今は海外に行かれることは多いですか?
池尾恭一氏: 年に3、4回は行きます。11月にはアメリカに行きますが、それ以外はアジアが多いです。私はマーケティングについて日本で最も歴史がありまた多くの学者が参加している、日本商業学会の会長をやらせていただいています。今日本の商業学会と韓国のマーケティングの学会と中国のマーケティングの学会で、一緒に大会をやろうじゃないかという話が進んでおりまして、その打ち合わせもかねて、それぞれの会長を招待し合っています。去年は私が韓国、中国に行って、今年は韓国と中国の方に来ていただきました。あとはケーススタディーの取材で台湾や中国に行ったりもします。ビジネス、学会、研究、教育と、アジアの重要性はどんどん高まってきていいますので、アジアに行く機会が非常に増えてきております。
著書一覧『 池尾恭一 』