今までにない発想を生みだし続ける
東北大学医学部を卒業後、1992年に形成外科専門医を取得。現在は形成外科医として、また自ら立ち上げた傷の治療センター長として務める傍ら、執筆や講演、インターネットサイト「新しい創傷治療」などを通して、“正しい治療法”を広めるため、精力的に活動をされています。「湿潤治療」を提唱したことで広く知られており、皮膚外傷・熱傷・褥瘡などの治療や皮膚トラブルの治療などを行なっています。「傷はぜったい消毒するな 生態系としての皮膚の科学」などの著書のほか、 「炭水化物が人類を滅ぼす 糖質制限から見た生命の科学」なども執筆されています。既存の常識をくつがえす発想と、より効果的に伝えるため、執筆の際は文体にもこだわったという夏井睦先生に、その発想の源や、執筆に対する想い、電子書籍について伺ってきました。
オープンソースの発想で双方向のやり取りを可能にした
――昨年10月に出された『炭水化物が人類を滅ぼす』が話題になっています。
夏井睦氏: 僕は本を書いて生活している人間ではないので、自分で書きたい本しか書きません。楽しんで書いているだけで、売れる本を書いているつもりはありません。自分じゃないと書けない物事を書くのが自分の役割で、そういう本なら、夜寝る時間を割こうが食事の時間を削ろうが苦ではありません。今回の本は10月に出ましたが、8月下旬に章立てを全てやり直し、最後の3日間で最終章を全面的に書き変えました。担当編集者は気が気でなかったかもしれません。
――編集者とは、どんなやり取りをされていますか。
夏井睦氏: 編集者には、「読んで面白いか面白くないか、それだけを教えてくれ」と言っています(笑)。読者として編集者が読んで面白いと思うものならどんどん書き進めますが、何をどこまで書くかは自分で決めます。『炭水化物』は最初はもっと小規模でしたが、かなり大きく膨らませていました。編集者が、「これじゃつまらない、もっと壮大に盛り上げましょう。出版を遅らせてもいいから、納得できるものにしましょう」と言ってくれたので、大幅に加筆することにしました。
――本の構想はどのように練り上げるのですか?
夏井睦氏: 本を書く時には、A2の大きなホワイトボードを使います。そこにわかっている事実をバラバラに書き出し、それらを互いに結び合わせ、どの方向に拡げていけるか試行錯誤しながら大きな流れを作り、細部を固めていきます。ホワイトボードの上で図式化して配置し、イメージを作り上げる感じです。一見、無関係に見えるもの同士に関連性を見つけ出していく作業には、ホワイトボードを使うのが一番ですね。そして、図式化したイメージを文章化していきます。さらに、章立ても校正も自分でほとんどしますので、光文社の編集者には「一番手間が掛からない作家です」と言われました(笑)。
――文章を書くのは、もともとお好きで?
夏井睦氏: 趣味のサイトで文章を書き始めたのが最初でしょうか。1996年にピアノ系のサイト『超絶技巧的ピアノ編曲の世界』を開設しました。日本のインターネット導入が確か94年、私はすぐに飛びつき、96年に自力でインターネットサイトを開設したことになります。医者になってすぐパソコンに触れて、BASICでプログラムの基礎を学んでからプログラミングにハマっちゃって(笑)。HTML言語は数日でマスターしました。一旦ハマるととことんやるタイプですね。ピアノのサイトも同じで、どうせやるからには世界に類のない「ピアノ編曲データベース」を作ろうと思いました。
もともと、演奏困難だけど派手で面白いピアノ曲の楽譜を持っていたので、所有楽譜リストを英語でネットに公開しました。すぐにスウェーデンとアメリカから「この楽譜を探していた。ぜひコピーして送ってほしい」というメールが舞い込んだので、航空便で送りました。数千円かかりましたが、海外のコレクターと知り合いになれるのが嬉しくて無料で送ってあげました。そうしたら数週間後、彼らからレアな楽譜が送られてきて、そういう輪がどんどん広がり、いつの間にか私は図らずも世界的なピアノ楽譜コレクターになってしまいました。「珍しい楽譜だから見せられない」というコレクターも少なくないですが、私は「私蔵は死蔵」と考え、「珍しいからみんなで共有しよう」と思ったのです。これが結果的に良かったと思います。
――サイトでは、ピアノ曲の解説を書かれていたそうですが。
