森岡正博

Profile

1958年、高知県生まれ。東京大学理科Ⅰ類入学、文学部卒業。同大学院人文科学研究科単位取得退学。日本学術振興会特別研究員、東京大学文学部助手、国際日本文化研究センター助手、大阪府立大学教授を経て、2015年4月より現職。生命について学際的に思考する「生命学」や、人間の存在について考える「哲学」を中心に、脳死臓器移植のような社会問題、ジェンダー・セクシュアリティ、環境問題まで幅広く活動する。『脳死の人 生命学の視点から』(東京書籍)、『草食系男子の恋愛学』(メディアファクトリー)等の著書で話題となった。 近著に『まんが 哲学入門 生きるって何だろう?』(共著。講談社現代新書)、『生者と死者をつなぐ 鎮魂と再生のための哲学』(春秋社)など。

Book Information

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「自分の死」の問題と、作品を作りたいという情熱がエネルギー



大阪府立大学現代システム科学域・環境システム学類の教授を務められる哲学者の森岡正博さん。自分の死を自覚し、それ以来、自分の中に備えられた「エンジンのようなもの」に突き動かされて、哲学の新たな表現方法を模索し、探求されています。著書においては哲学、倫理学、生命学を中心に、学術書からエッセイまで幅広い執筆活動を行っています。転機となった美術の先生との出会い、自身が生命の哲学者になっていく過程、研究者の本懐について、語って頂きました。

自分の死を意識したことで、もう一度生まれた自意識


――たくさんの資料がありますね。


森岡正博氏: 大学の蔵書もありますが、ほとんどが私の私物ですので、なんとかしなくてはと思っています(笑)。色々な分野を放浪しているかな、と自分でも思うこともあります。興味関心の対象が広いので、多極的に見る、見たいという気持ちが養われてきて、その結果、色々な分野、領域を楽に横断できるようになったと思います。今、大阪府立大学の新しい学域である、現代システム科学域・環境システム学類にいるのですが、そこは文理融合を標榜していて、とても居心地がいいと感じています。

――多極的に見る素養は、どのようにして養われていったのでしょうか。


森岡正博氏: 親が言うには、運動が全く出来ず、体力もなく、非常にひ弱な子だったそうです。育ったところが高知の田舎でしたから、学校が終わったら、みんなで魚釣りに行ったり、トンボを採りに行ったり、山に登ったりもしていましたが、体が弱かったので、引きこもりがちになった時期もありました。どちらかというと体よりも、頭を使う子どもだったと思います。

ただ、特に引き金となる出来事があった訳ではないのですが、小学校高学年の時に突然、「自分は死ぬかもしれない」ということに気が付いてしまい、「死んだらどうなるの」という問いにぶつかりました。私は「この世からいなくなるかもしれない」と思った時、死の恐怖に襲われてすごく怖かったです。これは自分にとって大きな転換期でした。百科事典に、宇宙の終焉という話が載っていたのですが、「宇宙が終わったら僕はどうなるの?それに僕が終わったら、宇宙はどうなるの?宇宙も全部なくなるんじゃないか」と思ったんです。一度、親に「死んだらどうなるの?」と聞いたら、「そんなこと考えなくていい」などと言われて、ごまかされました。それからは、本の中に答えが書いてあるんじゃないかと思って、色々な本を読み始めました。それが自分にとっては第二の誕生だったのだと思います。



――どのような本に答えを求められたのですか。


森岡正博氏: 芥川龍之介などを読み始めました。私が小学6年の時に、三島由紀夫が自決したのですが、あれも衝撃的でしたね。三島の著作にその答えが書いてあるんじゃないかと思って、三島を読み始めました。自分が今のテーマを研究しようと思った出発点はそこでしたね。小学生の時は、「大人になったら答えが分かるんだ」と思っていたけれど、思春期の頃になっても全然分からない。私の今に至る原動力というか、エンジンのようなものは、その時に積み込まれた感じがあるんですよ。天から問いが降ってきて、その時からずーっとエンジンがかかりっぱなしです(笑)。それ以来ずっと考えてきましたが、今でも答えはでていません。

