自分の心の声を聞くこと
――理念や、行動指針とはどのようなところにありますか?
原田勉氏: まずは自分の心の声を聴くということです。陽明学では、それを「致良知」といいます。心で感じる直観を「良知」といいますが、それを極めること、良知を致(いた)すというのが致良知です。だから、気持ちはイヤなんだけれど、これをやらなかったら逃げているなという経験は誰にでもあるじゃないですか。スポーツ選手で、日々の練習が好きな人はあまりおらず、できれば口実を見つけてでもさぼりたいと思っている人が大半だと思います。でも、「今日から練習に出てこなくていいよ」と言われれば、それはちょっと違うと感じるでしょう。心の声では、練習は嫌で仕方がないけれども、それでも練習し続ける自分を望んでいるし、それが楽しいのです。だから心の本音部分で、面白いと思えるかどうかだと思います。スタンフォードにいるとき、研究のアイデアがなかなか出てこず、ある先生に愚痴をこぼしたことがありました。そのとき、「It’s like a hell, but it’s also fun」(確かに苦しいだろうけども、それこそが面白いんじゃないか)と言われたことが今でも心に残っています。これが一番重要な行動指針だと思います。
理念については、人や書物を通じた出会いがそれをつくっていくと思います。ただ、学者についていえば、専門分野の本しか読まないというのは、やっぱりよくないと思っているんです。専門のことばかりやってしまうと、発想が生まれないんです。私が座右の銘にしている本は経営学とは全く関係がありません。しかし、私はその本を常に念頭に置いています。それは、アルバート・ハーシュマンの『Development Projects Observed』です。あれは本当に素晴らしい本です。
――その本との出会いは、どういったものだったんでしょうか?
原田勉氏: 一橋の大学院のゼミで輪読したのがきっかけです。読み出すと非常に面白くて、はまってしまったんです。ハーシュマンは経済開発に関心がある人なんですが、彼が言っているのは、「開発プロジェクトが上手くいく場合と上手くいかない場合にはどういった差があるのかといえば、パフォーマンスが悪化した時に、それを是正するようなプレッシャーメカニズムがちゃんと働いているかどうかというのが非常に重要で、途上国などそれが働いていないところは腐敗していく」ということなんです。そのプレッシャーメカニズムとして彼があげているのは、Exit, Voiceに代表されるものです。Exit(退出)というのは市場で顧客が退出すること。つまりパフォーマンスに飽きられたらお客さんが離れていくから、一生懸命頑張る。Voice(発言)というのは、ここを改善してほしいという不満を表明してくれるということなんです。これら以外にもいくつかのプレッシャーメカニズムがこの本には記述されています。このようにプレッシャーメカニズムが適切に働かないと、プロジェクトというのは上手くいかないといった話。その着眼点が非常に面白いなと思いました。そのプレッシャーメカニズムをもっと一般的なかたちでモデル化して制度分析をやろうとしているのが、今の私の研究です。ですからハーシュマンには非常に影響を受けたと思います。
――座右の銘となる本は、他にもありますか?
原田勉氏: それほど数は多くなくて、ハーシュマンの本と、私の師匠のローゼンバーグの論文ですね。あとは原理主義的なオーストラリア学派でラッハマンという非常に異端視されている経済学者がいます。今の主流派経済学をやっている人は全く知らないし、読んだこともないと思うんですが、彼の書いた『Capital and its Structure』という本には非常に影響を受けました。「資本というものを同質的な量として見るのではなくて、異質な資本が補完的に組み合わさっているというのが経済。その組み合わせが上手くいかなかったら解体される。このようにgrouping(グループ化)とregrouping(再グループ化)を繰り返しているというのが経済プロセスなので、当然ボトルネックになる部分も出てくる。だから経済政策などをやる時にそういうボトルネックをきちんと考えずに一律的にやっても上手くいかない」というのがこの本でのラッハマンの考え方です。この考え方は今の研究で非常に参考にさせてもらっています。ただし、その後のラッハマンの本は、あまりにも原理主義的な方向に進んでいて、そこでのかれの主張には全面的に同意することはできません。しかし、かれの若い頃に書いたこの本は私にとってはとても大切な本です
――日本語で本を執筆されるきっかけはどのようなことだったのでしょうか?
