「知りたい」と思う好奇心が執筆につながる
フリーのマーケティングプランナーとしてご活躍されている村山さん。中央大学法学部法律学科を卒業後、講談社や東急エージェンシーなど大手企業を経て独立しました。現在はマーケティングについてのプランニングや講演、研修はもちろんのこと、就職活動についての講演もおこなっています。著書に『「企画書」の書き方事典』、『AKB48がヒットした5つの秘密 ブレーク現象をマーケティング戦略から探る』、『ささる。プレゼン』などがあります。企業を通じて時代を俯瞰で捉える村山さんに、現在のお仕事、執筆への思い、本と電子書籍などについてお聞きしました。
ステレオタイプのクリエイティブ界を原点に戻す
――マーケティングのほか、様々なお仕事をされていますね。
村山涼一氏: そうですね。著作も増えてきて、20冊を超えました。もちろんマーケティングもやっていますが、ビジネスを一から作ることもあります。今一番真面目に取り組んでいるのがオープンソースなんです。大御所の皆さんと仲良くなることができて、この繋がりでビジネスをやっていこうと一生懸命取り組んでいます。企業に関して言えば、2社に入って長い研修をやっています。ほかにも、日本経済新聞社の就活に関する講演をしています。
――研修の対象者というのはどのような方なのでしょうか?
村山涼一氏: 最近は広告会社の社員を対象にした研修が多いです。オリンピックが決まって調子が悪かった広告会社に仕事が回ってきた時、みんなステレオタイプの仕事しかできなくなっていた、ときづいたんです。だからパーセプションの変え方を教えています。通常、広告代理店に入ると一番にパーセプション、つまり知覚による認識の変え方を習うのですが、今はみんなそれができない。
ちょっとこれは例がふさわしくないかもしれませんが、我々の仕事というのは、例えば薬物常習者の方がいらっしゃるとしますよね。その方を診断して薬を処方するのがお医者さんの仕事で、これは「行動する」仕事です。一方で、広告会社の仕事というのは、薬物中毒でいわゆる廃人のようになった人をビジュアルで見せることによって、「あ、こうはなりたくないから止めよう」と思わせること、つまり知覚から「行動を変える」ということなんです。これこそが広告会社の面白さですよね。
――ステレオタイプということは、単純に受注した仕事をこなすというようなお仕事になっているということでしょうか?
村山涼一氏: そうですね、クリエイターというよりかは、作業をこなす方が多くなっているようなので、「もう1回知覚を変えて行動を変えるという原点に戻りたい」ということを言っている方が多いです。いい人、真面目な人は多いのですが、面白い人があまりいなくなりました(笑)。どちらかと言うと暴れん坊といった人が僕らの時代には多かったんです。「知的な暴れん坊」と言うのでしょうか。それがステレオタイプになっちゃったというのが今のマーケティング界というか、クリエイティブ界なんでしょうね。
権威に対して何も考えずに従うのが嫌だった幼少期
――村山さんはどんな「悪ガキ」だったのでしょうか?(笑)
村山涼一氏: 神田神保町の出身なので、まさに江戸っ子です。周りには貧しい人と、あとは本屋しかなかった町で、大きい企業は岩波書店だけ。博報堂や小学館、集英社などは、まだできたばかりの頃でした。高校は赤坂の日比谷高校というところへ行ったのですが、小学校は錦華小学校、中学は一橋中学校と、地元の悪ガキが集う学校に通っていました(笑)。これは未だに記憶に残っている出来事なのですが、ある日、みんなでプラレールで遊んでいる時に、「ここからここまでは工事区間だから何人(なんびと)も入っちゃいけないよ」とガキ大将が言ったんです。みんなは言うことを聞いていたのですが、僕だけ汽車のおもちゃを持っていって「シュッポッポ」と入っていって、すごく怒られました。「涼ちゃん、入っちゃだめでしょ」と言われた時に、「これ、工事の機関車だよ」と僕は言ったんです。そういうガキでした。
――それは、おいくつぐらいの時だったのですか?