――影響を受けた方は、いらっしゃいますか。


森岡正博氏: 高知市内の私立中学である土佐中学校に入った時に、高崎元尚という世界の前衛美術運動、日本発の具体運動GUTAIを展開した有名な美術の先生がいました。先生の名はいまでは美術史に載っていますが、当時は少し変わっていたようにも感じましたね。前衛的な美術をやっていて、先生の作品は立体物。授業では「適当に好きなことをやっていろ」と言って自分の部屋に戻って、展覧会に出すための作品を作成していました。コンクリートみたいなものをノミで壊したり、何かよく分からない変な物体に、ペンキを塗って転がしたりしているのを目の当たりにして、「これはすごい」と思いました。

それで私も、中学校1年の美術の時間に、何かの木にりんごを串刺しにしたり、木をカンナで削って、もう1回木に貼り付けるなどといったことをしていました。自分でも面白いと思って、高崎先生のところに持っていったら、先生もニヤニヤしていました(笑)。高崎先生は教えるよりも作ることの方が好きだったようで、規格破りの性格に「こういう大人もいるんだ」とかなり衝撃を受けました(笑)。自分が作りたい物を作るということ。何かを作り出す喜びといったものを、その時に学んだような気がします。中学生の頃は「東京芸大に入って、高崎先生みたいに美術作家になりたい。私も立体を作りたい」と考えていました。

ところが、デッサンをしないといけないということ、そして、東京芸大にいくなら予備校に行って勉強をしないといけない、という現実も知りました。田舎だったので具体的なイメージも描けず、仕方なく美術の道を諦めました。美術の他に、中学の頃から、物理学と小説などにも入れ込んでいました。自分の中では、文学と物理学は基本的には同じものだと考えていました。小説めいた物も自分でも書いたりもしていましたが、物理も数学も好きだったので、「大学受験は理系でやるか」ということで理系の道に進みました。でも実際に入ってみると、なんだか期待ハズレで、「これからずっと理系でいくぞ!」という気にはなりませんでしたね。

人間と命の謎を探求したい


――理Ⅰで入学して、卒業は文学部というのは。


森岡正博氏: 物理学もすごく面白いけれど、やはり人間と命への興味は捨てがたくて、その謎を探求したいという気持ちが勝ったような感じでした。あまり大学に行く気になれなくて、昼夜逆転して、映画館に入り浸ったり、好きな本を読んだりとグダグダしていた時期もありました。20歳前後は小説も書いていたのですが、小説が好きだからこそ、自分がある一定以上のレベルのものは書けないということは、割と早めに分かりました。小説でも理系でもないなということで、1年留年して文学部に入ることにしたのです。

文学部では哲学と倫理学があったのですが、私は人間への興味が強かったので倫理学に進んでみました。しかし、そこで要求されたのは、文献学のトレーニングと、誰か哲学者の研究をするということで、私はそのどちらもやりたくありませんでした。自分が関心を持っている生や死、存在だとか、そういった問題について、自分がどういう風に考えて、作品化していくか、ということを私はやりたかったのです。「やっぱり作品を作りたいな」と思って、日活監督に応募して映画監督になろうかと、本気で悩みましたよ(笑)。結局、2度目の挑戦で大学院に入れたので、ウィトゲンシュタイン(哲学者)の研究をすることにしました。

表現することが、探求につながる


――ウィトゲンシュタインを選んだのはなぜなんでしょう。


森岡正博氏: 人間のタイプとしては、私と別のタイプの人間でしたから、逆に惹かれるものがあったのかもしれません。探求は大好きだけど、あまり表現に興味がない人もいますが、私が研究したウィトゲンシュタインという人は、そういうタイプの人でした。ウィトゲンシュタインが生涯で出した哲学書は、29歳の時に出した1冊かぎりで、あとは全部書き散らしているのです。それを弟子たちがまとめて本にしたものが、全集になって残っています。ウィトゲンシュタインという人は、極度の探求型の人だったのだと思います。

