飯間浩明

Profile

1967年生まれ。香川県高松市出身。早稲田大学第一文学部卒業。早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得。現代日本語を専門とし、国語辞典の編纂に従事。早稲田大学などで非常勤講師も務める。NHK Eテレ「使える!伝わる にほんご」の講師を担当。 著書に『三省堂国語辞典のひみつ』(三省堂)、『辞書に載る言葉はどこから探してくるのか?―ワードハンティングの現場から』(ディスカヴァー携書)、『辞書を編む』(光文社新書)、『ことばから誤解が生まれる―「伝わらない日本語」見本帳』(中公新書ラクレ)など。

Book Information

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辞書作りに向いている性格


――ご出身は香川の高松だそうですね。


飯間浩明氏: はい。古い日記が家に残っているのですが、それを読むと、相当ひねくれた小学生だったようです(笑)。小学5年生の時には英語の教室に行っていたのですが、“今日は英語の教室に行った。カードで遊んだり、英語のテープを聴いたりした。ただこれだけのことに高い月謝を払わなければいけないのか。ま、楽しいからいいが……”といった内容が書いてあるのです。『新明解』よりもひねくれていたような気がします。今もそうですが、あまり人付き合いが得意ではなくて、人が白と言えば黒、上と言えば下といった感じで、何か人と違うことを言おうという気持ちがありました。このあたりの性格は、実は辞書作りに向いているかもしれません。辞書は人真似が禁物ですからね。国語辞典を扱った映画『舟を編む』を観ましたが、松田龍平さん演じる主人公も、人付き合いが下手。それでも、言葉に対しては一徹で、そこを見込まれて辞書編集の道に入ります。私自身もそういうところがあります。もともと、人の趣味に関心がなくて、小学校の友達がバラエティー番組の話題で盛り上がっていても、私はNHKのニュース解説などを見たりしていましたね(笑)。

――一風変わった飯間少年ですが、どんな将来を描いていたのでしょうか。


飯間浩明氏: 幼稚園を卒業する頃の夢は新聞記者でした。小学生の時は手塚治虫の大ファンだったので、漫画家になろうとしました。それから、NHKのアナウンサーになりたかった時期もあります。中学の時にアナウンス大会の予選に出てトチッたので、「これは無理かな」とも思ったんですけどね。大学に入ると、だんだんと現実的になってきて、さすがに漫画家などは無理だと分かりましたが、ではどうするか、まだ漠然としていました。少なくとも、すぐに就職してサラリーマンになるというのは自分の柄ではありませんでした。でも、大学時代から、色々な国語辞典を引き比べるのは好きでした。

見坊豪紀先生との衝撃的な出会い


――その辞書好きが決定的になった一つの節目はある先生との出会いだとか。


飯間浩明氏: 大学院に入る頃に、見坊豪紀(けんぼう・ひでとし)という、『三国』を作った人の著書に出会いました。一度も会わないうちに、ご本人は亡くなってしまいましたが、心の恩師です。先生の本には、「旅行にも行かず、酒も飲まず、人間的な生活を全て捨てて、100万語を超える言葉を集めている」という趣旨のことが書いてあります。「この人はただ者じゃない」と衝撃を受けました。失礼ですが、最初は「面白いオッチャンだ」と思っていました。見坊先生は、辞書の編纂をしながら、自分が集めた珍しい言葉を『ことばのくずかご』という1冊の本にまとめました。誰も使わない言葉や、言い間違いのようなものなど、辞書に載らなかった変な言葉ばかり、たくさん載っていました。それが面白くて、娯楽として読んでいたんです。しかし、だんだん恐ろしいことに気づくようになります。この小さい単行本の中には、数千の「辞書に載らない言葉」が入っています。これを選ぶために、いくつの言葉を集めたのだろう、いや、「辞書に載る言葉」も含めたら、どのくらいの数の言葉になるのだろう、と思い至ったのです。その答えは実に145万語ということでした。気が付いたら、見坊先生に心服していましたね。それと同時に、そうやって言葉を集めて意味を考える、説明を記述するということを日常的にやっている辞書編纂者に憧れるようになりました。私にとっては、見坊先生がロールモデルだったのかもしれません。そうやってどんどんと辞書の世界にのめり込んでいきました。でも、国語辞典の監修で有名な金田一京助博士は文化勲章を貰っていましたし、「辞書を作る人というのは偉くなくてはいけないらしい」ということも頭の片隅にあり、自分の中ではあまり現実的な夢ではありませんでした。

――辞書編纂の仕事が現実味を帯びたのはいつ頃だったのでしょうか?