原田勉氏: いままで出した本は、企業研修や学部で教えたりする時のテキストを自分で用意しようと考えたのがきっかけでした。でも、来年に出る予定の本については、自分の研究者としてのキャリアを考えた時に、経済学者ということで考えたら今のままでもいいけれど、経営学者として考えると、やはり閉じた世界にいるなと思ったんです。海外の学者向けに仕事の成果を発表していくというプロセスなので、一般の人には私が一体何をやっているか見えないんです。私はMBAのゼミなども持っているんですが、「先生は何をやっているんですか?」と聞かれることがあります。その時、その説明をするにあたって本が1冊あれば楽かなという考えもあります。経営学は実学だから、そういった情報発信をすることも大事なことだと思います。うちの大学のMBAの入学願書にも、「~先生の本を読んで感動して受験しました」という記述が多く見られますし、学内的にもそろそろそういった役割を担う歳になってきた、という自覚もあります。ようやく今、自分の研究の足場が固まった段階なので、それを一般読者にも分かりやすく理解できるようにまとめているところです。
シンプルで分かりやすいこと
――執筆においてのこだわりや、理念はございますか?
原田勉氏: あまり専門用語は使わないようにしています。教科書を書く場合と論文を書く場合とではまた違います。来年に出す本に関しては、新しい言葉を極力作ったりはせずに、今研究している成果を、一般の人にできるだけ分かりやすく表現したいと思っています。もちろん学術論文を書く場合も分かりやすくしなければダメです。「良い理論とは、日常会話で理解できるような、シンプルなものである」と指導教官から教わりました。それに加えて、私が米国留学1年目から実践していることは、自分の腹の底に落として理解するということです。私は経済学のバックグラウンドなしにスタンフォードに行きましたから、数式ばかり出てくる授業が最初は全然理解できなくて、1年目は本当に大変でした。そういった時に、日経新聞の「私の履歴書」が目に留まりました。藤沢秀行という囲碁棋士の方がそこで書かれていたのが、「勝ち負けではなく、自分の碁に対する理解をいかに深められるか、芸を極められるかが大事なんだ」ということでした。当時は、宿題が毎日膨大にあり、その宿題が点数として評価されていたので、その結果に一喜一憂するという状況でした。しかし、その言葉をきっかけに、点数云々ではなく、宿題を通じてどれだけ自分の理解が進んだのかを重視するようになりました。また、経済学の理論を聞いて分かったふりをするのではなく、数式をやさしい言葉で言い換えたりして、本当に腹の底から納得できるまで考え抜くような勉強の仕方に変えました。そして、どうしてもわからないときは先生や周りの友達に質問するということをしました。
――来年に出版される予定の本について、お聞かせ下さい。
原田勉氏: 今までの経営学とか経済学の考えとはちょっと違う視点を出しているつもりです。今までの経営学は結果を見て「成功したら全てOK」で「失敗したら何か間違っていた」というものでした。しかし、このような結果の事後正当化は必ずしも正しいとは言えない。例えば、“ワンアウト、ランナー1塁”という場合で、3番4番と3割バッターが続いているとします。選択肢として、1つは“3番4番と打たせる”ことが考えられます。そうすると1点取るためには、少なくとも2ヒットが必要です。もう1つの選択肢は“3番にバントをさせ、ランナーを2塁まで送ってから、4番で勝負”です。そうするとワンヒットで帰ってこられる。バントの成功確率を100パーセントとすると、3番4番とヒッティングを強行した時の点を取れる確率は、連続ヒットが必要だから、0.3×0.3で9パーセント。バントで4番勝負だと、ワンヒットで十分だから、30パーセント。つまり、後者の選択肢の方が成功確率は高いわけです。しかし、だからといって絶対に成功する保証はありません。なぜなら、成功確率は100パーセントではなくて30パーセントにすぎないからです。同様に、ヒッティングを強行しても失敗するとは限らない。9パーセントの成功確率があるからです。この場合、明らかに成功確率の高い、バントで4番勝負という選択肢を選ぶべきです。たとえヒッティングを強行して成功したとしても、それは合理的ではありません。一方、バントで4番勝負をして失敗してもそれは非難されるべきではない。なぜなら、9パーセントに比べて30パーセントという3倍以上の成功確率があるからです。野球の場合、年間139試合での勝率で優勝が決まります。だから成功確率の高い方法を取り続けている方が、統計学でいう大数の法則により、勝ち数が多くなります。奇策を多用する監督は短期戦では滅法強いけれどもペナントレースでは勝率が悪く、逆に常に優勝争いできる監督の多くは、きわめてオーソドックスで成功確率の高い戦術を好むのは、このことによって説明することができます。
だから私が言いたいのは、結果で判断するのではなくて、事前の成功確率で判断するべきだということ。私はこれを「確率管理」と呼んでいるのですが、イノベーション確率を最大化するような経営をしないといけないのです。確率が高い選択をしているのであれば、失敗したとしてもそれはOKであって、逆に、確率の低い方法でやって、もし成功したとしても、それは必ずしも良いとは言えないのです。この確率管理という観点から戦略や組織を抜本的に見直すという作業に取り組んでいます。
――電子書籍の可能性については、どのようにお考えでしょうか?