私の本質には、探求者と表現者の両面があります。専門的な論文も書くし、広く読んでほしい一般書も書くし、どちらの表現欲もあります。表現は私の根本です。表現するという行為でこそ、探求できるものがあるからだと思います。人に分かるように書くことによって、自分も考えが深まるということ。私の場合は、書くという行為は、表現すると同時に探求していく作業でもあります。哲学的な発見というのは、別に表現形式の発見を伴わなくてもいいのですが、私の場合「新しい表現をしたい」という美術魂がかなり強く出てきます。

最近の『まんが哲学入門-生きるって何だろう?』という本では、哲学的な思考を1つ前に進めたかったということと、全編漫画で哲学的思考を書くという表現の新展開という、誰もやったことがない挑戦を、同時に1冊の本でやりたかったのです。ただ、自己評価をすると、この世に存在していて良かった本かな、と思える本というと、1冊は『感じない男』で、もう1冊は『まんが哲学入門-生きるって何だろう?』くらいです。『無痛文明論』というのはインパクトもあるし、多くの人にとって意味ある本だけれども、もう1回やり直さないといけないとも思っています。本は時間が止まったまま残るのですが、私たちは動いていきますからね。

捨てることによって、人類は進化してきた


――本の評価も、時代によって変化していくものなのでしょうか。


森岡正博氏: 本というのは、書き手がコントロールできるものではないです。書いている間は書き手がコントロールしていますが、書いて世に出した後は、何を言ってもダメ。そこから後に、その作品をどうしていくのかというのは読者のすることであって、捨てたければ捨てるということでいいと私は思います。捨てることによって、次の表現をしていくという可能性を開いていっているということなので、これは人類が編み出したシステムとしてはよくできていると思います。

世代交代していくということに関しても、新しい人が生まれてきて、もう1回ゼロからやり直すということなのだと私は思っています。例えば古文の物語はそのままでは読めませんよね。言語の形もどんどん変わっていくので、そのままでは読めなくなりあす。読めなくなるというのは、新しい世代の段階で、上手いこと捨てていっているということなのです。読みたい人がいる場合には、新しい言語に置き直されていくでしょ?そうやってリニューアルされていくわけです。人類の遺産を捨てていく時に、何を遺していくか、何がリニューアルされるかというのは、書いた人が決められるものではありません。

――判断は読み手であり、後の人が判断するということですね。


森岡正博氏: そうですね。でも、その後の人の判断にまで影響を及ぼしてやろうと考える人もいるかもしれません。でも「1000年後の世界でもおれの本を読め」といった仕組みを作ってしまったら、それはむしろ、探求と表現の可能性を崩していくというか、人類の可能性が減っていくと思います。過去のものを捨ててきた結果が、今なのです。今の素晴らしいものを、無慈悲に捨てていくシステムを開発したからこそ、我々は今、考えたり表現したりできるのです。紀元前後に書かれたものなどが、全部残っていたら、おそらく私たちは何もやることがないでしょうね(笑)。

自分の琴線に触れているか


――森岡先生はどのようにして、書き手としてスタートしたのでしょう。


森岡正博氏: 私の最初の本は1988年『生命学への招待 バイオエシックスを超えて』です。80年代はニューアカデミズムといわれていた時代で、浅田彰さんは京大の人文研にいたにもかかわらず、師弟関係や先生の紹介とかではなく、自分でジャーナリズムとか雑誌とかメディアに出て、コネを作って本をベストセラーにするということをやった人なのです。それがすごく新鮮でした。

