ただ読むだけではない、アウトプットが重要
大学卒業後、大手金融系会社でマーケティングを担当し、米国駐在を経て独立、中小企業の経営コンサルティングを始められました。また、ビジネスパーソンが独立・開業するためのノウハウについて、執筆、講演などの活動も行っていらっしゃる藤井さんは、『週末起業』、『週末起業チュートリアル』、『週末起業サバイバル』など、著書も多数執筆されています。ビジネスパーソンの自立を、教育コンテンツ、パートナーシップ、インフラの面からも支援するために、株式会社アンテレクトを創設し、経営されています。今の道に至った経緯や、本、電子書籍、執筆などについてお聞きしました。
1人になっても食べていける力が必要
――現在のお仕事内容についてお聞かせください。
藤井孝一氏: サラリーマン向けにビジネスの学校をやっています。主には著者を呼んでセミナーをやったり、コーチングをしたり、起業の指導などをしていて、『週末起業』という本を読んだ方向けに具体的な指導などを行う会社です。
著書は、監修や監訳なども含めますと、すでに40冊を超えました。
――日本語だけではなく、中国、台湾、韓国にも翻訳されるというのはすごいことですね。
藤井孝一氏: 特に『週末起業』は多くの方に読んでもらったので、そういう話が来たんです。
本が出た当時、働き方といったものが変わりつつあるのを感じ取っていたんですが、あれから10年経って、より一層、組織に依存するというのは非常に危険というか、それだけではちょっと頼りないという感じがしています。稼ぐ力ということで、1人になっても食べていけるような、そういう力をつける必要性というのがますます高まっているんじゃないかなという風に思っています。
国語が好きで、教員になりたかった
――小さい頃はどのようなお子さんだったのでしょうか?
藤井孝一氏: 子どもの頃から本の虫で、スポーツなどよりも本が好きで、いつも読んでいました。かなり本は潤沢に与えられていて、小説や童話など、そういった全集みたいなものが、家に結構ありました。初めは、親が読むようにすすめたんじゃないかなと思います。
――その頃、将来の夢として「著者になりたい」という気持ちはありましたか?
藤井孝一氏: 物書きになりたいという気持ちはありました。子どもの頃はごくごく普通に本の好きな子どもだったと思うのですが、ある程度大きくなってからも割と成長度合いに合わせて、それなりに本にのめり込んでいったように思います。例えば大学の頃だと、みんなそうだと思うのですが、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』など、ああいうのも結構読みましたし、文学部というのもあったので、いわゆる日本の古典などを随分と読みました。
――現在に至るまでのご経歴からすると、大学で文学部を選ばれたというのはとても意外な感じがします。
藤井孝一氏: 文学部を選んだ理由には、本が好きだったというのが1つありますが、逆に言うと他のことはあんまり好きじゃなかったんです。将来何がしたいというのもなかったので、好きな本が読めるという学部を選んだというのはありますね。
当時、国語が好きで、教員になりたいという夢もありましたが、行きたい大学には教育学部というのがなかったので、「国語の先生なら文学部だろうな」と思って文学部を選んだんです。ですから、教えるということにはずっと関心がありましたね。一旦、金融系の会社に入ったのですが、バブルの頃で大変でしたし、海外も経験したのですが、やっぱり教える仕事をしたいという気持ちがありました。教師になろうとも思ったのですが、10年以上ビジネスの場にいたので、「子どもに教えるというよりは、ビジネスを大人に教えた方がいいかな」と、コンサルタントという仕事を選びました。
「このままでいいのか」と悩み、34歳の時に独立
――執筆に関して、こだわっている部分はありますか?
藤井孝一氏: 分かりやすくすること、それから、できることからやることです。ハードルを低くするということに関しては、かなり意識して書いています。
あと、こだわりとは少し異なりますが、僕は自分でやったことや体験談を纏めて、参考にしていただくというスタンスで本を作っています。やったこと以外は書かないというか、そんなに器用な人間ではないので、自分の経験したことしか書けないんです(笑)。
――安定した大手の企業人から、起業してみよう、自分の名前でやっていこうと思われたきっかけというのは何だったのでしょうか?
藤井孝一氏: 「いつかは独立」という思いは、もちろん当初からありました。それに加えて、バブルの時代に金融系の会社にいて色々思うところもありました。このままでいいのかとか、あちこち飛ばされて、もう定年までずっとこんな感じかなとか。上を見ても大体みんなそうなんですよね。特に「転勤で家族が巻き込まれてしまう」という思いがあって、住む場所ぐらいは自分の裁量で決めたいなというのがありました。それにはやっぱり辞めるしかないなと思ったんです。ある程度収入もありましたし、起業の練習も終えていて、辞めてもやっていけるかなという風に手応えを感じていたので、辞めたんです。ちょうど34の時だったと思います。「35までに決めないと、独立しても成功できないよ」というようなことを言われたりもしたので、35を節目にギリギリのところで独立したんです。
――独立した時は、どのようなお気持ちでしたか?