村山涼一氏: 幼稚園の時でした。その頃から権威に対して何にも考えないで従うのは嫌だなという思いがありました。ガキ大将とは仲が良かったけれど、言われる通りにやるのは嫌。だけど「おい、このやろう」と殴りかかるのも嫌だったので、「相手はなんて言ったらギャフンと言うかな」と考えるタイプのガキでした。でも、ただの殴り合いのようなけんかもしました。僕らの頃はそういう荒々しさがありました。
――野生と理性が共存するような気質が、その時からでき上がっていたんでしょうか。
村山涼一氏: 自分では気がつかなかったけれど、出自なのかもしれませんね。僕は野蛮なことが好きですが、野蛮なだけというのは嫌なのです。同様に、知性も好きなのですが、知性だけというのも嫌。生まれだと言われて、自分でも納得してしまいました。勉強も遊びも両方好きでしたね。
本に影響を受けて、薬剤師や弁護士を目指す
――どんな本を読んでいましたか?
村山涼一氏: 小学校3年くらいの時に、図書委員の当番で暇な時に、江戸川乱歩の少年探偵シリーズを読み始めました。それがすごく面白かったので、それからはルパンやシャーロック・ホームズを読むようになりました。「やっぱり本って面白いな」と思って、その後は日本文学全集とか世界文学全集など、古くなっている本、みんなが読んだ本なども読むようになると、だんだんと読書の面白さが分かるようになりました。その延長線上で本をたくさん読むようになっていきましたが、読んでいたのは小説などが多かったです。
――その頃の将来の夢は?
村山涼一氏: 僕らが小さい頃はマーケティングプランナーなどという仕事はまだありませんでしたし、今の自分は全く想像もしていませんでしたね。叔父が医者だったこともあり、医者の仕事にも関心があったのですが、パスツールの本を読んで「薬の開発をやりたい」と思うようになり、小学校6年の文集には「薬剤師になりたい」と書きました。「人の役に立ちたい」という思いが僕の根底にあるのかもしれません。色々な病気の人が治る、ということで野口英世やパスツールなどを読んですごく感激しました。
中学の時にはペニシリンの話を聞いて驚いたのを覚えています。それで「やっぱり僕は社会正義的なことが好きなんだな」と自覚しました。その後「弁護士になりたい」と思うようになり法学部へ進んだのですが、大学の授業を聞くようになって2か月ぐらいで、弁護士の道は断念しました。法律はいわゆる判例主義ですから、過去の事例に基づいて考えていくのですが、僕は、自由度の高い未来を考えたい人間なんだなということを強く感じました。
――パスツールや野口英世のように新しいものを研究しようということですね。
村山涼一氏: そうなんです。高校3年の時は、学園祭のために、1年かけて映画を撮ったこともありますし、大学時代は音楽に興味を持って、音で新しいものを作っていくということにのめり込んだ時期でした。今考えれば、勉強しておけばよかったなと思います(笑)。でも、高校、大学時代は、面白いことを追求する人たちが周囲に多く居たので、その影響をすごく受けたと思います。
――そういった面白さに向かう原動力とは?
村山涼一氏: 単純に言えば好奇心です。僕は「知りたい」という気持ちがすごく強い。例えば寺山修司さんの演劇を見た時は、「なぜ彼はこういう演出をするのだろう」とすごく知りたくなる。映画を見ても、フェデリコ・フェリーニが好きだったのですが、「この人はいったい何を表現したいのかな?」などということを考えていました。
思うように仕事をすることが大事
――大学卒業後、広告会社に進まれますね。
村山涼一氏: 大学時代にやってきた音楽は、商売にしたくないなと思ったので、レコード会社などは考えませんでした。僕が所属していた会社法務ゼミというところは、金融機関に就職する人が多かったのですが、自分には向かないなと思っていました。また、メーカーにも向かないような気がして、「僕は一体何をやりたいのかな」とすごく迷って、その結果、「よく分からないところに行こう」と思ったんです(笑)。僕にとって、何をやっているかさっぱり分からないところ、というのが広告会社だったのです。大手を受けたのですが、受からず。たまたま学生時代にイベントのアルバイトをした会社の社員の方のところに行って、推薦状を書いてもらいました。
――積極的ですね。その後いくつかの職場を経験されますが、仕事をするうえで大切にされていることはありますか?
村山涼一氏: 自分の思うようにやることでしょうか。僕はいつも、前例をあまり踏襲しないんです。僕が音楽をしていた時、コピーやもの真似をする人が圧倒的に多かったのです。でも僕は、もの真似をするのが嫌いなのと面倒くさいというのもあって、オリジナルの曲を作りたいとすごく思っていました。その後の人生でも同じように、「自分でルールを作りたい」と思って生きてきました。それだけは変わっていません。
――そういった想いや、今までの御経験が本に表れているのですね。
村山涼一氏: 自分の欲しい本がないなと思うことも多く、勉強することには結構苦労しました。最初に書いた企画の本は、自分が「そういう本があったらいいな」と思うものを作りました。だから、自分が苦労して身につけたことを、極めて分かりやすく提供することが自分のミッションなのかなと思っています。
執筆のきっかけは、必然。
――執筆をすることになった具体的なきっかけとは、どのようなことだったのでしょうか?
