専門家が情報を与えてくれるのを待つのではなく、一緒に必要な情報を作り出すべき
――生活者はどのように変わっていけばいいのでしょうか?
佐倉統氏: 現代において、これだけ日常生活の中に科学・技術が入り込んでいて、その上に社会があるんだということを、もう少し意識していただきたいなと思っています。専門家が解決策や必要な情報を与えてくれるのではなくて、社会生活のために必要な科学技術、情報や知識を専門家と一緒に作っていかなければならないのです。もう1つの典型的な例だと思うのが、イギリスで何年か前に導入されたダウン症の胎児の出生前診断。以前の方法より早い時期に診断結果が分かるようになったのですが、その後の調査で、新しい方法での診断を受けた妊婦さんはむしろ悩む期間が長くなっただけで、必ずしもハッピーではない、ということが分かりました。なんでハッピーじゃないのかというと、「堕胎したらどういう生活になって、堕胎しないで子どもを産んだらどういう生活になるのか」ということに関する情報やイメージが全然ないからなのです。それで今イギリスや日本では、ダウン症の子どもたちと過ごしている人たちの生活がどういうものかというのを、一般の人の視点で考えようというプロジェクトが少しずつ始まっています。技術だけではなく、それを人間の生活と繋げていくこと。そのためには、専門家からの働きかけはもとより、生活者自身も知識を使いこなすことが必要になります。それが重要だと思います。
――生活者も、もっと意識を高めないといけませんね。
佐倉統氏: そうですね。使いこなせたら便利な技術や情報も、たくさんあると思うのです。でもそれを使いこなすためには、使いこなす側の人が「こういう風に使いたい」ということをきちんと考えなければいけません。新しい技術ができるとそれに応じて、社会の方も変わってきますよね。技術的にみれば明らかに性能がいいのに、社会には定着しなかったものもたくさんありますので、状況に応じていろいろ考えて順応していく必要があります。
――電子書籍における問題点とは?
佐倉統氏: 電子書籍というパッケージと媒体がどれくらい上手くフィットするかですね。例えば、紙の本だと自由に書き込んだりできるわけです。電子書籍はマーカーはひけますが、本に直接自由に書き込みができないのが難しいところだと思います。
あと、アーカイブとしての本と、コミュニケーションの道具としての本の可能性に関しては、2つに分けて考えていかないといけないのかもしれない、とぼくは思います。コミュニケーションのツールとしては、紙の本と電子書籍では、あきらかに違いますよね。紙の本は1つのコミュニケーションのメディアとしてあの形になっているから、ビブリオバトル(知的書評合戦)もありうるわけです。電子書籍は、ぼくも最初はよく使っていました。漫画やエッセイ集など、サラっと読めるものの場合は便利だと思いますが、じっくり調べたい時や一覧性が必要な時などは、紙のほうが見やすくてガッツリ読めますよね。
――佐倉先生のように、一覧性という部分に関しては紙の本が便利だという人もいらっしゃいますね。
佐倉統氏: アメリカで最近出た統計というのを見ましたが、電子書籍が27%だか30%ぐらいで、頭打ちになっているといった分析でした。
例えば、巻物が書籍に変わってきた時も、ページを閉じてめくるというパッケージに合った内容や情報の流通、教育の仕方が作られてきたわけです。今の電子書籍の場合にも、あの媒体にあった形、あるいはインターネットとの連携にもっと適した形での情報の生産や発表、流通の仕方があるのだと思うのです。
本屋は、図書館に近い形になっていくかもしれない
――読む本は、どのようにして選ばれるのでしょうか?
佐倉統氏: 東京駅の丸善がちょうど通勤途中にあるので、時々寄って行きます。丸善やジュンク堂などの大型書店は、店内をブラブラしているうちに意図しなかった本を手にとり、買って帰ることが結構あります。すぐに絶版になってしまうものもあるので、「ここで買っておかなければ」と思いますよね。「電子書籍が普及すると本屋さんが困る」といった話もあるようですが、逆にそういうところに活路が見いだせそうな気がします。コンシェルジュ機能だったり、ミュージアム的な機能などが増えていくといいかもしれません。そういう意味では図書館に少し近くなってくるかもしれませんね。司書の方がいて色々と参照してみたり、そこで電子書籍もパッと買えて、「借りる場合はいくら」といったように、わかりやすく、且つ自由にできるといいかなと思います。
――今後の展望をお聞かせください。
佐倉統氏: 科学・技術は便利だし、楽しいものだとぼくは思うのです。技術を上手く使えば今までできなかったことができるわけだし、科学だって、今まで分からなかったことが分かるようになるわけです。こんなにワクワクする楽しい話なのだから、「私は文系ですから」と言って自らバリアを張ってしまう人が結構いたりもしますが、「もったいないな」とぼくは思うのです。例えば、今ではすっかり人間の生活に馴染みのあるフォークも、300年ぐらいの試行錯誤の結果、今のような形になっているんです。フォークやナイフも科学と技術の産物なんだし、日常生活とのやりとりで形作られてきたものなわけです。そういったように、科学と技術をみんなが使っているのだから、みんなが当事者ですよね。だから、皆さんの好奇心を3cmぐらいずつでも伸ばしていただきたいなと思いますし、科学者も、社会の方と融合していくような活動ができればと思っています。
(聞き手:沖中幸太郎)
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