公正な社会を作るには、まず個人が賢くなること
浜辺陽一郎さんは、企業法務を中心に手がける弁護士です。また、法科大学院の創設など、司法制度改革に尽力され、法化社会における法律教育の重要性について盛んに発言、自らも教壇に立ち、後進の育成に取り組まれています。浜辺さんに、弁護士になったきっかけ、法律家の役割や教育のありかた、書籍執筆への想い、法律書における電子書籍の可能性などについてお話を伺いました。
すべての仕事が有機的に絡みあっている
――弁護士としての活動のほかにも、様々な場でご活躍されていますね。
浜辺陽一郎氏: 今は、弁護士業のほか、法科大学院の教員もしています。教員の仕事が忙しくて、執筆や講演は少しペースが落ちています。本は、毎年数冊出してきたのですが、今年は1冊も新しい本が出せない見通しになっています。弁護士と教員の仕事に追いかけられ、どうしても執筆の仕事が後回しになってしまうところがあります。執筆関係では、会社法の改正が遅れて、それに伴って執筆の企画も遅くなっているということも影響しています。
――それぞれのお仕事の意義などを、どのように位置づけられてらっしゃいますか?
浜辺陽一郎氏: それぞれの仕事は、有機的に絡まっています。弁護士は、今の最先端の法律を踏まえて仕事をするので、常に勉強しなくてはいけません。そして、特定の依頼者に助言しておしまいではもったいないですから、それを体系的なものとして、本にする。著作にすれば、それが講演の企画にもなります。そういうことをベースにして、法科大学院で、教員として新しい法曹になる人たちに伝えるものも形作られていきます。どれか1つの仕事が異常に多過ぎても回らないですから、時間の限界がある中でやりくりしながら、バランスよくやるのが理想です。
――執筆のお仕事について、お聞かせ下さい。
浜辺陽一郎氏: 執筆は決して割の良い仕事とは言えないと思います。ボランティア的に行っている執筆活動もありまして、時間は掛かりますしお金にもなりません。本にしても、たくさん印税が入る様なものではないし、全体的に見ても本が売れにくくなっていることは、我々の領域にも及んでいると思います。1冊手元に置いておかなければいけない本であれば一定数は確保できるのでしょうが、いわゆるベストセラーみたいなものを出すのはなかなか難しいのです。最近は、企画も飽和状態なのかもしれません。かつては、企画の話を出版社の方から依頼されたのですが、最近はあまりそういうこともなくなって、自分で企画を立ち上げて持ち込まないと新しい本ができないくらいです。その中で競争を強いられる。書けば必ず当たるっていう人であればまた別なんでしょうけれども。
――法律関係の本には特殊性がありますか?
浜辺陽一郎氏: 法律関係の本は、1つは動きが速いのと、もう1つは需要が限られているということがあるでしょう。一般向けであっても、どの辺りが手頃なのかは非常に微妙です。難し過ぎてもいけませんが、簡単過ぎてもいけません。また奇をてらい過ぎてもいけない。どういったものを読者から求められているのかを把握するのは、なかなか難しいです。
大学在学中に司法試験合格
――弁護士を目指されたきっかけを教えてください。
浜辺陽一郎氏: 高校生の頃から漠然とした感じでは考えていて、それで法学部に入ったというのはあります。背景にあったのは、松本清張の小説や、社会系の本などを読んでいたことです。そういった本から、世の中には、法律を知らないことによる落とし穴がいっぱいあると思ったんです。松本清張が描く弁護士は、そのような落とし穴にはまった依頼者を救えなくて悩んでいたり、あるいは依頼者に殺されたりします。物語に出てくる弁護士は、ものすごい悪役もいれば、時として正義の味方であったりする。そういう多様性に魅力を感じて、この仕事は非常にやりがいがあるんじゃないかな、と思いました。物語の中で、公務員やサラリーマンは不条理な組織の中で苦しむ、あるいは過ちを犯す人として描かれ、そこに弁護士が現れます。弁護士になれば、社会の中でも強く生きることができるんじゃないかと漠然と考えていました。
――慶応大学の法学部に進まれますが、大学ではどのような勉強をされましたか?
浜辺陽一郎氏: 本当は国立の某大学を目指していたのですが、そこには結局入れなくて、慶応に入りました。実は、司法試験に受かるとは本気では思っていませんでした。私は劇団と、司法試験のサークルと2つに所属していました。その司法試験のサークルにいた先輩が司法試験予備校に行っていたのですが、当時ちょうど司法試験予備校が動き始めた頃で、私も、1年生の9月から予備校の基礎講座に出たのですが、そこでショックを受けたんです。
――どういったショックがあったのでしょうか?