飯間浩明氏: 大学院を出て、言葉に携わる仕事ということで、最初はアルバイトとして三省堂の辞書編纂のお手伝いをするようになり、奥川さんという編集者と類語辞典を一緒にやっていました。彼に自分の書いた原稿を見てもらっていたら、2005年の秋のこと、「今度、『三国』の第6版を出すので、飯間さんがやってください」と言われたのです。類語辞典での経験もあるし、「尊敬する見坊先生の『三国』に少しでも携わることができるのなら」という思いで、仕事を引き受けました。「きっとアルバイトだろう、でも、それにしてはやることが多いな」と感じていたのですが、「私はどういう資格で『三国』に携わるんでしょう」とわざわざ聞くのも気が引けたので、曖昧なまま準備を続けていました。ところが、「作業が本格的に始動するので、今度は三省堂に来てください」と言われて行ってみたら、私の他には柴田武先生・市川孝先生・飛田良文先生といった偉い先生しかいなかったのです。つまり私は『三国』の正式の編集委員になったのだと、あとから気付きました。でも、もし初めから「あなたは偉い先生と一緒に編集委員として名前を連ねるのですから、そのつもりでやってくださいよ」と言われていたら、私はすごくビビっていたと思います(笑)。もちろん依頼は受けていたとは思いますが、当時はよく理解していなかったのです。この第6版は2008年に出ました。

嘘を書かないこと。取材は欠かせない。


――辞書の編纂を始める前に、本を出されていますね。


飯間浩明氏: 2003年に、岩波アクティブ新書から、私の初めての本となる『遊ぶ日本語 不思議な日本語』を出しました。私は大学院の頃からホームページに言葉に関する文章を書いていて、それが結構な量となりました。すると、ある日『広辞苑』の編集をやっていた増井元さんという名編集者から、「色々とホームページで面白いことを書いていますが、これを1冊の本にしませんか」と、メールがきました。辞書のことを多少でも知っている人ならば、『広辞苑』の増井さんを知らない人はない、辞書編集の神様です。メールが来た時には、本当に驚きましたが、実際に本になると決まった時はうれしかったですね。私の本の担当は、途中から鈴木さんというもっと若い方に代わりましたが、ゲラのやり取りなども初めてだったので、ドキドキしていたのを覚えています。

――初の著作はどのようにして進められましたか。


飯間浩明氏: 私としては、「あの岩波から本を出すのだから、ホームページの文章をそのまま使うわけにはいかない!」と考え、大半は新原稿になりました。新たに取材にも行きました。川端康成の“国境(こっきょう)の長いトンネルを抜けると雪国だった”という文章について「日本にあるのは、国境(くにざかい)。だから「くにざかい」と読むべきだ」という意見が根強くあります。でも「くにざかい」だと時代劇みたいだし、川端康成の新感覚派の文章は「こっきょう」と音で読みたい。それで、実際にどちらが作者の意図に沿った読み方なのか確かめてみようと思って、越後湯沢にある川端康成の記念館「雪国館」に行きました。そこにはアナウンサーが『雪国』を朗読している古いVTRが残っています。「こっきょう」と読むアナウンサーの発音を、隣で川端がウンウンと頷きながら聞いており、「こっきょう」が川端康成の公認の読み方だったことが窺えます。その他、取材で得た複数の資料を元にして、「あれは“国境(こっきょう)の長いトンネル”と読んでもよい」という文章を書きました。その数行を書くために新幹線に乗って、日帰りで取材に行ったことが、一番印象に残っています。

――しっかりとした裏付けをとるためには、現地取材も欠かせない。


飯間浩明氏: 一般向けの気楽な本でも、嘘を書いてしまってはいけませんからね。また、文章にはかなり気を遣いますし、読んで少しでも違和感があると変えたくなるので、初校、再校、三校、その全部が真っ赤になります。「ちょっと赤を入れすぎたかな」と思うこともありますが、自分の文章に納得したいので、その点はご勘弁願いたいんです。書き手としての責任の重さはネットでも紙でも同じですが、ネットだと、万が一間違ったことを書いたとしても補足ができます。紙はそうそう書き直すわけにいきませんので、やはりネットとは違います。ネットでの文章は、自分では何回も読み返しているつもりですが、専門の編集者や校閲の目が入らないために、誤字脱字や文字の不統一などがどうしても残ってしまいます。残念なことですが。

――外部の目である編集者たちには、どのようなことを求められますか。


飯間浩明氏: 書き手の立場から言うと、「第一の読者」という存在ですよね。校閲の方の青字を拝見すると、「これは気付かなかったな」という指摘が細かく書いてあります。例えば「言葉の使い方が辞書に載っているのと違います」とか、「これだと2通りに意味がとれますが、どっちの意味ですか」とか。「矯めつ眇めつ」という感じで1行ずつチェックしてくださるので、それだけ紙に印刷される文章は信頼できるものになります。遠慮深い編集者もおられますが、むしろ、何でも言っていただいたほうがありがたいですね。文章って、本当に、自分だけでは書けません。もちろん、基本的に責任を負うのは著者で、「これで行こう」と最終判断するのも著者です。でも、著者が読者の目線に立って読もうとしても限界があります。そこに編集者や校閲の方が加わることで、チェック機能が外在化されます。チェックする方は、決して、学校の先生のように、語句を赤字で直すようなことはなさいません。原文尊重の精神です。あくまで、「こうしてはどうですか」という提案として書き添えてくださいます。そこに奥ゆかしさを感じます。

著書一覧『 飯間浩明

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