人生は1度きり。自分のやりたいことをしたい
――原発の敷地として受け入れさせられてしまった場所がありますが、そのことについてどうお考えですか?
小出裕章氏: 経済的にどんどん疲弊していって自分のところでは仕事もない、出稼ぎに行くしかない、家族もばらばらの生活をしなきゃならない、これはなんとか抜け出したいなと思っているようなところに、押し付けられてきたのだと思います。だから一概に押し付けられてしまった、立地をされてしまった人たちのことを私は責めることはできません。なんでもかんでも東京に集中していってしまって、地方はますます過疎になります。そして1度原子力発電所を作らされてしまうと他の産業は全然寄ってこなくなり、原子力発電所が年を経ていくと固定資産税や交付金が減っていきます。そうするとどんどん貧乏になっていき、また次の原子力を作ってくれと寧ろ地域から頼まなければいけなくなるという構造になってしまっているのです。それは必ずしも地域の問題なのではなくて、日本の国造りが間違っているのだと思います。だから、原発を止められないのです。
――ご自著でも、「そんなことは言いたくないけれど、生きている間に、もしくはこの100年の間にガラッと構造が変わることはないだろうな」とおっしゃっていましたが、それでもなお反旗を翻してやっていこうというのには、どういう思いがあるのでしょうか?
小出裕章氏: 言わなければいけないことはあるわけですから、言わないでいたら面白くないじゃないですか(笑)。私は1回しか生きられない。そして、明日死んでしまうかもしれない。私は、世界中、70億人の人がいる中で、他の誰でもない私なのです。みんなそれぞれ、ある歴史を背負ってかけがえのないその人としてこの場にいる訳じゃないですか。なのに、かけがえのない存在として生きなかったら損だと思いませんか?せっかく生きているのに、金のためや地位のために生きても面白くない。「これだけはやりたい」と思うことをやるのが一番いいのではないかと私は思います。
私の仕事は、私にしかできないことをすること
――執筆についてお聞きしたいのですが、本を書こうと思ったことはないそうですね。
小出裕章氏: はい。今でもあまり興味がありません。例えば私が180度転換した時、私の前には、女川という町があり、そこで生きている人々がいて、東北電力がブルドーザーで原発を作ろうとする、そういう現場がありました。ですから、その現場でやらなければいけないことに、私は向き合いたいと思いました。今も同じです。皆さんがいる場所とは少し違う特殊なこの場所にいて、この場所でしかできないこと、私にしかできないことということがあります。それをやるのが私の仕事です。本を書くことは、私にしかできない仕事ではありません。今この場所で私がやらなければいけないこと、例えば福島の放射能で汚染された試料を測定するということは私の仕事です。他の人にはできないから私がやるのです。その報告書を書くのも私の仕事です。ですが、一般の人たちに向けて何か易しい言葉を使って啓蒙書を書くということは私の責任ではないと私は思います。
――何がきっかけで本を出すことになったのでしょうか?
小出裕章氏: 92年に出した最初の本、『放射能汚染の現実を超えて』では、出版社と私との間を橋渡しした人がいるのです。「お前がこれまで書いてきたものを集めて、1冊の本にして出すことは価値があることだと思う。この出版社が引き受けてくれると言っているから出さないか」と私に声をかけてきたのです。私は、「そんなことに私の時間を使う気がありませんから、お好きなようにやってください」と言いました。そして、間に入ってくれた人と出版社の人が話をして、私が現場で書いた報告や、問題にぶち当たってどうしても発言せざるを得なくなって書いた文章などを集めて、1冊の本にしてくれたのです。今まで出した本は全て、私が書いたものや発言したものを編集者が集めてきて、本にするという形で出版されました。
――本の価値について、どのようにお考えですか?
小出裕章氏: 歴史とは、無数の出来事でできていますが、その無数の出来事のうちのほんの一部だけが歴史として残されてしまいます。私からすると、権力者がただ歴史を作っているという風に思えてしまうのですが、無数の歴史にはそれぞれに価値があるはずであって、70億の人間がいれば70億の大切なことがあるわけだし、70億の個性があるわけです。どれに価値があってどれに価値がないかというようなことは、私はないと思います。でも残念ながら、歴史は権力者が自分の都合のいいようなものだけを残し、書き残さなければ消されてしまうのです。そういう意味で言えば記録や本というものは、大変価値があると思います。権力の側ではない、民衆の側のものをきちんと書き残す、本にしておくということは大切だと思います。
――今後の活動予定は?
小出裕章氏: 朝寝、朝酒、朝湯が大好きで、それで身上を潰したと言われる、小原庄助さんになろうと思っています(笑)。実は私は、先のことを考えないので、約束しているのは半年先までなのです。「それ以上先は生きているかどうかも分からないので、一切約束はしません」と言っていて、講演会の約束も半年先まで。ですから、あと1年経ったら私がどうなっているかは、自分でも考えていません。こういう考え方になった決定的な理由は、自分自身が次郎という子どもを亡くしたことです。その次郎が半年生きただけで逝った時に、「ある時生まれて、ある時突然死ぬ。命ってそういうものだ」ということを納得してしまったので、「明日死ぬかもしれない」と心底思っています。私は今やれることをやる、それだけです。
(聞き手:沖中幸太郎)
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