村山涼一氏: 広告会社でずっとマーケティングの仕事をやっていたのですが、ある人に「本を書かないか?」と言われたんです。最初は「僕、書けません」と言っていました。そうしたら「ライターをつけるから喋ってくれ」と言われて、初めて出してもらったのが『ダカーポ』という雑誌でした。そこの巻頭特集の16ページくらいを、全く無名の僕がやらせてもらいました。これが、その後本を書くきっかけとなりました。
――雑誌からスタートされたんですね。
村山涼一氏: そうですね。『ダカーポ』を、ある出版社の編集プロダクションの社長さんが見ていて、その息子さんに「こいつは絶対売れるからおさえておけ」と言ったそうなのです。その後、その息子さんが僕のところに来られて、「うちは学研さんで事典を作っているのですが、やりませんか?」と言われて、本ではなく事典でデビューすることになりました。事典を介して予行練習が全部済みましたね。当時コンサルティングをしていた会社があったんですが、そこにPHP(研究所)の方がインタビューに来たんです。その彼とすごく話が合って「村山さんは面白いし、事典も書いていますよね。『THE21』という雑誌で何かやってくれませんか?」と言われました。その後、「後輩を紹介するから一緒に本をやらない?」と言われて作ったのが、あの『最強の戦略は「図」で立てる!』という本です。
――その後、数々の本を出されていきますが、執筆に対する想いをお聞かせください。
村山涼一氏: とにかく薄いことはやりたくないです。人の書いたものをまとめてもしょうがないし、自分の書いたものを薄く出してもしょうがないと僕は思っています。いつも「好奇心」を持っていますし、何かが知りたいという気持ちから本を書き始めることが多いです。
執筆には、多くの本を読み込んで臨む
――たくさんの本が並べられていますが、どのように分類されているのですか?
村山涼一氏: 僕の本は仕事単位に置いています。AKBの本を書く時に使った本、牛タンのコンサルをした時に使った本、というように、著者やカテゴリ別ではなく、1つの仕事や執筆ごとに分けて並べています。社会心理学や心理学の本がたくさんありますが、これは『しぐさの解読―彼女はなぜフグになるのか』という本を1冊書くためだけに全て読みました。
――執筆内容によって、様々な本を読まれているのですね。
村山涼一氏: 色々なことを知りたいし、答えを探したいから、すごい勢いで本を読みます。答えが見つかりそうなところに、全部線を引っ張って、ポイントになる部分には付せんをつけて、そのポイントを書いていきます。そこから引用して執筆を行います。
――「書く」ということが、同時にご自身の勉強にもなっているのですね。
村山涼一氏: 絶対そうですね。自分が知りたいと思うことしか本にしません。僕にとって「書く」ということは企画書を作ることと一緒で、新しい挑戦をして、勉強していったものが集まって、それが体系化されていくという行為なのです。
――執筆の資料とする本は、どのように集められますか。
村山涼一氏: 昔は池袋の本屋に行って「すみません、ここからここまで全部届けてください」と頼んで、棚買いしていました(笑)。それだけ一度に買っても本は4、5万円程度で済むので、僕にとっては大したことはないんです。棚買いした本は、当然全てが良質な本というわけではありませんが、それでも、どんな本も絶対に役に立ちます。また、「圧倒的に役に立つ本」というのも何冊かは絶対にあります。何かの仕事をして「これ、知りたいな」と思った時に出会ったコアの本は、徹底的に読み込みます。「あなたの読んだ本の中でベスト3を挙げてくれ」などと聞かれると必ず挙げる本もありますが、「この本1冊でたくさん儲けさせてもらっています」というぐらい使い倒せる本もありますよね。マイケル・ポーターさんの『競争の戦略』、伊丹敬之先生の『経営戦略の論理』、印南一路先生の『すぐれた意思決定』などがそういった本です。僕は、本との出会いは「セレンディピティ」だと思っています。
合理的に作られた仕事場
――執務室ですが、デスクが3つに分かれていますね。どのように使っているのでしょうか?
