西垣通

Profile

1948年、東京都生まれ。東京大学工学部計数工学科卒業。日立製作所に入社し、その間客員研究員としてスタンフォード大学に留学。1982年、東京大学で工学博士を取得。その後、明治大学教授、東京大学情報学環教授等を経て、現職。東京大学名誉教授。 著書に『集合知とは何か―ネット時代の「知」のゆくえ』(中公新書)、『生命と機械をつなぐ知-基礎情報学入門』(高陵社書店)、『スローネット―IT社会の新たなかたち』(春秋社)、『ネットとリアルのあいだ―生きるための情報学』(ちくまプリマー新書)など多数。『デジタル・ナルシス』(岩波書店)ではサントリー学芸賞(芸術・文学部門)を受賞した。

Book Information

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問題は身体性とブラウジング


――本を取り巻く環境も変化していますが、新技術とどのように付き合えば良いでしょうか。


西垣通氏: 私は、コンピュータと人間との関わりを深く捉えることによって、初めて本当の意味での情報社会というものが生みだされると思っています。現在では、まだ人間はコンピュータに振り回されています。なんでも難しいことはコンピュータに任せてしまおうという風潮がありますが、それはコンピュータが自力でやっているのではなくて、ITエンジニアである人間がお膳立てしているわけです。彼らの負荷も物凄く増えてきています。作る人も使う人も、全員がコンピュータに振り回されている。そういう現状をある意味で批判的に捉え直すという仕事をする人が少ないのです。批評家はいますが、コンピュータに直接関わってきた人たちではないので、深い領域までは踏み込めない。私は、大きなソフトウェアシステムなどの開発体験をふまえて、「情報って一体なんなのか」というところから入っていく。そういった、「誰かがやらなきゃいけないのではないか」という文明論的仕事をやってきました。ですから、新技術としての電子書籍というのも文明論の一環として捉えたいと思っています。今の政府やメーカーの一部の人たちは、とにかく便利で安く売れればいいと先走っていますが、これにはあまり賛成できません。



――西垣さんご自身は、電子書籍をどのように捉えていますか。


西垣通氏: 頻繁に使っているというわけではありませんが、悪いものではないと思っています。本というのはクローズしています。パッケージで閉じています。それが電子書籍だと、ネットなど色々なところにリンクが張れます。つまり、オープンなハイパーメディア、ハイパーテキストなんです。これは、本とは全然違うところであり、電子書籍の良い点です。普通の本だと、後で図書館に行って、参考文献を調べるなど、せいぜいそんなものです。電子書籍ではクリックするだけで参考文献の検索も不可能ではない。また、どういった言葉がどう使われているかを知るには、今までだったら後ろの索引だけだったのが、クリックするだけで範例が出てきます。そういう意味で文学研究などは非常に便利になっていますね。あと、本というのは、物理的に場所を取ります。例えば、普通の本だと3000部、5000部と作りますが、保管のために場所を取りますし、今は昔と違って出版の回転が速く、すぐに絶版になるなどして、いつの間にかなくなってしまいます。書いた人は一生懸命書いているわけですし、これでは非常に無駄です。今はそれを電子書籍化し、メモリーに取っておけばいい。権利関係は別として、絶版の概念が本質的になくなるのです。物理的な制約から解放されるというのは、非常に大きなことですね。

――どんな風に発展していくでしょうか。


西垣通氏: 今、韓国では電子書籍を教科書として使っていますが、日本でもそういった動きが出てくると思いますし、事実、一部の人たちはそれを推進しています。ただしその時に、「どういう風に電子教科書を導入すべきか」という、本当の意味での考察が大事です。また、身体性の問題も重要だと考えます。私は本を読んでいる時に、線を引いたり、場合によってはメモ書きを残したりします。すると自然に内容が頭に入り、読み終えると、なんとなく全体のイメージが私の中にできるのです。おそらく体がもうそういう風になっているのです(笑)。
ですから、同じ本を新しくもう1冊買っても、それは別のものです。座右に置いてあった本は、自分の体と繋がっている感じなのです。勉強した人は皆、そういう体験を持っている人が多い。また、一般には、「電子書籍はブラウジングが難しい」と言われています。ページを送る時、電子書籍では指を滑らせれば1ページずつ次へ進みますが、本の場合は厚さで「大体この辺だ」と分かるのです。果たして電子書籍にした場合に、そういう身体的な繋がりのようなものができるかどうか、そこがまだ分かりません。ただ1つ言えることは、小さい時から本で育った人たちは、そこでつまずくということ。小さい時にどういう状況で育ったかというのは、人間にとって非常に大事です。ですから、小さい時から電子書籍の環境の中で育って、そして上手に知的活動をやっていく人もいずれ出てくるかもしれませんね。

理系も文系もない。デジタルネイティブに期待


――手書きと印刷が共存した、過去に通じる部分もあるのでしょうか?