夏井睦氏: 音楽を言語で説明するのは非常に難しいです。音楽の感動を文章で表現するため、色々な文体を試しました。
私の「文章の心の師匠」は、開高健、椎名誠、東海林さだおです。彼らの文章の文体模写をしながら様々な文体で音楽の表現に挑戦しました。二字熟語をいくつも並べて次第に高揚していく開高健のうねるような文体、東海林さだおの食べ物エッセイに見られる卓抜した比喩力、それらをピアノ曲の解説に取り入れました。とてもシリアスな文体と、椎名誠の軽い文体をわざと連続させたりする実験もしました。音楽を文章で表現しようと悪戦苦闘しているうちに、自然に文章力が鍛えられたのかもしれません。そして、このピアノ曲のサイトで、キズの治療の話をエッセイ風に書き始めていったのです。
――エッセイに対する反響はどんなものでしたか。
夏井睦氏: 「キズの消毒はいけないという論文はあるのですか?」という質問が沢山来ました。私は過去の誰も論文にしていないことを考え、それをサイト上に書いているわけで、その証拠となる論文はどこにあると言われても答えられません。その時に、過去の論文がなくても証明できる方法があることに気が付きました。
物理・科学・生物学などの基礎科学で証明する、という方法です。科学の中で最上位に位置するのが数学で、その下に物理と化学。物理と化学の法則の正しさは数学で証明できるから正しいのです。一方、生物学は物理と化学の下位に位置していて、その生物学の下にあるのが医学です。この上下関係は絶対的なものです。
ゲーテルの「不完全性定理」を学べばわかりますが、医学の中でその治療法が正しいかどうかを証明するのは不可能です。医学の問題を解決するなら生物学的に正しいかどうかで判断するしかないし、生物学でも判定がつかなければ物理学と化学で証明できるかどうかを考えればいい。しかも、上位で証明できれば、下位はその証明をひっくり返せないのです。これで物事が極めてシンプルかつ明快になりました。
全体を俯瞰できる視点が大切
――趣味で作った音楽サイトがきっかけだったんですね。
夏井睦氏: ピアノを弾くこと自体が好きでした。小学生でショパンの幻想即興曲を弾いていましたから(笑)。高校2年まで先生についてピアノを学びました。先生には医学部を受験するので高校2年でレッスンは終了になります、と伝えました。その時先生は、「君はこのまま一生趣味としてピアノを弾くと思うけど、アマチュアだからこの曲は弾けないとか、アマチュアだから易しくアレンジして弾けばいいとか、ゆっくりしたテンポで弾ければいいとか、そういうピアノ愛好家にはなってほしくない」と言われました。曲の前ではアマチュアもプロもなく、弾けるか弾けないかだけだと。そして、高校2年の1年間で徹底的に鍛えられました。ある意味、物事に取り組む基本的姿勢を教えてくれたのはこのピアノの先生です。
――音楽だけでなく、サイトでは書評も書かれていますが。
夏井睦氏: 読んで「これは」と思った本は、内容を要約してテキストファイルで保存しています。ちょっと厚めの本だと20,000~30,000字のテキストファイルになりますし、これまで一番多かったのは80,000字の要約を書いたこともありました。その文章の誤字脱字を通勤の地下鉄の中でチェックします。その後、この本のレビューを書いてホームページに掲載するわけですが、それまでに最低でも4回ほど読み返すことになりますので、素粒子理論の本も古代文明の本も、内容はほとんど頭に入ります。そしてレビューを書き終えた本は捨てます。
テキストファイル化した本の情報は1つのフォルダにまとめて、データ検索できるようになっています。例えば「石器時代」で検索すれば、石器時代の食事から住居に関する文献が全部、横断的に出てくるようになっています。「小麦・栽培」と入力すれば、植物学から考古学の本まで出てきます。
僕は本が好きなので、たくさん読みます。でも読んだ本を全部とって置いたら寝る場所がなくなりますので、読んだ本は捨てることにしています。欲しいのはテキストファイルというデータであって、本というモノが欲しいわけじゃない。だから、情報をテキストファイル化した時点で「本というモノ」は不要になります。ピアノの楽譜も同じで、全部PDFファイルにしています。これなら、古今東西のあらゆるピアノ曲がパソコンのハードディスクに入ります。持っていない楽譜があれば持っている人から送ってもらえばいいし、同好の士で共通アーカイブを作れば個人でデータを所有する必要もなくなります。こんなことを1998年ころから考えていました。