浜辺陽一郎氏: 1年生の前期に大学で法律の講義を受けましたが、正直に言うと、面白くないし、聞いていてもよく分かりませんでした。当時の法学部の教員は、人にもよるかもしれないのですが、分かりやすく学生に法律を教えるという気持ちはあまり見られなくて、自分の好きなことを、ただ話すだけの人や、難解なことを「分かるもんなら分かってみろ」という感じで話す人が多かったんです。予備校で初めて、司法試験の対策の話を聞いて、法律に対する見方が全く変わりました。実はその先生は弁護士で、その予備校で1番人気の先生でした。その名物講義を聴いて勉強したお陰で、3年生の時、択一に合格しました。論文は落ちたのですが、4年生の時に2回目で合格したので、現役で合格できたんです。
「社会を知らない弁護士」に疑問
浜辺陽一郎氏: 私は決して予備校を悪いものだと思っていませんが、自分自身の学力との関係で言えば、即席で勉強しただけですから、明らかに“棚ぼた”なんです。当時、司法試験は3万人受験して合格率が1%ぐらいの難関の試験だったわけですが、今考えるとそれほど高いレベルではなかったと思います。はっきり言って、今の司法試験の方が難しいくらいです。当時は受験する人が多くて、しかも勉強の仕方が全く体系化されていませんでしたが、予備校では比較的体系化されていたということです。大学では、わけの分からない講義しかないわけですから、みんな暗中模索で非効率な勉強をしていました。しかも、それは現実社会とはまったくかけ離れた勉強です。当時、大体2、3割は現役の大学生で受かっている人たちがいました。しかし、私も含めて、試験で受かっているだけなので、世の中のことは知らないわけです。私も弁護士にはなれましたが、世の中のことを何も知らないままでしたので、思い返してみると、しばらくはパッとしない時代が続いていたと思います。
――弁護士になってからそのような疑問を感じられた出来事はありましたか?
浜辺陽一郎氏: 私が入った最初の事務所では、入った年に色々な事件があり、2人のボスがパートナーシップを解消するということになって、私は作家の牛島弁護士(作家/弁護士:牛島信)について行きました。もう1人の残った先生は、慶応の先輩でしたが、その後、不祥事を起こして逮捕され、有罪判決を受けました。自分の人を見る目のなさ、あるいは世の中の表と裏のことを分かってないということを感じました。しかも法律知識だって、大したことはない。社会のためとか、国際的な仕事がしたいとか、若者特有の漠然としたものはあっても、具体的なものは何もありませんでした。今みたいにインターネットなどもないわけですから、情報も限られていたわけです。そういう中で、非効率な遅々とした進み方で、弁護士としての最初の時期を過ごしました。転機となったのは留学でした。留学する前は、自分で発信できるものは何も持っていませんでした。何かやりたいけど能力もないし、技術もなければ知識もない。ですが、アメリカに4年間留学したことで、方向性が見えてきました。
留学で形成された「思考の座標軸」
――留学ではどのようなことを得られたのでしょうか?
浜辺陽一郎氏: 日本で仕事をしているだけだと、日本の司法の現実が当たり前だと思いがちなんです。先輩からこれが合理的なんだと教えられれば、日本人的な弁護士の典型にどっぷり浸かる。それがアメリカで過ごして、文化や生活の在り方など、それから大学、教育システムをトータルに見た時に、欧米、特にアメリカと日本の大きな違いが、自分の思考の大きな座標軸としてできてきました。これが契機となって、日本に帰ってきてからは、日米の司法比較について書くようになりました。それを出版社に持ち込んだところ、三省堂さんから、「日米司法比較の中から、弁護士に絞って書いてみませんか」と提案されて、処女作の『弁護士という人びと』が1996年に出ました。
――『弁護士という人びと』への反応はいかがでしたか?
