志村一隆

Profile

1968年、東京生まれ。1991年早稲田大学卒業、WOWOW入社。2001年ケータイWOWOW設立、代表取締役就任。2007年より情報通信総合研究所で、放送、インターネットの海外動向の研究に従事。2000年エモリー大学でMBA、2005年高知工科大学で博士号。著書に、『明日のメディア-3年後のテレビ、SNS、広告、クラウドの地平線』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『明日のテレビ-チャンネルが消える日』(朝日新聞出版)、『ネットテレビの衝撃-20XX年のコンテンツビジネス』(東洋経済新報社)などがある。また水墨画家としても、海外で高い評価を受けている。

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次のステップへ進むため、研究の道へ


――98年にアトランタへ行かれていますが、研究の道へ進まれたきっかけはなんだったのでしょうか?


志村一隆氏: 20代を営業マンとして過ごして、とても自由にさせてもらい、上司に叱られてストレスを感じるような経験が一切なかったんです。このままじゃ自分はダメになるなと思いました。今でこそ有名なWOWOWも、当時は「早稲田を出てなんでこんなところに入ってんの?」と言われるような、全く知名度のない会社で、これはもう転職しようと思ったんです。でも営業のまま転職してもランクダウンするんじゃないかと思い、大学院へ行くことにしました。慶応のMBAへ行く予定でしたが、入学金などを一応全部払って、「もう会社を辞めます」と言いに行ったら慰留されて、「留学制度を作ってやるから」と言われました。しかも「日本の学校に行ってもしょうがない。どうせ行くなら海外へ行くべきじゃないの」と、松下から来た佐久間さんという社長から直接言われて、「じゃあ海外の方が難しそうだから、チャレンジしてみようかな」と決めました。

――アメリカでの経験についてお聞かせ下さい。


志村一隆氏: アメリカでの経験というのがいわゆる研究生活のスタートでした。へそ曲がりだったので、都会の有名大学に行くのは嫌で、日本人のいない緑だけの田舎に行きたかったんです。それでアトランタにある小さな学校を選んで、行きました。アトランタに行ったら日本人はもちろんいなくて、南部だったので、黒人とヒスパニックの人ばかりでした。向こうの生活を最初は舐めていて(笑)、はじめの1ヶ月は全く勉強しなかったんです。ある日テストがあって、点数が悪く、「君、このままじゃ学校は成績落第だ。ちょっとは頑張りなさい」と言われたんです。また、成績が悪いと誰も喋ってくれなくなるんです。グループワークといって、授業は5人ほどで勝手に自主的にグループを作ってレポートを発表するんですが、あんまり勉強していない雰囲気を出すと、そのビジネススクールでは本当に落伍者のように見られるんです。

――その状況からどうやって抜け出したのですか?


志村一隆氏: 「こいつとグループを組んでも何のメリットもない」と、誰からも相手にされなくなりつつあったので、「これはやばい」と急に勉強し始めたんです。授業は8時半から1時頃までなんですが、放課後、図書館にずっと籠もって、朝の3時までやっていました。

――あえて苦行や逆境を選んでいく、その原動力はなんですか?


志村一隆氏: 「今までしたことのない経験をしたい」という、好奇心だと思います。せっかく生きてるんだから、野球も音楽もしたい。だから旅行でロシアに行った時も、その町の中に日本人が1人だけという感覚と、その環境に快感を覚えたんです(笑)。とにかく新しいもの、見たことがないものに進んでいってしまう性なんです。

――志村さんの生き様、こだわりや使命などはあるのでしょうか?