――そういったデータベースが、無関係のものをリンクする先生の視点の素地になっているんですね。
夏井睦氏: 私は、お互いに無関係と思われる様々な知識や情報の背後に共通する要素があるのではないか、統合的に扱えないか、と考える癖があります。ところが、例えばヤケド治療の専門の先生はヤケドに特化し、床ずれ専門の先生は床ずれに特化してしまい、ヤケドの治療と床ずれ治療を別個のものとなっているのが現状ですが、私は「治るメカニズムが同じなら区別するのはおかしい」と単純に考えるわけです。両者は受傷原因は異なっていますが、創面だけ見れば区別がつきません。深いすりむきキズとも区別がつきません。区別がつかないのであれば別々の治療をするのはおかしいと気が付きます。原因によってではなく、傷の状態によって治療法を考えればいいのであって、薬品を浴びたヤケドと炎のヤケドとすりむきキズを分けて考える方がおかしいのです。
このように、個別性に囚われるのではなく、全体を俯瞰した時に、共通点がないだろうかと考えることが大切だと思います。
――ずいぶんと前から電子データを活用される発想を持たれていたのですね。
夏井睦氏: 楽譜のデジタル化を始めた98年頃からサーバーに楽譜データを置き、みんなでアクセスできるようにすれば、世界中のピアニストと愛好家がいつも利用できる図書館が作れることに気がついていました。なぜ、そう考えたかというと、ピアノ曲の楽譜で出版されているものは有名作曲家のものばかりで、残りの多数の作曲家の作品は絶版状態だからです。ピアノの歴史を学ぶと実に多くの作曲家が登場しますが、彼らの楽譜は楽器店の店頭に存在しないのです。
例えば、ショパンと同時代のピアノ曲の作曲家は何十人もいます。でも、楽譜として手に入るのはショパンとリストとシューマンだけです。ショパンに影響を与えた作曲家の名前は残っていても、彼らの書いた曲は残っていません。もちろん、ヨーロッパの音大図書館に行けば見つけられるのでしょうが、さすがにアマチュア愛好家はそこまでできません。ところが、世界中のピアニストやコレクターにはそういう楽譜を持っている人が必ずいるのです。つまり、個人が所有する楽譜データをデジタル化してどこかのサーバーに置くシステムを作れば、巨大な楽譜データベースが誕生するはずです。
そんな次第で、失われた楽譜の発掘しては公開するという作業をするようになりました。
データベースは人類の財産。共有することで価値が生まれる
――書籍の電子化についてはどうお考えですか?
夏井睦氏: 私は、作家が亡くなった後はその作品はパブリックドメインとして公開し、共有財産にすべきだと考えています。本にしても楽譜にしても、出版社の営利活動である以上、売れるもの以外はすぐに絶版になってしまいます。その損失はあまりに大きいと思います。
人類の知の遺産ともいうべき作品は、営利活動と切り離すべきです。その目的のために「あらゆる書籍(楽譜)をデジタル化する」ことは極めて重要だし、必要なことだと思います。
――傷の治療に関するサイトもオープンソースの発想ですね。
夏井睦氏: 講演用スライドなどは全部公開しています。しかも、コピーしようが改変しようが他人に渡そうが、どうぞご自由に、というスタンスです。だから、講演会の最後ではスライドファイルをダウンロードできるサイト・アドレスを聴衆全員に教え、「科学と医学の情報に著作権は存在しません」と格好良く締めることにしています。楽譜の時がそうだったように、「タダであげます」と言われると「タダでもらっちゃ悪いな」って思うみたい(笑)。
世の中、善意で成り立っている部分が大きいと信じています。
傷の治療でも、治療例と治療法は全部オープンにしています。はじめの頃は「本を売るためには一部隠しておいたほうがいい」とアドバイスされましたが、それでも本は売れました。本の利便性は情報が引き出しやすい形にまとまっていて、情報の一覧性に優れている点です。その点でネットは一覧性がよくないし、情報同士の関連性も掴みにくいのです。特にブログは情報が時系列で並べられるため、各情報間の相互関係がわかりにくく、全体像がわかりにくくなります。ブログは日記を書くにはベストの形式ですが、学術的な内容を伝えるには不向きです。