原田勉氏: 私は海外に行くことがかなりあるんですが、例えば荷物は20kgまでという荷物制限があるので、重たい本や資料はPDF化して持って行くしかないんです。全て電子化しているわけではないですが、やっぱり大事な本、手元に置いておきたいなという本はPDFにして持って行っています。東京に出張するという時でも、PDFでパッと見られたら便利ですよね。本は重いですが、電子はデータですから荷物にはなりませんし、検索もできますから非常に便利です。そういったPDFも含めるとするならば、かなり需要はあると思います。PDFにしてパソコンで持ち歩くようになったのは、5年ほど前からでしょうか。学術論文に関しては、いまや全て電子化されています。ハーバードに留学した2004年当時も、授業の必読文献は全部PDFでダウンロードするような形になっていました。JSTORというサイトがあって、そこで主要なジャーナルの論文はダウンロードできます。学界において、電子書籍は今や当たり前の存在です。
――仕事や研究の仕方も大きく変わりましたか?
原田勉氏: 自宅にいても、大学にアクセスしてダウンロードできますし、わざわざ図書館に行くという手間も無く、コピーする作業も必要なくなりました。最近は、参考文献もアクセスできるようになっていますから、非常に広がりがあります。そういう意味では研究が楽になったと思います。電子として持っていても、書き込みたい時は紙に出力する。精読する時は、やっぱり出力して読みたいなと思うこともありますが、パラパラと見るぐらいだったら電子でいいと思います。だから棲み分けというか、いい本は紙と電子の両方欲しいですよね。新聞を読んでいても、たまたま目に留まった内容を読んで「ああなるほど」と思うことがあるように、紙媒体なりの良さもありますね。
イノベーション確率最大化
――今後、どういった活動をしていきたいとお考えでしょうか?
原田勉氏: “イノベーション確率最大化基準”という考え方、これを基に経済学の領域で、英語の本を5年先ぐらいには出したいと思っています。イノベーション確率最大化基準という考え方で、経済学、そして経営学の領域でも研究をしていって理論を完成させることが、一番のライフテーマになるかなと思っています。今はこの出版に向けて論文を書いています。研究以外の領域では、ティーチングが本業となりますが、最近ではあまり小手先のツールを教えてもしょうがないと思っています。それよりも不確実性の高い中で、どういう意志決定の基軸を見出すことができるのかということ、それを生徒に自ら発見してもらうことが最も重要な教育上の目的だと思っています。この意志決定の機軸は、自分で発見して確立する以外に王道はないと思います。他人の意見は参考にすることはできたとしても、それが自分にとって本当に必要な考え方かどうかといえば、その保証はありません。大学の授業やゼミ、企業研修では、そのためのヒントを、色々と与えたいと思っています。私が禅やヴェーダーンタ、陽明学、朱子学などを勉強しているのもそのような理由からです。そこで培った考え方、物の見方というのは、意志決定において非常に役に立ちます。意思決定とは、つまるところ、その人の哲学そのものが問われているのです。だから、自らの哲学を確立することが最終的には必要です。ティーチングにおいては、私なりの哲学を生徒に伝え、それを参考にしてもらって、生徒一人ひとりの哲学を構築していくお手伝いをしたいと思っています。これは、学部学生だけではなく、多くのビジネスパーソンにも伝えていきたいと思っています。
(聞き手:沖中幸太郎)
著書一覧『 原田勉 』