志村一隆氏: 「自由」や「解放」といったものです。生活するための手段として、組織や日本社会に属したりすることはよくありますが、そのツールが目的になってしまうのは、考え方によっては洗脳されているということと一緒だと思うんです。それで、洗脳された人が書いたりする情報とは、要は予定調和な情報のようなものばかりで判断しないといけない。それからの「解放」なんです。また、実際に体当たりのインタビューでしか得ることのできない生の新鮮な情報、そこでしか知ることができない情報を持ってきて、紹介するのが自分の使命だと思っています。

肩書きではなく、名前で勝負したい


――本を書くきっかけはなんだったのでしょうか。


志村一隆氏: 本は、昔から書きたかったんです。研究所に移った時の1つの目標は本を出すということでした。もう一つは、肩書きが付かず、名前だけで勝負できる場所を探して研究所に来ました。勝負の1つのゴールというか表現方法が「本」という感じだったんです。

――電子書籍のメリット、可能性について、何か感じるところはありますか?


志村一隆氏: 電子書籍はまさに出版社の垢抜きだと思います。本当は作家側に付いて電子書籍が儲かるんだったらプロデュースしてどんどん出した方がいいわけじゃないですか。でも、どうしても日本は、土地にしろ、電波にしろ、紙にしろ、要は低いレイヤーにまで投資してきてそこに紐づいて生活している人ばっかりだから、電子書籍をそのレイヤーとして捉えちゃっているんです。それでみんな大反対して、つまんないものにどんどん変えていっちゃうわけです。でも本当は、作り手のクリエイターにしたらとてもいい話のはずなんです。
作家さんにしても絵などを作るアーティストにしても、結局、「自分は自分の作品をどうやって広めるか」とか、「もっと伝えたい」とか、そういったところに全くコミットしてないなと思います。ある意味システム的にはうまく回っているのだと思うのですが、売る努力やどう届けるかということを消して、作品制作だけに没頭しているわけです。

――クリエイターはどうあるべきだと思われますか?

志村一隆氏

志村一隆氏: さらに一歩進んで、自分の作品をもっと売るにはどうしたらいいかと、客はどこにいるのかとかいう考えをクリエイター自身が持たなきゃいけないと思うんです。例えば本なら、電子書籍というデジタル媒体を使えば楽に解決するわけです。クリエイターは社会のカナリヤだから最先端を知らなきゃいけないのに、テクノロジーやデジタルの話をした瞬間に「いや、私は結構です」と言う人がいます。本当はテクノロジーやデジタルを勉強して取り入れ、作品に昇華してもいいし、いわゆるベンチャー企業みたいなものをアーティストがやらなきゃいけないと思います。そういった新しいテクノロジーやデジタルで届ける方法などを考えなければいけない、そう考えています。

――今後の展望をお聞かせください。


志村一隆氏: 今、「Code for Japan」というのがあるんです。「Code for America」というのがもともとのメインなのですが、要はこれから情報がどんどんオープンになりますということです。「オープンデータ」というのがあり、色々な国が自分たちの政府の情報をどんどんネットに出す。そうすると、そのデータを使ってベンチャー企業が「今日はあそこで火事がありました」とか、「犯罪が多い地域はここです」とマップなどにして出しているのはよく見ますよね。そういった感じで、「Code for America」をやっている人が「これから、政治よりも行政の方が自分たちに身近で大事だから、まずは行政を変えた方がいいんじゃないか」とビデオなどで演説していたんです。考えてみたら、区役所に行くと、主婦の方たちは、余暇時間と営業時間が合っていて、システマチックでいいと思うのですが、嫌だという人もいっぱいいるじゃないですか。だから、区役所に行ってすることを、ネットを使って自由にできた方が生活は豊かになるし、住みやすくなるんじゃないかという思いがあります。それで調べていたら「Code for Japan」というのができていて、そういった活動を始めていたんです。
必然的にこの世の中の社会の仕組みとか、国家の仕組みや考え方が変わると思うんです。それがどういう風になるのか、行政がどう変わるかというのを追及し、本などに書くだけじゃなくて実際に関わって、行動していきたいと考えています。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 志村一隆

この著者のタグ: 『クリエイター』 『チャレンジ』 『考え方』 『働き方』 『原動力』 『テレビ』 『テクノロジー』 『技術』 『美術』 『就活』

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