浜辺陽一郎氏: その本は、結構うけて5刷までいったのですが、私が日本に帰国した95年には、オウム真理教事件や阪神大震災があり、翌年の最初の出版後に横山(昭二)弁護士が私を訴えてきたという様なこともあり、そこで私の出版活動は1年休止して97年は出版ゼロでした。最高裁まで争われたその名誉毀損事件が、98年に全面勝訴で終わったので、晴れて三省堂から『弁護士という人びと』の続編として『取締役という人びと』を出しました。
『弁護士という人びと』を書いた後に、日弁連調査室の嘱託の仕事が偶然入ってきて、96年から2001年は、日弁連の会務にどっぷりと浸かっていました。ちょうどその頃は、弁護士会が中坊(公平)先生を中心とした司法制度改革の時代で、中坊先生や、今も司法改革を推進する人たちと一緒に色々なことができました。著作としてはその後、毎日新聞社から『アメリカ司法戦略』、『司法改革』を文春新書から出しまして、総合的な司法の話を書くことができました。新しいものでは、『弁護士が多いと何がよいのか』で、『弁護士という人びと』から始まる、弁護士論を含んだ司法制度の問題や、法曹人口問題も含めた弁護士の在り方についての議論を深めることができました。
企業法務と司法制度のドッキング
浜辺陽一郎氏: 留学から帰ってきてからは、日本IBMの社内弁護士をやられていた方が60歳を越えてから開いた、高石法律事務所にお世話になりました。彼は社内弁護士の草分けであると共に、企業倫理であるとか、いわゆるコンプライアンスだとか内部統制などの話につながる問題を扱っていました。企業法務は当時、日本IBMが先駆的でしたが、ちょうどAppleやWindows95でパソコンがどっと入ってきた時代でもありました。
――企業法務という切り口で本を出されていますよね
浜辺陽一郎氏: 企業内取締役の話にも触発されて、『取締役という人びと』を出しました。その後、東洋経済で『図解 コンプライアンス経営』が出ました。たまたま事務所も、森・濱田法律事務所というところに入って、不思議なんですけれども、日弁連の会務で濱田松本法律事務所の先生と一緒になったこともありまして、濱田先生の事務所に入ることができたんです。濱田松本が、森綜合と一緒になり、森・濱田松本という日本のトップファームとなって、そこで私は企業法務の実務に接することができる機会を得るに至りました。
その頃から企業の方から発展してきた企業法務というのは、伝統的な弁護士の会社法の仕事とは異なっていました。もっというと、アメリカ型の企業法務です。源流はIBMであったり、Appleであったりする。その企業法務の流れと司法改革のドッキングしたものが、今、法科大学院でやっていることで、まさにそこに日本社会の法務に対するニーズがあると思っています。
――法曹教育の現状には、かなり変化が見られるのでしょうか?
浜辺陽一郎氏: 理解が十分に浸透してるとは言えないところがあります。法科大学院で、学生と面接して「どういう弁護士になりたいですか」と聞くと、1番多いのが街弁なんです。よく聞くと「地域社会に密着した仕事がしたい」という、それらしいことを言うんです。でも「地域社会の仕事がしたいなら、弁護士として地方公共団体の法務にニーズがありますよ」と言うと、「ちょっと、そういうのは興味ありません」とか、「考えてませんでした」って言うんです。「考えていませんでした」はまだギリギリセーフで、知らないのはしょうがないと思うのですが、非常にネガティブな反応を目の当たりにすると、「本当にあなたは地域社会に密着した仕事がしたいのか」と聞きたくなります。地方公共団体は権力を持った“悪い奴ら”で、自分はそれと対決するというイメージを持っているのかもしれないのですが、現実はそうじゃないんです。地方自治体は自分たちで適正に運営していかなきゃいけないのに、それを外部の誰かにお任せしてしまうから、うまく行かないのではないでしょうか。少なくとも、まだまだ法律実務家の間で、地方自治には、「やりがいのある仕事があるんだよ」ということについて、必ずしも十分な意識があるとは言えないのです。
企業・行政の問題に対応する法務教育を
浜辺陽一郎氏: それからもう1つ、なぜ街弁になる人が多いかと言うと、企業法務をやりたい人は、法科大学院に来ないで、すぐ企業に入ってしまうんです。それでちゃんとした企業法務ができれば良いのですが、企業法務にはマインドとスキルも必要です。丸腰だと厳しい。いわゆるブラック企業もいっぱいあって、非常に危ういわけです。きちんとした教育機関がようやくできているわけだから、それは利用するべきです。世の中が情報化、高度化しているから、昔の様なやり方で勉強していたんじゃダメなんです。
世界中の法律専門家というのは、皆、大学院レベルの教育を受けているのです。法学部は、はっきり言って何も分かってなくても、それなりの要領さえ良ければパパッと卒業できてしまいます。しかしそれをベースに法務の仕事はできません。日本の村社会だけでやるんだったら良いけれども、世界の競争はそれでは通用しません。これから企業法務とか、あるいは国家公務員にしても地方自治体にしても、日本の大きな社会問題をきちんと解決するためには、人材の問題があります。もちろん法務だけとは言いませんが、少なくとも法務はそれぞれの分野において、まだまだ弱いわけです。そこにしっかりとテコ入れするために、執筆やその他の仕事がお役にたてればと思っています。
――言論活動のモチベーションとなっているものはなんでしょう。
浜辺陽一郎氏: 一言で分かりやすく言うと、社会正義です。ただ社会正義という言葉は、中身が人によって違うので、詳しく見ていくと、あるいは政治的な立場になると細かい議論があるので、抽象的な言葉で言うと、「公正で合理的」という言葉になるでしょうか。やはり、世の中には不合理なことが多いですから、不条理なこと、筋の通らないことをなくしていきたいのです。企業社会でも行政の分野でも、教育システムでも、それが基本的な価値観です。不合理、不条理はなぜ生じるかというと、誤った考え方に毒されていたり、不勉強であったり、分かっていなかったりするからです。一人ひとりが知識を持ち、賢くなることが基本です。
問題意識を明確化する編集者の役割
――本を出されることによって活動の方向が明確になっていったのですね。
浜辺陽一郎氏: 色々な出版企画と偶然の出会いがあって、上手くつながった感じです。チャンスが来て、それを掴んでいったら、わらしべ長者じゃないですけど、自分なりの問題意識とつながるんです。
――その際は、編集者の意見とシンクロしながら発展していくものでしょうか?
