家庭のゴールは「楽しい」こと
料理をはじめ、「女性のストレス値を下げる」ことをテーマに日々研究されているゆるベジ(ゆるいベジライフ)料理研究家の浅倉さん。助産院で子どもを出産した時に菜食を勧められたことから野菜の魅力にはまり、肉、魚、卵、乳製品、砂糖、みりん、酒、だしを一切使わないベジタブル料理の教室「another~kitchen」を主催。「野菜だけなのに甘い!」「お肉大好きの夫や子供も納得の味!」「すごく簡単!」と口コミで評判が広がり、料理教室は常に予約待ちで全国各地から生徒が通ってくるほど。著書には『あな吉さんのゆるベジ料理教室』などがあり、2013年には『いちばんかんたんな、野菜フリージングの本』『あな吉さんのゆる家事レッスン ラクしてハッピー!』『あな吉さんのハッピーコラージュ手帳術』などを刊行し、活躍の場をさらに広げていらっしゃいます。今回は、浅倉さんと料理との出会い、料理教室を始めるきっかけ、そして家庭におけるゴールについて、語っていただきました。
主婦にとっては、子ども連れ不可はネックだった
――another~kitchen(アナザーキッチン)を始めようと思われたのは、どのようなことがきっかけだったのでしょうか?
浅倉ユキ氏: another~kitchen自体は何度も移転して、今、3軒目になります。私が子どもを産んだ15年前には、料理教室をはじめ子連れで行ける場所がすごく少なくて、今みたいにインターネットも一般には普及していませんでした。私は友達よりも少し早く子どもを産んだので、子育て情報が友人から手に入らなかったのです。兄弟もいないし、引っ越して来たばかりで近所に友達もおらず、親に相談をしても、何しろ20年も前の話だから感覚も条件も違うし、情報があやふやだったんです。本屋で調べようとすると、今度は真面目過ぎて内容についていけない。それで「子どもがいる人同士は、どこで情報交換したらいいんだろう」と悩んでいました。子どもを産んでからは、体に良いものに興味が出てきて、自分も母乳のために良いものを食べたいと思い、料理教室に行こうと思いたったんです。近所の公民館などで開催されている料理の勉強会などを探してみたところ、どの場所も子連れ不可だったんです。その時、「子供連れでもできる料理教室があれば」と強く思ったのが、一番のきっかけになっているんじゃないかなと思います。
――子連れでは参加ができないことが多かったのは、なぜだったのでしょうか?
浅倉ユキ氏: 包丁を使うので、どこの料理教室も「子どもは預けてきてください」と書いてありました。でも、子どもを預けて教室に通うのは、主婦にとってはすごくハードルが高いんです。保育園などはフルタイムで働いている人のためのもので、一時保育をしている施設も今よりもっと少なかったんです。収入がないのに時給1000円以上払ってまで、500円の料理教室のために行けるかといえば、やっぱりそれは難しい。今は違うかもしれませんが、当時は子連れ不可が主流だったので、「それならば自分が作ろう!」と自宅で子連れオーケーの料理教室を始めたんです。自分も料理が得意だったし、友達が「料理教室を自分でしたらいいじゃない。ゆきちゃんから教わりたいな」と、背中をおしてくれました。私が作ったものを食べてもらって、レシピを配って口頭で説明するという、昼間にお母さんたちが子どもを連れて来られるものにしたら、口コミで多くのお客さんが来たので驚きました。それが大きくなって移転し、最初は自宅の一角だったのが、今はここの阿佐ヶ谷の1軒屋をスタジオにして、連日講座を開催しています。
――開催されている講座は、子連れオーケーのものが多いのですか?
浅倉ユキ氏: 基本的に一部の長時間に及ぶ講座以外は、全て子連れオーケーにしています。子どものいるお母さんたちが学べるような空間となっており、10人集まれば2人位は子ども連れでいらっしゃっているような状態です。私はサークルではなくて、全国から有名な講師をお呼びして、赤ちゃんを抱っこしたまま受講できるというものを目指したかったのです。今は畳の部屋があるので、そこで赤ちゃんを寝かしておけるというスタイルにしました。
――浅倉さんの料理教室はすごく人気がおありですが、「ゆるベジ」というのはどのようなコンセプトなのでしょうか?
