原動力は「責任感」と「チャレンジ」
京都大学教授を経て、1991年~1997年同大学総長をつとめられ、その後、科学技術会議議員として、科学技術政策の立案、調整に関わられてきた井村さん。特に、第2期科学技術基本計画の作成に主導的役割を果たされ、現在は先端医療振興財団理事長、稲盛財団会長等をつとめられ活躍されています。あらゆる場面で指揮をとられる井村さんのお仕事についての近況、また、執筆や医学・医療というものに関する思い、現在の道に至った経緯などをお聞きしました。
新しい医療を生むことで、神戸市に貢献
――現在、先端医療振興財団の理事長をされてらっしゃいますが、どういったことがきっかけで入られたのですか?
井村裕夫氏: この「先端医療振興財団」というのは神戸の医療産業都市を作ること及びそのための研究を行うことを目的に作られた財団です。ご承知のように神戸は1995年に大震災で非常に大きな被害を受けました。私も以前、5年ほど神戸市民だったことがあるのですが、震災の時は京都大学の総長をしていましたので、自分では動くことはできず、救護班を送ったりお薬を送ったりしました。しかし、京都大学を辞めてから神戸中央市民病院の院長をしている時に、市長さんから「ぜひ神戸に医療産業都市を作りたい」ということを言われたのです。初めは「とても無理だろう」と思っていたのですが、非常に市の方が熱心であったのと、何か神戸市の復興のためにお役に立てることがあればと思い、引き受けることになりました。
――どのような仕事をしてらっしゃるのでしょうか。
井村裕夫氏: 私の仕事の1つは、研究のための先端医療センターを運営していくということ、もう1つは医療産業都市全体、このクラスター全体をどうやって成長させていくかを考えることです。それから、京都大学を辞めてから6年間、政府で総合科学技術会議の議員として、日本の科学技術政策全体の方針を決める仕事をしていたのですが、その議論の一部を、現在ここで実践しています。
――広い意味で、医療に携わっているのですね。
井村裕夫氏: 未解決の病気がたくさんあるわけですから、コンスタントに研究を進め、生み出していかなければいけません。新しい医療技術を生み出していくことが、今の大きな目的です。それからもう1つは、新しい医療を通して神戸市に貢献するということです。神戸が震災から立ち直っていく上で何か新しい事業、新しい旗印が必要ですから、その旗印として医療産業をここで育てようということです。おかげで10年あまり経ち、色々な施設が整ってきて、日本ではユニークな都市の1つになってきました。
――他にはどういった活動をしてらっしゃるのでしょうか。
井村裕夫氏: 京都では「稲盛財団」という財団に関係していて、「京都賞」という賞を選ぶ仕事をやっています。責任者ということではないですが、それに近い形で仕事をしています。
突然の選抜から得た、進化の視点
――京都大学の総長として選ばれた時のことをお聞かせ下さい。
井村裕夫氏: 私は医学部を卒業して医者になり、その後「やはり分からないことが多いので研究をしなければ」ということで研究を始めました。要するに研究職ですから、一緒に研究をして若い人を育てることと、患者さんのために現場で診療をするということをやっていました。ところが、91年に突然総長に選ばれ、人生が変わりました。今は副学長などがありますが、当時はそういった職もなかったため、全く学長としてのトレーニングを受けないままでなりました。さらに当時は学長になると、研究費はなくなってしまう。「もう研究をする必要はない」ということなのでしょう。あまりに突然のことですから、非常にさびしくなったことを覚えています。
――総長になり、それまでと変わったことはありますか?
井村裕夫氏: 医学や医療を、今までとは違った視点で見るようになったんです。どういうことかと言うと、それまで私は内科の医者であって、内分泌、糖尿病といった分野を専門にしていましたから、自分の専門から医療を見ていました。ところが総長になり、専門をなくしてからは、外から医学・医療を見るようになったわけです。それは私にとって初めての新しい経験だったので、また違った視点というものがあるんだなと思いました。
――外から医学・医療を見て、分かってきたことはありますか?
井村裕夫氏: ちょうど総長になって2年ぐらい経った頃、アメリカの本屋で進化医学『Evolutionary Medicine』という本を見つけました。とても面白く、病気に対してそういう見方もあるんだな、と思いました。人間の体は極めて長い進化の中で作られてきたものですから、その進化が人間の病気とものすごく関係があるということが分かってきたんです。そういう見方で勉強してみようと本を読み、2000年に岩波書店から『人はなぜ病気になるのか―進化医学の視点』という本を書きまして、その後も進化に関する本を2冊ほど出したんです。岩波の本は、科学に理解のある人だったら全部分かるような本ですが、一番最近、羊土社から出した本は、本当の教科書的なもので、医師や医学生向けの本です。
――病気を進化の視点で見ると、人間とは、どういったものなのでしょうか。
井村裕夫氏: 進化の視点で見ると、我々の体も、心も、進化の所産です。人間は「万物の霊長」だなんて威張っていますが、やっぱり生物、動物なんです。だから進化の影響を受けているわけです。その中で、非常に脳を大きくして広い心の世界を持ってきました。他の動物とは全く違って言葉があるし、字を発明したし、音楽があり、それから舞踊があり、美術があり、宗教がある。他生物とは全く違うように思われますが、基本的には他生物の持っていたものを発展させただけであって、例えば音楽なら、鳥のさえずりと類似点がありますね。それから字でも、言葉は喋れないけれどもチンパンジーはある程度の言葉を理解することはできるわけです。進化の視点で、人間の病気も、色々な人間の能力も見ていく必要があるだろうということを感じています。それから、これは総合科学技術会議に関係してからですが、医学・医療と社会との関係をもっと考える必要があるんじゃないかと思っています。
――必要な考えとは、具体的にどういったことでしょうか。
井村裕夫氏: もともと医療というのは、極めて社会的な性質を持ったものですから、社会の中のある1つの役割を果たしているわけです。それを外から、「社会」という角度から見るとまた違ったことが見えてくるんです。例えば、今、日本は急速に少子高齢化が進んでいるわけですが、これは今までの人間社会は経験したことがありません。
人間の社会も動物もそうですが、生まれた時が一番多く、少しずつ死んでいって最後はゼロになるというのが人口ピラミッドです。だから、今までの人類も、あるいは生物も経験したことのない状況に、現在入りつつあるわけです。その中で医療というのは何をしないといけないのか、医学はどういうことを研究しないといけないのか、という見方を今まであまりしてきませんでした。そういう見方をしていく必要があるだろうと、その視点での本を出しましたし、まだもう少しそのテーマで書きたいと思っています。
――先ほど、アメリカに行った時に手に取った本から勉強されたというお話がありました。数々の実績をたくさん上げられていますが、まだ「勉強だ」と思われるのでしょうか。
井村裕夫氏: そうですね、これはもう終生です。知的好奇心だけは失ったらいかん、と思っています。ですから、今も本をいろいろもらったり買ったりして、興味があると読むようにしています。かつてはよく寝る前に「ベッドサイドライブラリー」と称して、ベッドのそばに本を何冊か積んでおいて、気に入ったのを寝る前に少し読んでいました(笑)。ですが最近は、だんだん視力が落ちてきていたのと、疲れが出てしまってあまり読めていません。
著書一覧『 井村裕夫 』