「戦略」を、より多くの方に知ってもらいたい
20年以上に渡り外資4社及び日系2社で社長を歴任。業態・規模に関わらず、不調業績をすべて回復させるなどして「再生請負経営者」と評され、2008年からは有限会社MBA経営の代表取締役を務めていらっしゃいます。独自の「戦略カードTMとシナリオ・ライティング」により経営戦略の立案と実践に関して、分かりやすく解説し指導されており、「経営者ブートキャンプ」も主宰されています。留学体験を記した初著書『アメリカン・ビジネス・スクール決算記』がベストセラーとなり、90年代にかけてのMBA留学ブームを巻き起こしました。20冊に及ぶ著書のうち3冊がAmazonでベストセラー総合1位を獲得、中でも『タフ・ネゴシエーターの人を見抜く技術』はビジネス書において、5週連続1位を記録されました。今回は山田さんに、お仕事に対する想い、本、執筆についてお聞きしました。
「執筆は排出」?
――現在の取り組みなどの、近況をお聞かせ下さい。
山田修氏: 今の肩書きは経営コンサルタントです。現在64歳ですが、5年前に実業引退しまして、会社の指導、及び公開セミナー、それから経営者を指導するプログラムなどをやっています。執筆に関しては、1985年に最初の本が出版されて、そこから足掛け30年で、今20冊になりました。1年に1冊は出している感じで、この5年の間にも5冊位は出してるんじゃないかと思います。
――1年に1冊というとペースが速いように感じますが、その源となっているものは?
山田修氏: 言葉としては汚いんですが、私の場合は排出欲なんです。自分で書きたいことが溜まってくると、「これは吐き出しとかなきゃいけないな」という感覚になる訳です。出版社の方から企画がきて、「こういうトピックで書いてください」と言われることもあるのですが、どちらかというと、自分で書いた方がスムーズに筆を運ぶことができるんです。私の場合は、アウトプットとインプットの繰り返しでした。若い時から色々な学校に行ったのですが、それがビジネスにも役に立っています。インとアウトが交互にやってきて、それが相互に助けてくれるというサイクルの著述活動だったと思います。
――今の山田さんがどのようにしてでき上がったのか、という歩みをお聞かせ下さい。
山田修氏: 埼玉県の深谷市生まれなのですが、小学校4年になる時に東京に引っ越して来たので、東京っ子という感じです。小さい頃は文学少年でした。私は子供をみるとき、野球少年、ラジオ少年、漫画少年と、大体3つに分けるんです。「野球少年」はスポーツマンなどを目指す。「ラジオ少年」は技術者の卵。私は文系の「漫画少年」でした。最初は漫画でしたが、次第に小説が好きになり、小学校5年生くらいから中学校にかけてたくさん読み込みました。
――最初に本を手にとったきっかけとは?
山田修氏: まだ戦後の時代だったのであまり本はありませんでした。小学校3年まで深谷市に住んでいて、漫画も親が近くの本屋さんで買ってくれて、それに影響を受けました。よく覚えているのは講談社から出ている全55巻の『少年少女世界文学全集』。小学校2年生位の時は、毎月1編出ていたんです。それがすごく楽しみでした。小学校の図書室に入り浸っていました。私が一番図書室の本を読んでいたんじゃないかと思います。
ビジネスマンになろうとも思っていなかった
――当時の夢はどのようなものでしたか?
山田修氏: 夢はまだ無かったかな。私はどちらかというと衝動的に生きている感じで、あまりそういった組み立てはありませんでしたね。日本を代表する経営者になる、といったことは今に至るまで全く考えていませんでした。37歳から社長になったのですが、「社長になろう」「経営者になろう」と思ったことは、それまでは1度もなかったです。
――漠然と「社長になりたい」ということではなく、目の前のことを一生懸命にやっていた結果という感じでしょうか?
山田修氏: そうですね。私は「3年計画説」という、3年間のことだったらマネージできるという主張をしているんです。3年間あれば、どんな学校に行って、どんな知識を習得するか。そうすると今のキャリアの次のこと位はなんとかできますと。人生にもビジネスにも運命があるから、5年先、10年先のことを言ったってしょうがない。「とりあえず3年間で今のビジネスをきちっとできるようにしましょう」ということなんです。
――ビジネスマンということは、視野にあったのでしょうか?
山田修氏: そもそも、ビジネスマンになるつもりもありませんでした。私は、学習院の文学部国文科だったんですが、専攻は伊勢物語で、古文の学者になるつもりでした。高校2、3年の時に、大学はどこに進学しようかと考えて、「本が好きだから国文で良いかな」と思って決めました。そのまま進んでいたら、今とは全く別の人生を歩んでいたと思います。
著書一覧『 山田修 』