当時、私は大学院生で、論文をいくつか書いて、『中央公論』などに記事を書いたりしていたぐらいでした。でも、本を書きたいとは思っていたので、自分で書いた原稿を、コピーして配って、アピールしてみたんです。ちょうど、浅田さんの本を編集した勁草書房の富岡勝さんが次の著者を探していたそうで、僕の原稿が富岡さんの目にとまり、「本を書きませんか?」と連絡があったのです。初めの本を出すことができたのは、ある意味、浅田彰さんのお陰かもしれませんね。

――著者を探し出す嗅覚が、編集者には必要なんですね。


森岡正博氏: そうだと思います。私の「書く気満々」といった感じなどが、編集者の嗅覚に引っ掛かったのかもしれません。あとはある程度読める文章だったとか、そういう偶然が重なったのだと思います。商業出版の編集者の場合は、内容が学術書に近いものでも売れてペイしないといけないので、新鮮な内容を書き手が書けるか、文体に色気があるかといったことに対する嗅覚は、必要だと思います。でもその両方を持っている人、お金を払ってまで読みたいと感じる文章が書ける若い書き手は、どの時代においても、それほど多くはないような気がします。だからこそ、その可能性がある人を探してくるというのが編集者の役目ではないでしょうか。

――お金を払ってでも読みたくなるもの、森岡先生の場合はどんな基準ですか。


森岡正博氏: 自分が一番気になっているところに触れているかどうかでしょうね。「無人島に行く時の1冊は何を持っていきますか?」という問いがありますが、これはよくできた問いだと思います。その時に持って行くのは、身銭を切る本ですよね。見栄を張る人や、バイブルですと言う人もいると思いますが、本当にそうなった時に選ぶのは、その人の生きる縁みたいなものというか、手放せないものや言葉がある本だと思います。私の場合は、今後の自分にとって大事な本になるに違いないと直感できる、感覚とか身体性あたりの琴線に触れる本かなと思います。私は美術が大好きで、行く先々では、必ず美術館に立ち寄りますが、ある時から作品の評価は、これを自分の部屋に持って帰りたいかどうかで決めるようになりました。それが私の評価基準です。



電子書籍をどんどん改良してほしい


――論文などは、サイト上で無料公開されているそうですね。


森岡正博氏: 学術論文を書く時は、無料で公開していない学術誌、雑誌、論文集に書いてしまうと、私のサイトで全文公開できないので、なるべくそういったクローズされたものには書きたくないのです。それで私は、大阪府立大学の大学紀要というのに論文を書いています。そのまま電子ファイルにして、大阪府立大学から無料で公開されています。それだと私のウェブサイトにリンクを付けられますし、読みたい人は検索してプリントアウトできます。

昔は博士論文を書いたら、印税もなしで5000円とか7000円といった値段で、商業出版していたのです。最近は、むしろ博士論文を大学がPDFで公開するようになってきていて、それだと興味がある人はタダで読めるからいいですよね。読みたいと思う人に読んでもらうということが大事な人は、無料でデータとして公開して、PDFの形で確定したテキストを作って、どこかしっかりした機関から出せばいいわけです。学者としては、この方法が一番いいと私は思っています。

そうなると、本を商業出版する意味、そして出版社を介在して本を出す意味が問われてくると思います。あと、英語の論文の問題。STAP細胞現象の『Nature』などもそうですが、読むのにお金がかかるのです。大学は購読料を払っているからキャンパスの中だとダウンロードできますが、その購読料が、実はかなりの高額。

最近になってようやく学術出版社が、オープンアクセスを論文ごとに設定するようになりました。ところがそれには著者が論文1本につき、25万円などというオープンアクセス料を払わないといけないのです。今、英語の学術の世界でも、そこが大問題となっているのです。査読の重要性とか、本を出版していくこと、『Nature』のようないい論文が載っているに違いないという雑誌をどう作っていくか、というのが今の課題なのだと思います。

