面白いと思っている限り、不幸はない
――浅倉さんはバッグパッカーとして、世界中を回られていたこともあるそうですね。
浅倉ユキ氏: アフリカやインドなどにも1人で行くタイプだったので、たくましくなったのかもしれませんね。そういったサバイバル精神が大学時代の貧乏生活にも生きたのかな、という気もします(笑)。どんな状況でも面白がっている限りは不幸ではないですよね。だから当時はすごく楽しかったです。
――なぜアフリカを選ばれたのでしょうか?
浅倉ユキ氏: 韓国やタイやインド、東南アジアやヨーロッパ、それからアメリカにも行ったのですが、友達になったインド人の女の子から、「親戚がアフリカにいる」と紹介されたんです。その子が文通で「アフリカに遊びに来てね」と言ってくれたので、マラリアの注射などを打って、すぐに飛んで行きました。そのご家庭にホームステイさせてもらって、2、3週間過ごしたんです。その後、その子が「結婚式に参列してくれ」と言ってくれて、その子のインド式の結婚式が2回目のアフリカ訪問となりました。アフリカでは、「明るい道だし、人も通ってるし、大丈夫かな」と歩いていたら、後ろからホールドされて荷物を全部持っていかれた体験があり、今考えるとちょっと危なかったなと思います。怖いもの知らずでしたね。
――かなり危険な体験をされましたね。
浅倉ユキ氏: 「仕方ないな」という気持ちと、どこか面白がっている気持ちとが、半分半分でしたね。タイに行った時も、ホテルのフロントにある鍵のかかる金庫のようなところに財布を預けたら、減っていたんです。あまりにも話をはぐらかされてカチンときたので、その場でタイの警察を呼んだんです。「ホテルじゃ話にならないから、向かいの喫茶店でじっくり話を聞きます」ということになって警察の人と話をしていたら、いつの間にか次の日その警察の人とバイクでツーリングをしようという計画に話が変わっていました。でも、ツーリングの行き先が彼の実家だということが分かったので、途中で帰りました(笑)。
本はみんなの作品
――本を書くきっかけとなったのは、どのようなことだったのでしょうか。料理教室の口コミがきっかけとなったりしたのでしょうか?
浅倉ユキ氏: ちょうどヘルシーブームが始まった頃でもあったので、場所も移転してどんどん規模も大きくなり、途中から本の話なども同時期に何社からかお声をかけていだだくこともありました。私は出版に関してはあまり乗り気ではなかったのですが、すごく熱心にお話をしてくださった人がいて、「この方となら一緒にお仕事をしてみたいな」と思ったのが出版のきっかけとなりました。本作りにおいては、本当に編集者さんありきです。出版のお話を下さった河出書房新社さんは、最初に私の料理教室を見に来た時に、「3冊本を出しましょう」とまで言ってくださいました。1冊目を撮り終わると「次の企画はこれにしましょう」といった感じでどんどん繋がって、そのうち他の出版社からも話をいただくようになり、トータルで料理本が16冊になりました。
――料理本を作られる時は、どのくらいの人数で作り上げていかれるのでしょうか?
浅倉ユキ氏: 料理本に関してはスタッフが多いです。カメラマンさんやデザイナーさん、スタイリストさんと編集者さん。それから、出版社さん。色々な方たちとチームで作っていくものですので、本は皆で作品として仕上げて行くもの。著者の意をくんでくれる方や、何が書いてあるか、どういう外観にするかというデザイン的な部分に力を入れる方。それから、家で自分で作ってみて「このレシピ通りに作ったらこういう風になっちゃったんだけど、何か言葉が足りないのではないでしょうか?」などとディレクションしてくださる編集者もいます。優れた編集者の力によって、著者の持っている力以上の本になることもあると感じています。著者は自分の頭の中のものを形にするので、どうしても独りよがりな部分も出てきてしまいます。それを客観的に見て、分かりにくい部分に関しては分かりにくいとダメだしをしてくれるし、時には取材してくださって、内容をさらに引き出してくれたりもします。そういう風にぶつかりながら仕事ができる方と組めると幸せです。
著書一覧『 浅倉ユキ 』