本に影響を受けて、薬剤師や弁護士を目指す
――どんな本を読んでいましたか?
村山涼一氏: 小学校3年くらいの時に、図書委員の当番で暇な時に、江戸川乱歩の少年探偵シリーズを読み始めました。それがすごく面白かったので、それからはルパンやシャーロック・ホームズを読むようになりました。「やっぱり本って面白いな」と思って、その後は日本文学全集とか世界文学全集など、古くなっている本、みんなが読んだ本なども読むようになると、だんだんと読書の面白さが分かるようになりました。その延長線上で本をたくさん読むようになっていきましたが、読んでいたのは小説などが多かったです。
――その頃の将来の夢は?
村山涼一氏: 僕らが小さい頃はマーケティングプランナーなどという仕事はまだありませんでしたし、今の自分は全く想像もしていませんでしたね。叔父が医者だったこともあり、医者の仕事にも関心があったのですが、パスツールの本を読んで「薬の開発をやりたい」と思うようになり、小学校6年の文集には「薬剤師になりたい」と書きました。「人の役に立ちたい」という思いが僕の根底にあるのかもしれません。色々な病気の人が治る、ということで野口英世やパスツールなどを読んですごく感激しました。
中学の時にはペニシリンの話を聞いて驚いたのを覚えています。それで「やっぱり僕は社会正義的なことが好きなんだな」と自覚しました。その後「弁護士になりたい」と思うようになり法学部へ進んだのですが、大学の授業を聞くようになって2か月ぐらいで、弁護士の道は断念しました。法律はいわゆる判例主義ですから、過去の事例に基づいて考えていくのですが、僕は、自由度の高い未来を考えたい人間なんだなということを強く感じました。
――パスツールや野口英世のように新しいものを研究しようということですね。
村山涼一氏: そうなんです。高校3年の時は、学園祭のために、1年かけて映画を撮ったこともありますし、大学時代は音楽に興味を持って、音で新しいものを作っていくということにのめり込んだ時期でした。今考えれば、勉強しておけばよかったなと思います(笑)。でも、高校、大学時代は、面白いことを追求する人たちが周囲に多く居たので、その影響をすごく受けたと思います。
――そういった面白さに向かう原動力とは?
村山涼一氏: 単純に言えば好奇心です。僕は「知りたい」という気持ちがすごく強い。例えば寺山修司さんの演劇を見た時は、「なぜ彼はこういう演出をするのだろう」とすごく知りたくなる。映画を見ても、フェデリコ・フェリーニが好きだったのですが、「この人はいったい何を表現したいのかな?」などということを考えていました。
思うように仕事をすることが大事
――大学卒業後、広告会社に進まれますね。
村山涼一氏: 大学時代にやってきた音楽は、商売にしたくないなと思ったので、レコード会社などは考えませんでした。僕が所属していた会社法務ゼミというところは、金融機関に就職する人が多かったのですが、自分には向かないなと思っていました。また、メーカーにも向かないような気がして、「僕は一体何をやりたいのかな」とすごく迷って、その結果、「よく分からないところに行こう」と思ったんです(笑)。僕にとって、何をやっているかさっぱり分からないところ、というのが広告会社だったのです。大手を受けたのですが、受からず。たまたま学生時代にイベントのアルバイトをした会社の社員の方のところに行って、推薦状を書いてもらいました。
――積極的ですね。その後いくつかの職場を経験されますが、仕事をするうえで大切にされていることはありますか?
村山涼一氏: 自分の思うようにやることでしょうか。僕はいつも、前例をあまり踏襲しないんです。僕が音楽をしていた時、コピーやもの真似をする人が圧倒的に多かったのです。でも僕は、もの真似をするのが嫌いなのと面倒くさいというのもあって、オリジナルの曲を作りたいとすごく思っていました。その後の人生でも同じように、「自分でルールを作りたい」と思って生きてきました。それだけは変わっていません。
――そういった想いや、今までの御経験が本に表れているのですね。
村山涼一氏: 自分の欲しい本がないなと思うことも多く、勉強することには結構苦労しました。最初に書いた企画の本は、自分が「そういう本があったらいいな」と思うものを作りました。だから、自分が苦労して身につけたことを、極めて分かりやすく提供することが自分のミッションなのかなと思っています。
著書一覧『 村山涼一 』