「本といえば電子書籍」という世界になっていくかもしれない
――iPadなど、電子書籍を活用されているそうですね。
飯間浩明氏: iPadは肌身離さず持っています。何年後かは分かりませんが、いずれ「本といえば電子書籍」という状態になるでしょう。『三国』も、次の第8版か第9版ぐらいになると、電子版がメインになるかもしれません。今や、学生に「紙の辞書は一覧性があっていいですよ」と長所を説いても、ほとんど反応してくれません。彼らが使うのは、専用機の電子辞書か、さもなければ、スマートフォンやタブレットのアプリ版です。この傾向は今後も強まるでしょう。私も、2、3年前までは、電子辞書の利便性についてはまだ懐疑的だったのですが、ハードウェア、デバイスの進化は著しいですね。私は、今iPadを使っていますが、以前に出ていたものはハードウェアが一回り大きかったし、分厚い学術書とほぼ同じ重さがあって、持つのが疲れました。小さい文字はドットが粗いためによく読めませんでした。でも、今出ているものはだいぶ軽くなって、小さい文字もきれいに見えます。「これなら使えるかな」というところまで良くなりました。今後は、文庫本と同じ重さぐらいまで軽量化してほしいですね。今の2分の1ぐらいの細かい文字でも表示できれば、文庫本の版面と見分けがつかなくなります。電池が入っているか入っていないか程度の差になれば、みんな電子書籍を選ぶでしょう。
――資料の電子化もされているそうですね。
飯間浩明氏: 今回の『三国』第7版(2014年1月刊)の編集に当たっては、基礎資料として、とにかく大量の言葉のデータベースが必要でした。家には辞書の資料となる小説・エッセーなどの本がけっこうありますが、どこに何が書いてあるか、すぐには調べられません。それで、いわゆる“自炊”ということになりました。文学全集など、何十巻もあるのを、据え置き式のカッターで全部切り刻んで、スキャナーにかけてテキストファイルにします。今のところ、1,000冊前後は電子化しました。全20巻の国語辞典で、初版のものを切り刻んだ時は心が痛みましたが、自分の持っている本の何ページ何行目にどのような言葉が載っているのかを知りたい、という気持ちの方が切実でした。例えば、「この言葉は確か北杜夫の小説に書いてあったということだけは分かっている」という場合。スキャンしてテキストにすれば、簡単に検索ができて、モヤモヤが吹っ飛びます。快感がありますね。紙の本と電子書籍は対立するものではありません。私は著書の中で「敵を間違えちゃだめだ」ということも書きました。既存の国語辞典にとって、今後ライバルになるのは、むしろ、ネットで自由に編纂できる「ウィクショナリー」などの媒体でしょう。あるいは、「複数の辞書は要らない、ネットの辞書が1つあればいい」とみんなが思っているとすれば、その考えも“敵”です。そこに切り込んでいくことができさえすれば、辞書の媒体は紙でも電子でも問題ではありません。
言葉を楽しむということ
――どのように辞書を使ってほしいと思われますか?
飯間浩明氏: 辞書を身近に置いて、疑問があったら気軽に引いてほしいですね。それから、言葉には唯一の正解があるわけではない、「こう使わなければ間違い」というような窮屈な考え方はしなくていい、と知ってほしい。「言葉が乱れている」と言われますが、どの言葉も、必要があって、望まれて生まれてきます。逆に、本当に乱れた言葉は、生まれてもすぐ消えてしまいます。例えば、ジュースではなく、「このスージュおいしいですね」と言っても伝わらないですよね。したがって、今私が使った「スージュ」は、このまま消えてしまいます。一方、周りの人が「その表現があれば、今まで言いたくても言えなかったことが言える」と感じたとすると、言葉は広まります。「ヤバい」という言葉は、本来の「危ない」だけでなく、おいしさなどを表現する意味でも使われるようになりました。これは悪いことではありません。また、「的を射る」はいいけど「的を得る」は間違っている、という人もありますが、今回の『三国』第7版では「『得る』も間違いではない」と書きました。「要領を得る」のように「得る」には「うまく捉える」という意味もあるし、「その意を得ない」は「意味が捉えられない」ということです。「的を射る」にはブスッと刺さった感じしかないのに対し、「的を得る」には「やった、ゲットしたぜ」という感じがあります。それぞれ意味が違うからこそ、どちらも使われているのです。言葉は、言いたいことがきちんと伝わるかどうかが肝心です。自分の思っていることを効果的に相手に伝えられるのであれば、それはいい言葉であり、いい表現なのです。
――辞書も少しずつ変化していくんですね。
飯間浩明氏: 辞書を日常的に使っていると、言葉をより楽しめるようになります。友達同士で「辞書にこんな変なことが書いてある」と話題にすることも、言葉を楽しんでいるということだし、さらに「これはちょっと書きすぎだよね」と思えば、もっと理想的な説明を考えるのも有意義なことです。読む人を楽しませて、同時に、言葉について考えてもらう。私はそんな辞書を目指しています。文筆業でなくても、仕事でものを書いたり、話したりする機会は誰にでもあります。その人たちが、「この言葉をどう使えばいいか」と悩んだ時、辞書は「こんな感じでどうですか」と1つの提案を示します。そして、「ああ、それはいいね」と言ってもらいたいのです。酒場で議論中のサラリーマンが、気軽に電子辞書を取り出して言葉を調べてみる。さらには、お互いに相手の辞書の説明を覗き込んで、「おや、君の辞書にはそんなふうに書いてあるのか」と驚き合う、そんなふうに、辞書が生活の中に当たり前にある世の中になればいい。多くの読者と一緒に言葉を楽しみたいのです。
(聞き手:沖中幸太郎)
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