藤井孝一氏: 会社を辞めて直ぐは後悔しました。その時は収入もありましたが、未来永劫稼げるという確信はなかったので「人事に電話して謝って、もう1回、会社に戻してもらおうか」と思った時もありました。ただ「後はない」ということで、それまで以上に頑張り、必死にやりました。あたりまえのことですが、自分で決めたことは、真面目にやらないとだめですね(笑)。
本はいつも側にあり、支えてくれた
――本を書くきっかけは何だったのでしょうか?
藤井孝一氏: 僕自身、学生の頃、子どもの頃からずっと、本に助けられた、支えられたという思いがありました。いつも本は側にあったんです。当然、社会人になれば色々迷いとか悩みがあり、上司や先輩に相談するように、色々な本を読んでヒントをもらうという習慣をずっと続けていたんです。
――本の力をひしひしと感じていたのですね。
藤井孝一氏: そうですね、もう本当に習慣になっていました。通勤に片道1時間ぐらい掛かったので、そこで必ず行き帰りは本を読み、空き時間や隙間時間にも本を読んでいたんです。仕事に関する勉強系の本であったり、息抜きの本だったり。サラリーマンになってからは主にビジネス書を読んでいて、いわゆる経営書とか、ドラッカー、コトラーなどを読んでいました。
――お薦めの本はありますか?
藤井孝一氏: 古い本で僕が一番影響を受けたのは、『企業参謀』という本です。これは最近復刊されていますが、もともとは大前研一さんが30の時に書いた本です。『企業参謀』は何度も読み返しました。一番役に立った本で、コンサルタントになろうと思ったのもこの本がきっかけでした。
――読書経験や読書で学んだことは、講演など色々なところに活かされているのでしょうか?
藤井孝一氏: いつも学んでいないと、同じ知識で本を書いたりお話をしていても、飽きられてしまうので、インプットは欠かせないかなと思います。また、本はインプットですが、私自身はインプットというよりは、得たもの以上にアウトプットをして、自分の身にしてきたし、お金にも変えてきた、いわば仕事にしてきました。その辺のノウハウを文庫の書き下ろしで書いた本が、『読書は「アウトプット」が99%-その1冊にもっと「付加価値」をつける読み方 』という、この本なんです。
読者が「回収」できる本を書く
――読書というとインプットが重要だと思いがちですが、読書の際は、常にアウトプットを意識されているということですね。
藤井孝一氏: 僕はビジネス書を読んで、忘れてしまったり、難しいことを読んでも生かせなかったりすることが多かったんです。例えば、サラリーマンの頃だとカルロス・ゴーンさんの本。でも、営業の末端にいる人間がカルロス・ゴーンさんの本を読んで何に生かせるかというと、実はそのまま生かせることは少ないんですよね。でも1つでも法則を探すというか役立てようということで、まず要約をして、気が付いたところを書き出していったんです。僕は本を1冊読むと必ずそういうことをやっていたんです。それをメルマガにして配信したというのが、14、5年前から始めて、今も続けている書評のメルマガの始まりなんです。
――ただ読むだけじゃなく、消化してアウトプットされていたのですね。
藤井孝一氏: アウトプットの必要性を非常に感じていたんです。だけど、サラリーマンの自分にできることといったら、職場に生かすというのが一番なんですが、それはできなかったので書評も書いて配信するという方法にたどりつきました。毎日毎日、本を読んでは、アウトプットをするということを繰り返していたんです。
――1冊目の本『週末起業』は、どのような経緯で本になったのですか?