村山涼一氏: 1つのデスクにはパソコンはありませんが、残り2つには、パソコンを置いています。そして後ろに本棚があります。パソコンがあるデスクでは、企画書を書いたり、データ解析をしたり、あるいはネットサーフィンをしています。ですから、椅子をくるくると回しながら、本棚とパソコンに向かっています。パソコンのないデスクでは、いわゆる紙ベースのものを読み込んでいます。紙を読んでいるうちに知りたいことがでてくると、それを探す時に、先ほどのパソコンのデスクを使います。そしてもう1つのパソコンのデスクでアウトプットしています。仕事をする時は、すぐに本や書類が見つかるデスクをメインに使っています。
――とても合理的ですね。
村山涼一氏: 僕は合理的じゃないと嫌なんです。だから新聞でも、切り抜きなど一切せずに、必要なものだけを残しておきます。例えばノンフライヤーがすごく大ヒットしたという記事があります。僕にとって知りたいのは、ノンフライヤーの記事の中で何が成功要因なのかということ。この商品はもともと「エアフライヤー」と言っていたという記事があります。マルチ機能だったものを日本は単機能にしたため、「ノンフライヤー」という名前にしたそうです。これは「カテゴリを作ったから成功したんだ」という絵なんです。
――すぐに分析ができますね。
村山涼一氏: 読むと図形化できるというのが僕の売りです。記事を全部覚えることはできないので、要旨だけ、人に話さなくてはいけないことだけをまとめておき、それを置いておきます。そうすれば、元の記事に戻ることができる。本も一緒だと思います。「あのページに戻りたい」と思った時に付せんの部分を開けば、すぐに戻れるわけです。要するに索引を作っているのです。
――情報の整理とは、少し違うのですね。
村山涼一氏: 整理しないと自分の頭の中に意識付けできませんが、整理し過ぎると面白くなくなるので、そのまま置いておくんです。そして、いらないものは容赦なく捨てます。必要なものだけを大事に大事に取ってあります。
重要なのは「意味」
――電子書籍が登場したことによって何か変わったこと、もしくは今後も変わらないだろうと思われることはどのようなことでしょうか?
村山涼一氏: 実は、横で書かれたものの方が理解が早いのだと脳の専門家が言っています。縦書きのものは記憶しやすいけれど、横書きのものの方が情報処理をしやすいそうです。だから電子書籍で横書きになっているものはすごく重宝しています。それと電子書籍なら、本を溜め込まずに済みますよね。最近は電子書籍をよく読むので、紙の本を買わなくなりました。最近本屋に行くと「村山さん、最近はあまり来ませんね」と言われるようになりました(笑)。でも、紙じゃなきゃいけないものもあります。脂汗を流しながら読んでいくタイプのものがそうなのですが、そういう本を電子書籍で読むのは、僕の場合は無理ですね。だけど、基本書やちょっとした読みものならば、早く読みたいので電子書籍で読んでいます。
――村山さんにとって、紙の本の良さとは?
村山涼一氏: ソシュール的に言うと、「物には形態と意味とある」。本に執着する人というのは形態にとらわれているのだと思います。「紙」だとか「デジタルコンテンツ」などと色々と言いますが、そもそも僕にとってはその本が持つ「意味」が重要で、自分が好奇心を持つ、まだ知らないことを教えてくれるものだったら、形はなんでもいいんです。ただ、格闘しようと思う時は、紙の方が線を引っ張って消せるとか、読みながら書くことができるのでいいですね。僕は「本をいじめる」と言っているんですが、紙の本の方がいじめられるんです。電子書籍はいじめるタイプの本ではないし、できるだけ早く自分が必要としている内容に到達したい。そういった自分の中の使い分けができているだけであって、自分の好奇心を満たすということの意味では、どちらも同じです。
――今後の展望をお聞かせ下さい。
村山涼一氏: リーマンショック以降、消費というものが、生きるために存在していたように感じています。2011年の大震災を経て、生存のためだけに物を食べて生きていくような未来しかないと思っていた人が、この2010~2012年で多かったように思います。特に若い世代にそういった意識が多く見られるので、そういう人たちに、「いや、そうじゃないよ。日本という国はアベノミクスが始まってから、価値が享受できる時代に戻ってきたじゃないか。やっぱりそれが日本のポテンシャルだし、未来なんだ」ということを、マクロ的に言っていきたいと思います。いわゆる「価値」というものをしっかりと知らしめていきたい。それから、先ほど申し上げた「意味が重要なんだ」ということも、執筆活動などを通じて言っていきたいと思っています。
(聞き手:沖中幸太郎)
著書一覧『 村山涼一 』