岸見一郎

Profile

1956年、京都府生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学(西洋哲学史専攻)。専門の哲学(西洋古代哲学、特にプラトン哲学)と並行して、1989年からアドラー心理学を研究。精力的にアドラー心理学や古代哲学の執筆・講演活動、そして精神科医院などで多くの“青年”のカウンセリングを行う。 近著に『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え』(古賀史健と共著、ダイヤモンド社)、『アドラー心理学 実践入門 「生」「老」「病」「死」との向き合い方』(KKベストセラーズ)、『よく生きるということ 「死」から「生」を考える』(唯学書房)、『介護のための心理学入門』(アルテ)、『困った時のアドラー心理学』(中央公論新社)など。

Book Information

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装丁は紙の本、スペースの節約には電子書籍


――想いを伝える素敵な媒体ですが、電子書籍の登場など変化してきています。


岸見一郎氏: 僕は欧文の文献を読むことが多いのですが、紙の本ならば、取り寄せるのに何ヶ月もかかります。その点、電子書籍なら瞬時に、安価にダウンロードできます。それと絶版になった本が生き残るということ。これもありがたいです。ただ電子書籍と紙の本は、役割分担というか、制度的には両方あっていいと思います。実際、『嫌われる勇気』は両方あります。
岸見一郎氏
『嫌われる勇気』の紙バージョンは、装丁にものすごく凝っています。紙質も選びましたし、装丁の人はもちろんフォントディレクターも関わっています。モノ作りのこだわりの部分は、電子の本では味わえません。そういった装丁に凝っている本というのは、電子書籍で既に買っていても本屋で手にしてしまったら欲しくなると思います。

閲覧性も、まだまだ紙の方に軍配が上がります。紙の本は、「あの辺に書いてあった、最初の方に書いてあった」という記憶がありますから、そのページをすぐに開くことができます。他方、電子本では検索をかけないといけません。また、電子の本はページ番号が出ないものが多いです。本を書く時に、参照元としてページ番号を書かないといけない時がありますが、そういう場合、ページ番号を知るためだけに図書館に行くこともあります。一方で、電子書籍を使うことでスペースを節約できるので、そういう意味ではいい時代になってきているなと思います。

工夫や勉強、みんなの熱い思いが、書店や本を良くする


――読み手としてはいかがですか。


岸見一郎氏: 今でも、書店に足を運んで本を購入しますが、自分と何か共鳴する本と出会いにいきます。仕事モードで引っ掛かる本もあれば、全然関係ないところで引っ掛かる本もあります。無意識で、選んでいるのかもしれません。あえて書店に行くのは、思いがけない本との出会いがあるからです。Amazonも最近はそういう工夫もしていますが、電子書籍には、書店に行く時のような偶然の出会いはありません。それは残念ですね。

――書店では、アットランダムな出会いを楽しむのですね。


岸見一郎氏: もちろん書店と一口に言っても当たりはずれがあります。書店員さんがものすごく勉強しているところは、どんなに狭い書店でもやっていけます。1日2日本を並べてみて、売れない本はすぐに返してしまうようでは、本が売れるはずがありません。ポップも書き、きちんと本を並べる本屋ならば、そこの本屋は売れます。売り方、届け方など工夫しない書店は、どんなに大きなスペースのある書店でもダメだと僕は思います。だから、「ここの書店員さんは勉強しているな」と思うところに行きます。書き手はもちろん編集者、装丁家や印刷所の方、流通や書店の方々がみんなで力を合わせて本を出していくという、そういう熱い思いがあると本は売れるのです。電子書籍においてもそれは同じではないでしょうか。

――岸見さんにとって、本はどんな存在ですか。


岸見一郎氏: 僕自身が入院していた時もたくさん本を持ち込みましたが、その時の僕にとって、本は大きな救いとなりました。母が脳梗塞で臥せっていた時も、僕が高校の頃に読んでいたドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を読みたいと母がいったので、毎日毎日読み聞かせていたことがあります。そういう状況下でも、読みたいと思わせる力が、本にはあるのだと思います。本のそういう力を知ることができて、良かったと思います。

また、僕の生き方に反対し続けていた父が、ある日、僕の講演会のチラシを見て、「おまえは人助けの仕事をしているな」と言ってくれました。その時から、人助けが僕の使命だと思っています。それからというもの、僕が本を出すと、父は必ずその本を持って外出していました。父が持っていたわずかな本の中に僕の本がたくさんありました。このことを知って僕と父との関係は良くなりました。これも本にまつわる僕の思い出ですね。

哲学者として、考える本を世に送り出したい


――今後どのようなことを伝え、また使命である人助けをしていきたいと思われますか。

岸見一郎氏

岸見一郎氏: 講演会では、「一生懸命というのは真剣」と言っているのですが、真剣に生きることはすごく大事だけれど、真剣に生きるということと深刻になるということは全然違うことだとも言っています。「真剣だけど深刻になってはいけない」のです。人に裏切られるかもしれないし、対人関係で傷つくかもしれない。でも『嫌われる勇気』の中で哲人は、悲しみや傷つくことを避けていたら誰とも深い関係も築けないと語っています。
とりあえず毎日、朝起きたら、「あ、生きていたな、良かった。とりあえず今日は頑張ろう」と思うのです。そうしたらまた明日に繋がるかもしれませんが、それは誰にも分かりません。誰にも分からないことを思い煩う必要はないのです。たとえ死が無であったとしても、では今、生きる意味がないかというと、そんなことはありません。

本の著作に関しては、出版のオファーがたくさんきています。当然、身は一つなのですべてを受けることはできません。先日受けた依頼は、締め切りが1年後で、書けるだろうかとも思ったのですが、たくさんの人に届けたいと思うし、ベストセラーになるかどうかとは関係なしに、よく僕の考え方を理解してくれる編集者であると思ったので引き受けました。そういうオファーがいくつかあって、おそらくこの1年ぐらいはかかりきりになるような気がしています。

それと、前からプラトンの翻訳を手がけていて、それを含めて、今後はアドラー心理学だけではなく、哲学の本を書きたいと思っています。僕自身も病気をしましたし、父は認知症になりました。ですから、看護師教育にはすごく関心がありますし、今も看護学校で教えています。患者さんと直に接するので、看護師というのは大切な仕事です。まだ詳しくは決めていませんが、看護師さんのための本を書きたいと考えています。

また福島の第一原発事故に関して、今起こっていることを、放っておいてはいけないと思います。事故が起ころうと起こるまいと、作業に携わっている人は被爆しているのです。誰かの犠牲の上に電力供給がされるなどというのはあり得ません。そういうことが今の世の中で、たくさん起こっています。原発を稼働すれば日に日に増えていく放射性廃棄物も、海外に持っていけばいいではないかという考え方もあるのです。ひどい話です。原発問題はエネルギー問題ではなく、人権問題だと強く思います。そういうことは哲学者が発言しなければならないと考えているので、そのあたりのところをきちんと本で書きたいと思っています。

福永武彦という人の、主人公の女性の1人が広島の被爆者である『死の島』という本があります。貴重な本であり、古典だと思います。登場人物の1人が、原爆を使うなと要求する権利はあるのかどうかと自問している場面もあります。そういう本を読むと、大いに考えさせられます。それと同時に、今の自分が置かれているこの時代のことを考えます。古典というのはずっと読み継がれる本で、必ずしもその時代に迎合する本ではないから、ずれるところもあるし、何を言わんとしているのか、すっと入ってこないところもありますが、決して古くはなりません。僕もそういう本を書きたいです。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 岸見一郎

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