浜辺陽一郎氏: 私が色々と出版できたのも、やはり編集者のお陰です。先ほどお話しした通り『弁護士という人びと』は、編集者の方のサジェスチョンでした。そして、最初の原稿はすごく直されました。ものすごく赤が入ったことで、自分なりに書いてることがいかに誤解を生むか、ということがわかり、非常に勉強になりました。
――良い編集者の条件はどういったことでしょうか。
浜辺陽一郎氏: 優れた編集者は、1つ1つの文章を丁寧に読んで、注文してきます。論理的に、これは一体どういうことなのかということを詰めて、でき上がると本当にきちっとした論理的なものになっている。中にはほとんど赤の入らない編集者がいます。私の実力が上がったのか、編集者が何もしていないのかは分からないんですが、編集者が直さないと逆に不安になる。だから私は、編集者が手を入れることにあまり抵抗しない方なんです。もちろん編集者の直しが間違いであることもあるので、コミュニケーションしながら最終的にまとめていくのですが、そういうコミュニケーションができる方は良い編集者だと思います。何も意見を言わずに、のれんに腕押し状態で、「本当に分かっているのかな」と思うような人もいないわけではありません。
もう1つは企画です。企画段階で切り口を誘導してくれる方ですね。東洋経済の最初の担当者で、『図解 コンプライアンス経営』や『執行役員制度』を企画された方は、今は和光市の市長をされています。編集者は著者が持っているぼやっとした問題意識やネタを「世の中としてはこういうものが欲しいんです」と、テーマとして提言してくれて、著者も「まさにこれが言いたかったんだ!」と気づいて、1つの企画が成り立ちます。ただ漫然と原稿の運び屋をやっているだけでは、編集の仕事をやっているとは言えないと思います。
電子書籍は「改訂」に大きな可能性がある
――電子書籍についてはどのようにお感じでしょうか?
浜辺陽一郎氏: 私の既存の本も電子書籍化されて、細かな印税がちょこちょこ入ってきているので意識はしているのですが、自分自身が電子書籍を読む側ではないということもあって電子書籍の良さはまだわからないです。ただ、1つ思っていることがあります。法律はどんどん変わります。紙だと改訂版が出しにくいのですが、電子書籍なら部数は少なくても、きめ細かく改訂ができるでしょうから、そうなってほしいです。そういう風になれば、法律書は世の中の動きや変化に応じて、どんどんバージョンアップできます。部数に関わらず、例えば1年ごとに改訂できるといった様になっていけばいいんじゃないかなと思います。
今は、1万部売れないと意味がないという風潮がありますから、改訂できなくて、ほこりをかぶっている残念な本も私の書籍の中にはあります。それをアップデートして、もう1度ちゃんとしたかたちで使えるようにしたいですね。最近は学生も経済的に厳しくて教科書が買えず、先輩から後輩にずっと流れて、教科書を1冊出すと、いつまで経ってもその教科書のままになるわけです。それを新しいものにしていくようなシステムになった方がいいんじゃないかなと思います。
――今後の展望をお聞かせください。
浜辺陽一郎氏: 当面は会社法の改正を控えていますので、企業社会をめぐる色々なテーマ、コーポレートガバナンスの関係について書いていきたいと思います。それともう1つは司法関係、特に、今の法科大学院の問題です。実は法科大学院を議論してるだけではダメで、若い人たちがどうやって社会に向けて羽ばたいていくか、そのために必要なものは何かというテーマも出していければと思ってます。今、法科大学院に来る人は、残念ながら、ほんの少しです。志望する前に、諦めてほかのところへ行ってしまうのです。リスクが低いと思って、実はリスクの高いブラック企業に吸い込まれていったりしている。その前に考えることがあるんじゃないかという、刺激を与える様なことができたらと思っています。例えば国際的な仕事です。国際取引法、国際ビジネス法は、企業法務の1つの分野にもなっています。しかし、日本の若者は内向き、あるいは安定志向だとか、野心や向上心が弱いんじゃないかなどと言われる。そういう、法科大学院へ来る前段階のところに向けて何かを発信できないかということを考えています。
(聞き手:沖中幸太郎)
著書一覧『 浜辺陽一郎 』