今、大阪府立大学では私が編集長となり、世界中から投稿を受け付けて、英語の学術誌を刊行しているのですが、全部タダでやっています。そういったやり方だと、誰でも見られるPDFで公開するという学術誌ということになりますよね。本来はそうあるべきだと私は思います。全部ボランティアでしていて、投稿された全部の論文は私が読んでいますし、他のレフェリーの人に渡して審査をしてもらっています。

――電子がもたらす恩恵ですね。


森岡正博氏: 論文だけでなく一般の本でも大きな変化をもたらします。先ほど捨てる話をしましたが、読みたい人が一人でもいるのに絶版という理由で読めなくなるのは、とても残念に思ってしまいます。特に最近の日本は絶版、品切れ絶版になるのが早いし、多いですよね。そこに電子書籍の可能性があると思います。1回出版すれば絶版にならない。問題は読みにくさ。繰り返し読んだり線を引いたり、自分で書き込みをして付箋を貼って、付箋のところだけもう1回読み返したいと思っても、そういう部分で電子書籍はすごく不便ですね。電子書籍の未来を考える前に、電子書籍自体をもっとバージョンアップしてもらわないと困るんです。

哲学者の本懐、先人の積み重ねた知恵をさらに繋げたい


――全部ボランティアでやるのは大変ですね。


森岡正博氏: そうですね。『Journal of Philosophy of Life』という生命の哲学雑誌で、世界的に見ても、そういったものがないので、「やるしかねぇな」という使命感はあります。私の哲学は今、生命の哲学というジャンルに集中していて、その国際的な潮流を作りたいと思っているのです。大学の業務、国際化の業務としてという部分もありますが、ボランティア部分に関してはヒーヒー言いながらやっています(笑)。

私がやっている雑誌の規模は、投稿型の学術誌としてはまだまだマイクロレベル。だから編集長が頑張って、あとは助けてくれる人が周りにいればできるという感じだと思います。でもある程度規模が大きくなるとやっぱり、専従の人を雇わないと回りません。そうすると支払うべきお金が発生するのですが、そのお金はどこから?という話になってきます。有名雑誌になればなるほど規模が大きくなるので、すごくお金がかかりますよね。私がこういったことをやっていけるのは、1つは先ほどのエンジンがそうさせるのと、最近はそれに加えて2000年に亘って同じようなことをやってきた人たちの、積み重ねがあるからだと思うようになりました。

――先人の積み重ねの上に、自分がいると。


森岡正博氏: 私の場合、自分が新しい表現というものを生み出したいと思う部分、それと読者に読んでほしいという想いがすごく強いから、読者が多いにこしたことはないけれど、私の書いた本の中で、哲学の新たな1歩が踏み出されていれば、何よりの喜びです。ウィトゲンシュタインという哲学者は、病気で亡くなったのですが、ギリギリまでメモを書き続けていたのです。それを弟子が編纂して、後の人の目に触れることになりましたが、そのメモには「1つ進歩があって、やっぱり幸せだ」というようなことも書かれてありました。哲学者のエンジンを動かしているものの中で、一番大きなものは、1歩進めたという幸せかもしれません。それがある限りやっていける、という気持ちがあります。さらに、他の人も幸せにすることができたり、自分の表現物を読者が共に喜んでくれるといったことになれば、素晴らしいなと思っています。

今、新しく本を書こうとしていて、何冊になるかよく分からないのですが、数年後には出したいと思っています。ここ数年の論文を私のサイトに置いているので、それに色々と書き加えて、今度は自分でも満足できる、生命の哲学の代表作になるような本を書こうと思っています。今、構想中ですが、今度の哲学書はかなり分厚い本になると思います。その内容は、誰かの研究といったものではなくて、哲学のど真ん中の問いをとことんまで追いつめていこうというものなので、私の主著になるはずです。これからも、論文の形で断片をたくさん発表しながら、全体を作ろうと思っています。ただ出版社からは、「分厚くなると高くなる」と言われているので、悩むところではあります(笑)。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 森岡正博

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