西垣通氏: 印刷技術ができる前、手書きの本は非常に高価でした。一般人には手に入らないものだからこそ、何か聖なる雰囲気を本に感じていたわけです。安い本が印刷されて一般人の目の前に出てきたので、僧侶や貴族などからは反発がありました。にも関わらず、あっという間に普及し、印刷された聖書を元に、プロテスタンティズムのような新しい宗教世界が広がったのです。それまでは、教会堂の厳かなパイプオルガンの響きの中でキリストの教えが語られたりしていたのが、静かに1人書斎で聖書を読むという新しいタイプの聖なる体験が生まれました。これがある意味、近代を作ったということもあるわけです。

――電子書籍からも何かが生まれるのでしょうか。


西垣通氏: どういう風に変わってくるかというのは未知数です。ただ、単にビジネスやお金儲けという考え方、或いは、「高校生に無償で教科書を配るのはお金がかかるから、それを電子書籍にすればずっと予算節約になる」などという視点はやめてもらいたいものです。もっと時間を掛けて、「今後どうなるのか」ということを考えながら、取り組んでいってほしい。私たちは紙の書籍で、すぐれた文化を築いてきました。それと匹敵するようなものを生みださなければいけない。そういう意味ではまだまだ実験段階ですから。
また、電子書籍にワクワクするだけでなく、「もしかしたら文化を破壊するかも」と言っている一部の反対派の意見にも、それなりに耳を傾けないといけないと思います。

――文化の破壊というのは。


西垣通氏: 電子化には、複眼的な、次元が広がる可能性があります。アラン・ケイという人が、パーソナルコンピュータを考えた時、“ダイナブック(ダイナミックブック)”という概念を生み出しました。今のパソコンは、昔のパソコンよりは、彼の考えていたダイナブックに近くなっていると、私は確信しています。なぜかというと、ハイパーリンクできるなど、オープン性がありますし、どこへでも持っていけますから。人間がアクティブに機械に働きかけて、機械の方からもアクティブにこちらに向かって働きかけてくる。そういう風なものになってきています。逆に、単に、目先のゲームを売るとか、利便性ばかり考えるというのは、文化の破壊をもたらします。そういった浅薄なものの見方が文化の破壊なのであって、電子機器そのものが文化の破壊ではないのです。人間の生命力をどういう風に活性化していくのか、深いところから考えていくべきだと感じています。

――新技術と哲学は、切り離せない。


西垣通氏: はい。ところが、特に日本では、そういったことを考えている人の数が余りにも少ない。海外には一部ですが、います。コンピュータというものを生んできた文化の土壌があるからです。これは、根本的にはユダヤ、キリスト教の伝統だと思っています。私が小説を書いている理由は、コンピュータのルーツを掘り下げて、一見無関係と思われている文化的深層を書きたかったからです。ところが、そこまで読んでくれる人は殆どおらず、「西垣はコンピュータばっかりやっていて面白くないから、趣味で小説も書いているんじゃない?」という風に見られている…困ったものです(笑)。これは、日本の文化の底の浅さですよね。つまり、海外から要領良く色々なものを取り込むが、その根っこにあるものまで迫ろうとしない。だからなかなか本当の意味での“新しいもの”を作れないのです。私は、理系も文系もない根本までさかのぼっていかなきゃいけないと思っています。私は若い世代に期待しています。若い世代は、やがてそういう哲学の部分を考える人が出てくると思います。いわゆるデジタルネイティブと言われる若者たちに、書物によって培われた深い文化をちゃんと伝えて、彼らなりに消化していくチャンスを与えてあげなきゃいけない。そのチャンスすら切ってしまって、「とにかくお前らは新しい機械を使え」という脅しは、絶対にあってはなりません。

著書一覧『 西垣通

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