浅倉ユキ氏: 少し変わったことがしたいなという思いがあって、肉、魚、卵、乳製品は一切使わないというものにしました。お母さんたちの話を聞いてみると、「肉やチーズなどは子供も大人も食べるけれど、野菜を食べてくれないから心配」という人が多くいました。そういった声を聞いて、私はベジタリアンではないのですが、「野菜を野菜の味だけで美味しく食べる」というのを目指すことにしました。ゆるベジは、研究色が強いかもしれません。千切りのニンジンをそのまま食べると、セリ科の臭いが苦手だと感じる方もいると思いますが、ニンジンを6分炒めるとものすごく甘くて、チーズのような味になるんです。時間を何度も計って試した結果、2分ではなく6分炒めればいい、ということが判明し、その発見が楽しいのです。昨年『いちばんかんたんな、野菜フリージングの本』という冷凍野菜の本を出しました。その本のために片っ端から野菜を冷凍してみましたが、全部だめになっていくんです。でも、すりおろしてから冷凍すれば大丈夫な野菜があったり、ピーマンは冷凍したらえぐみが減るなど、美味しくなる鋭角の点といったものを発見するのが、私自身もすごく面白いので、納得するまで徹底的に繰り返し試します。
――仕事をする上で、何かこだわりはありますか?
浅倉ユキ氏: 私は自分のできること、自分にしかできない仕事を淡々とつきつめていきたいと思っています。人の役に立つ、そういった手ごたえがある時が1番うれしいです。
昔から感じていた、料理の面白さ
――昔からお料理はお好きだったのでしょうか?
浅倉ユキ氏: 母があまり料理好きではなかったんです。ですから、高校生の時は毎日自分でお弁当を作っていて、受験の日も自分でお弁当を作りました(笑)。
――料理は独学なのでしょうか?
浅倉ユキ氏: そうです。料理が得意な人の中には、母親があまり料理をしないという人も結構多いようです。母は料理が苦手だから私の料理に口出しをしませんし、「料理に使う」と言えばオーブンレンジも買ってくれました。その頃、実家は生協の宅配を利用していたのですが、カタログごと渡してくれて「好きなものを好きなだけ頼んでいいよ」と言われていました。料理本を見てどんどん材料を注文して買い過ぎたりしても、台所を散らかして放っておいても、まず文句は言われませんでした。「それで料理好きになるんだったら」と母は許してくれていたのだと思います。だから料理に関しては面白いという感覚をずっと持ち続けることができたんだと思います。
――料理を作った時のご家族の反応はいかがでしたか?
浅倉ユキ氏: 親も「天才だ」などと褒めてくれましたし、学校にお弁当を持っていくと友達からも好評で「ちょうだい!」とよく言われていました。それがうれしくて、皆の分までお弁当を作っていた時期もありました。大学生になって「東京で一人暮らしをする」と伝えると、実家が千葉だったので「東京まで通えるから出なくていい」と親には言われました。でも「仕送りは要らないから」と言って、一人暮らしを始めました。
――敢えて家から出ようと思ったのはなぜだったのでしょうか?
浅倉ユキ氏: 自立心が強かったんです。仕送りがないので、当時は1週間の食費が500円~1000円位。お風呂も電話もないアパートで生活をしていて、野菜しか買えませんでした。お肉を500円分買っても1食、2食分で終わってしまうけれど、野菜ならば、キャベツ丸々1個と大根1本が同じ値段で買えます。だから当時は野菜ばかり食べていましたね(笑)。
――そういった生活から学んだことはありますか?
浅倉ユキ氏: グラタンや餃子が食べたくなったら大根を代用してみたりして、その時あるもので作るということを考えるようになったかもしれません。必要なものは自分で作る、というのは今の仕事とつながっているようにも思います。
当時は、小麦粉を1キロ買ってうどん、パン、すいとん、お焼きなども全部自分で作っていました。そのうちに段々と凝るようになり、パンも天然酵母で作るようになりました。野菜や果物をはちみつと一緒に漬けこんで発酵したものを利用すると、パンが膨らむようになると本で読んだのですが、私は同じく糖分を含むジャガイモの皮を利用しました。皮を水につけて1週間位ふたを開けては混ぜてという作業を続けていると、ぶくぶくいってくるんです。それを小麦粉に混ぜて発酵させると、イーストだと1時間位のところ、発酵力が弱いために膨らませるのに4日もかかりました。そのパンをぱりっと焼くために魚焼きグリルで焼いてみたのですが、当時私が使っていたグリルは上火しかなかったので、片面だけしか焼けませんでした。そこで、公園で拾った石を煮沸消毒してグリルに敷き詰め、先に石をオーブンで焼き、火を弱めてからパン生地を入れて両面に火を通す、などとアイディアを出して遊んでいました。