瞬間的な結果ではない。目標は「人を育てる」こと
早稲田大学在学時に、芥川賞作家の三田誠広氏に師事。ご自身の国語力、文章力を活かし、2002年に国語専門塾小平村塾を開かれました。大臣賞や総裁賞の受賞者を輩出し、たった1日の作文講習会で、受講生の偏差値を42から70に上げた実績も。著書には、『コミュニケーション力を高める文章の技術』『「本当の学力」は作文で劇的に伸びる』『家庭で伸ばす「本当の学力」作文親子トレーニング』などがあります。作文のスペシャリストである芦永奈雄さんに、ご自身の国語力が上がったという勉強方法、小平村塾での教育方針、芦永さんの考える「グローバル」、電子書籍などについてお聞きしました。
3人の授業、3回の課題が国語力アップへと繋がった
――現在は国語専門の小平村塾を開かれていますが、昔から国語は得意だったのですか?
芦永奈雄氏: いいえ、高校3年生までは国語は大の苦手でした。現役受験の時まで、小論文すら書いたことも無かったのですが、希望の学部を変えたことで小論文が必要になり、予備校に通い始めました。小論文を教えてくださる先生は当時3人いたのですが、普通はどなたか1人の授業を選ぶところを、私は3人の授業を全て受けました。二浪というずいぶん落ち込んだ状態にありながら、小論文を書いたことがないという、スタートがゼロに近い状態だったので、「とにかくやってやろう」と思いました。3人とも課題は同じでしたが、同じ課題を3回も書くと圧倒的に力が付くわけです(笑)。半年ぐらいが過ぎた頃に成績が上がっていき、60だった偏差値が二浪目の秋には74まで伸びました。その頃には早稲田大学を受けると決めていました。赤本を見て出題傾向などを徹底的に分析していたので、記述問題などの文章に関して全く困らなくなっていました。世界史をとっていたので、「何百字以内に書きなさい」という問題の宿題があると、文学的な表現を交えて書けるようになっていきました。
――どういった理由で国語力が上がったと思われますか?
芦永奈雄氏: もちろん問題集などでも色々と勉強をしましたが、当時は小論文を徹底的に勉強し、その書き方を学ぶというよりも、自分の頭で一所懸命に持論を展開しようとしていたところが大きかったと思っています。
自身の国語力を生かして、開塾を決意
――昔から、塾を作ろうと考えてらっしゃったのでしょうか?
芦永奈雄氏: 小説家になって身を立てようと思っていたこともあったのですが、その望みは絶たれました。2001年、私の師である三田先生から、元旦に送ったメールの返事が来ました。ちょうど21世紀が始まった時で、「20世紀の所感」と書かれたそのメールに、「小説家という職業は20世紀で終わったという気がします」と書かれてあったのです。先生は、ただなんとなく書いただけだったのかもしれませんが、私はそれにショックを受け、「どうしようかな」と考え込みました。会社勤めは、あくまでも小説家になるための腰かけぐらいにしか捉えてなかったので、「もうここにはいられない」「望みもないのにこんなことをやっている場合ではない」と思い、自力でやってみようと、独立することにしました。
――それで、学習塾を開かれたわけですね。
芦永奈雄氏: その当時、私には実績として独立してやっていけるような武器がありませんでしたし、プロとしての実績もありませんでした。いくつか試しましたが、最終的には「自分の一番の強みというのは国語、文章だな。これでなんとか身を立てよう」という結論に至り、学習塾に前から興味があったのもあって、塾をやろうと思ったのです。最低でも英語と数学と3教科ぐらいはやらないといけないだろうなと思っていたのですが、人を雇える状況でもなく、自分で3教科を教えるのも大変だなと。それで「余計なことはできない、自分が一番得意とするものに絞るしかない」と考えたのです。
――国語だけに絞ることになった決定的なきっかけは、なんだったのでしょうか?
芦永奈雄氏: 国語力というのは学力全般に関して大事だと、その段階ではぼんやりと思っていて、特に国語をやる上では文章力というのがものすごく大事だなというのを、身を持って経験していたので、国語を中心にやっていこうと思いました。
当時、メルマガを出していたのですが、感想や質問など、読者からの反応が結構ありました。特に学校の先生からのメールが非常に多く、「学校で小論文を教えていますが、私自身、習ったこともないしどう教えていいのか分からなくて困っています」という内容のメールばかりでした。考えてみると、それはある意味当たり前で、先生になるまでに、システム的に小論文を専門的に教わるということがないし、教師になってから勉強するとは言っても、なかなか難しいですよね。その時に、日本の国語教育における現状に気付き、「国語専門でいってみよう」と思いました。
――周りの方の反応は、どのようなものでしたか?
芦永奈雄氏: 周りからは、「国語だけで生徒が集まるわけない」とか「うまく行くわけない」「無理だ」「やめたほうがいい」と散々で、「いいんじゃないか」と言った人は一人もいませんでした。でも、当時の私は会社にも辞めると伝えてしまっていて、もう後がない状態だったので「これでいくしかない」と覚悟を決め、他の選択肢を捨てて突き進みました。それで、かえって「じゃあ自分がやってやろう」と思いました。人から「無理だ」などと言われると、燃える性質(たち)なんです(笑)。
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