学問の知らない世界をみせてくれた先生たち
――家庭の外で、影響を受けた方などはいらっしゃいましたか。
岸見一郎氏: 大学生になるまで、家庭以外で僕にいろいろなことを教えてくれた先生が3人いました。最初に影響を受けたのは小学校5年生の時に出会った先生です。僕に文学を教えてくれました。先生は詩人で、朝、教室に入ると、よく黒板に自作の詩や著名な詩人の作品が書いてありました。1時間目の授業は、その詩をみんなで読んで議論しました。「すごくいい」とか「面白い」とかはダメ。必ず、そう主張する根拠を示せというのがその先生の方針でした。小学生の頃から、そういう議論をしていたため、知らぬ間に論理的に考えるトレーニングを積み重ねていました。6年生になると、石川啄木の短歌を読みたくなって、古語辞典を買いました。ものすごく背伸びしていたような気もしますが、それも多分、先生の影響だったと思います。
中学2年生になった時、私立高校の合格を目指して、家庭教師に付いて勉強しました。当時27歳の京大工学部出身の先生でした。名の通った企業に就職したのですが、そこを辞めて、実家がお寺ということもあって仏教を学ぶために、文学部に学士入学しました。わざわざ仕事を辞めて文学部に入るという、常識的には人生の本道から脱線したかのように見える生き方があるということを、その先生に出会ったことで、僕は知ってしまったのです。
先生は毎回、風呂敷にたくさんの本を包んでやって来ました。先生の影響を受け、仏教や思想に興味を持ち始めました。先生と同じ万年筆を買い、同じ黒色のインクを入れるぐらい、先生に心酔していました(笑)。
「人と人は対等」
――印象的な出会いが続きます。
岸見一郎氏: このように小学校、中学校で素晴らしい師に出会えたのですが、高校での先生との出会いが決定打となりました。高校2年生の時の、倫理社会の先生で、当時70歳ぐらいの方でした。その先生に出会わなかったら、今の僕は、おそらくいないと言えるでしょう。まだ先生に教えを受ける前に一度、廊下ですれ違ったことがあるのですが、その時に僕が軽く会釈したら、先生は立ち止まって深々と頭を下げてくださったのです。人と人は対等だということをアドラー心理学では言います。年齢や経験、それから知識が違っても対等、ということを体現していた先生でした。
その一瞬の出会いは、ずっと心に残っています。後に先生は、僕が哲学を専攻するということを聞くと、「哲学を学ぶということはとても大変で、生活は決して楽ではない。世間的な成功は望めない」と反対しました。僕の決意の固さを試していたのかもしれませんね。僕の決意が固いことを知った先生は態度を一変し、みんなの下校後に先生から個人授業を受けることになり、マルクスの『経済学批判』の序文を一緒に読みました。そのプリントにはドイツ語の原文が書いてあり、当時、僕はドイツ語を勉強していたので、先生に「ドイツ語で読んでもらえますか」といったところ、ドイツ語でも読むことになりました。
「なんでドイツ語を知っているのか」という話にはならず、「高校生なのに」という意識も全然ない。そういう風に自分のことを見てくれる人が、世の中にいるということが僕には衝撃でした。通常の授業でも先生は、教科書にある、太文字のゴシックで書かれた大事な言葉を、英語、ドイツ語、フランス語、ラテン語、ギリシア語の5カ国語で必ず黒板に書いていました。ギリシア哲学を後に学ぶきっかけになった出来事もありました。
――まるで大学の講義のようですね。
岸見一郎氏: 教科書に、『ヨハネ黙示録』の一文が引用してあり、それは「我はアルファなりオメガなり」という言葉でした。「この言葉の意味を説明するから」と、先生からアルファからオメガまでの、ギリシア語のアルファベットの一覧表のプリントを配られました。ギリシア語の発音の規則は簡単で、文字と音価さえ覚えたらすぐに読めるようになりました。すると今度は、ギリシア語で書かれた『ヨハネ福音書』の冒頭の一節が書かれたプリントが配られ、「諸君はこれが読めるから一緒に読もう」と先生はいいました。それが僕と古代ギリシア語との最初の出会いでした。先生の授業は、いつもそんな調子で、僕ともう1人の友人以外は聞いている人はほとんどなく、他の学生はたいてい内職をしていました(笑)。この友人との出会いも、大きな収穫でした。
――『嫌われる勇気』にも登場された方でしょうか。
岸見一郎氏: そうです。ものすごく頭の良い人で、強く印象に残っています。当時は、僕が発言した時、彼はどう感じるだろう、どう思うだろうという彼の反応をいつも気にしていました。その友人とは、一度、音信が途絶えたのですが、数十年経過してから、タイでジャーナリストとして活躍しているということが分かりました。英語とタイ語を駆使し、ビデオカメラを使って取材活動をしているようです。
著書一覧『 岸見一郎 』