――パッケージ化されていることに、本の価値がある。
夏井睦氏: ネットで情報が簡単に得られると言っても、ある物事について勉強しようと思ったら本を1冊買って勉強する方が手っ取り早いです。私もKindleで電子書籍を読みますが、これで物理や歴史を勉強する気は起きません。
電子書籍で読みやすいのは小説です。これらは最初のページから最後のページまで読み進める書物だからです。一方、医学書や科学書は最初から最後まで読み通せばお終いではなく、前に戻って定義の部分を確認したり、前の章に書かれていたグラフをもう一度確認したりする作業が必ずあります。いわば、百科事典や辞書のような使い方になります。
小説の場合は時間軸は過去から未来への一方向ですが、科学書の場合には一方向ではありません。
――電子書籍の今後の課題は何でしょう。
夏井睦氏: 音楽は現在、 mp3というデジタルデータに置き換わり、CDという「モノ」の販売は右肩下がりです。これは「mp3がCDを駆逐した」のではなく、「音楽はそもそもデジタルデータと親和性が良かったから」と考えられます。音楽は最初の音から最後の音まで一方向に再現されて初めて意味があるからです。音楽がカセットテープやLPレコードと相性が良かったのもこのためです。この意味で、LPからCD、CDからmp3という流れは自然な変化と言えます。同様に、小説は電子書籍の相性がとても良く、そのため、いずれ紙ベースの書籍から電子書籍に置き換わるはずです。
一方、「時間軸錯綜型読書」が必要な科学書はなかなか馴染まないような気がします。少なくとも現在の電子書籍端末では、このような読み方には対応できていません。結局、人間の脳味噌が情報を知識として我が物にするためには、何度も内容を反芻し、三歩進んでは二歩戻る、というような読み方が必要なのでしょう。それに関しては、まだまだ紙ベースの書籍の方に一日の長があると思います。
脳みそを「ガラクタ倉庫」にしないために
――夏井先生の発想の源が気になります。
夏井睦氏: 大切にしているのは、誰も考えつかない事を考えること。他の誰とも違う自分がこの世で生を受けたことに意味があるとしたら、これしかありません。
なぜ勉強が必要かというと、非常識的な発想をできるようになるためです。非常識なことを考えつくためには常識をまずきちんと知らないといけません。常識をとことん知ってはじめて、常識の限界が分かります。常識を知らずして、常識は否定も打破もできません。
「非常識になるためには常識人であれ」ですね。常識のベースもなしに非常識な事をするのは、単なる“常識を知らない人”であって常識破りとは言えません。
僕の好きな言葉に、戦争の研究家の警句があります。「君の首の上に乗っているのは、過去に起きた出来事を入れておくためのガラクタ置き場ではない。それは、過去の誰も経験したことのない事件に遭遇した時に、問題を解決するための最善の方法を割り出す実験室である」というものです。過去に起きたあらゆる戦争を記憶していても、その戦術を踏襲しても目の前の戦争には勝てません。過去の戦争と同じ戦争はないからです。考えてみたらアタリマエのことですね。「過去の歴史は徹底的に学べ。しかし過去の出来事に囚われるな」というのがこの研究家の真意でしょう。
――「ストレンジ」ではなく、「ユニーク」であれと。
夏井睦氏: その通りです。しかし、常識はずれの発想は往々にして、言葉にならなかったり他人に伝えられなかったりします。他の誰も考えていないことだからです。
だから、その常識はずれの発想を何とかして他人に伝えるためには、「常識の言葉」に翻訳する作業が必要です。常識はずれの発想を常識の言葉に置き換える能力、といってもいいでしょう。
常識人しかいない世の中で、常識破りの考えを広めようとすれば、常識ある人にも通じる共通言語が必要になります。それが普遍的表現能力であり、比喩能力です。
今、私がしているのはそういう作業です。常識はずれの発想がいくらできても、それを常識の言葉で完全に表現できなければ他人に伝わりません。他人に伝わらない発想はいずれ消滅する運命です。
思想は言葉でのみ表現でき、言葉で表現されない思想は消え去ります。だから、思想の生みの親は表現能力・言語能力に磨きをかけることに心血を注ぎます。それでしか、自分の考えを他者に伝えられないからです。
(聞き手:沖中幸太郎)
著書一覧『 夏井睦 』