藤井孝一氏: メールマガジンを出していた方の紹介です。メルマガを発信したからこそ、新たなステージでの発信ができたんです。
書評のメルマガをやっている人がいるんだねということで、「何か本を書いてみないか」という話になったんです。アウトプットしていたので、「こいつ書けるんだな」というか、書きたいと思う意思があるなとか、なかなか面白いことを言うなと目に留まったのか、出版社から声が掛かったという感じです。
――アウトプットしたことから色々な方と出会ったり、本が生まれたのですね
藤井孝一氏: 「学んでよかったね」だと、本当に「よかったね」で終わってしまうので、多分回収できないと思うんです。1000円、2000円でも本は安いと言っても、月に10冊も読めば結構な出資になりますよね。だから、それ以上のものを回収したいという思いが強かった。そのためにはアウトプットしないと回収できないと気付いたんです。職場で生かすというのもアウトプットの仕方で、それで多少、上司に評価されボーナスが増えるとか、昇進して昇給するといったことでもいいんですが、もうちょっと手っ取り早く回収するために、書評を書くという方法をとりました。当時は、ネット書店が登場したばかりで、書評を書いている人がいなかったんです。だから、そこに書くと原稿料をくれたりしました。そんな風に、最初はお小遣い感覚ではじめました。
ひと月の本代に5万円ぐらい使っていたので、本を買うために稼がなきゃという切実な思いもありました。
――藤井さんの書く本というのも、皆さんがどこかで回収できるような本を、という思いが念頭にあるのでしょうか?
藤井孝一氏: そうですね。読んで「良かったです」と言われるのが一番辛くて、「読んで、やってみて、上手くいきました」という風につながっていってほしいんです。僕の書いているものって、感動したり心を震わせたりするようなことが書いてあるわけではないので、最後にはもう本のことなんか忘れられちゃってもいいとすら思っています。
――あくまで窓口だということですね。
藤井孝一氏: 僕の本が、その人の人生を少しでも豊かにするきっかけになればいいと思って書いています。
書店は出会いの場
――電子書籍に対して可能性をお感じになることはありますか?
藤井孝一氏: もちろん可能性は感じていますし、どんどんこれから伸びていくメディアだという風に思っています。ただ私自身は、正直言うと、まだ紙で読む方が便利なんです。読みやすさとか手触りとか、そういった部分でも、紙が好きなんです。ですから紙で読むんですが、電子書籍で非常に助かっている部分は、読んだ本の置き場所が必要ないというところ。僕は、読んだら切ってスキャンして、データに取り込んでいるんです。
電子化すると検索もできるので、そこは大きいんですよね。検索して、例えば「週末起業」という言葉を検索した時にパッと関連する書籍が出てきたら、すごく便利じゃないですか。
あと、旅行や長期出張の時に、何冊も持ち歩かなくてすむというのも良いですよね。紙の本の良さもあるし、電子の良さもある。だから使い分け次第だと思います。
――Amazonなど、ネット上で本を手に入れる方法がスタンダードになりつつありますが、今でも書店にはよく行かれますか?
藤井孝一氏: 毎日行っています。書店に行って本を買うのとネットで本を買うのとでは全く別の行為ですね。Amazonは、モリで一突きという様な、「狙い撃ち」といった感じですよね。でも書店はブラウズというか、出会いがあります。書店の場合は、例えば趣味の本など、全然読む気もなかった本を買って帰ったりしますが、そういう思いがけない本との出会いがあるのがいいですよね。ビジネス書は、基本的にどれもこれも大体知っているんですが、それ以外のホビー系や旅行系の本などは、本屋でふと手に取って、それがきっかけでのめり込んでいったということも結構あります。
――今後普及していくと予想されている電子書籍において、出版社や編集者の役割についてはどう思われますか?
藤井孝一氏: ますます重要になるんじゃないかと思います。電子書籍の登場で、本は誰でも出せる時代になりつつありますが、誰にでも本が読まれるかというとそんなことはないのです。読み手の目を持ちながら書ける人はいいんですが、読み手からのアドバイスみたいなものも必要ですよね。編集者は著者からすると読み手代表だし、読み手代表と書き手代表ということで、ちょうど橋渡し役じゃないですか。そういう機能ってどんなものでも必要だと思うんです。例えばメルマガやブログって書き手がダイレクトに読み手に伝えるメディアですが、殆ど読まれないですよね。そこには第三者の目だったり、プロの目だったり、そういう客観的な視点は必要になってくると思います。それはやっぱり編集者の仕事じゃないかなと思います。
多分、素人が書いてそのまま出版したって誰も読まない。プロが編集したものが結果的に残るんじゃないかなと思います。
――著作も含めて、今後の展望をお聞かせ下さい。
藤井孝一氏: 週末起業のアドバイスをしてきて、会社を辞めずに起業しようという人たちをお手伝いし始めて10年が経ちました。その中から、かなりの人たちが起業家になりましたので、これからは起業支援も力を入れてやっていきたいと思っています。起業家が活躍したり、反対に苦しんだりというのもあるので、彼らと一緒にまた成長できるような起業教育みたいなものや、起業の場のようなものの提供というのを引き続きやっていきたいなという風に思っています。
(聞き手:沖中幸太郎)
著書一覧『 藤井孝一 』