晴山陽一

Profile

1950年、東京生まれ早稲田大学文学部哲学科(ギリシャ哲学専攻)卒業後、出版社に入り、英語教材の編集、経済雑誌の創刊、学習ソフトの開発などを手がける。元ニュートン社ソフト開発部長。1996年、自作ソフト『大学受験1100単語』普及のため、「英単語速習講座」を主催、全国各地で受験生の指導にあたる。1997年に独立し、精力的に執筆を続けている。 著書は『文法いらずの「単語ラリー」英会話』(青春新書インテリジェンス)、『「カタカナ英語」ではじめよう!』(角川フォレスタ)、『英語の見方が180度変わる 新しい英文法』『気がつけばバイリンガル 「英語で笑おう」』(IBCパブリッシング)など、100冊以上。

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自分の人生のクリエイターになる、ということ。



英語教育研究家。大学卒業後に入社した出版社で英語教材の編集、経済雑誌の創刊、学習ソフトの開発などをされていました。また「英単語速習講座」の主催など、自作ソフト『大学受験1100単語』の普及活動を行い、全国各地で受験生の指導をされたご経験も。独立後も『英単語速習術』『英単語倍増術』『たった100単語の英会話』『すごい言葉』『英語ベストセラー本の研究』など、著書は130冊を超え、作中イラストも手掛けてらっしゃいます。また「手作り電子書籍」シリーズも刊行。Twitterの「10秒英語塾」での、笑いに満ちたクイズ形式のレクチャーでも注目を集めています。最大の趣味は「本の企画と、本作り」。生涯300冊が目標、とおっしゃる晴山さんに、その執筆の秘訣、出版塾で伝えたいこと、そして、編集者としての経験を踏まえた本作りについて語っていただきました。

ネタが尽きることは無い。閃きは、いつも思わぬところから飛び出す。


――コンスタントに出版を続けられる秘訣について伺います。


晴山陽一氏: 書籍数は16年間で130冊だから、コンスタントに年に8冊ずつ出しているということになりますね。私の場合は、エネルギーの出し方が少し違うというか、スポーツで言うとゾーンに入るというようなところがあるのだと思います。16年間で一度も執筆依頼が途切れたことがありません。去年ぐらいから執筆のペースが早まっているようにも感じていて、例えば、この『英語で笑おう』という本の場合は、英米のジョーク本を翻訳しながら書いていって、13万バイトぐらいの文字量の本をたった5日で書き上げてしまいました。執筆には先ほどの「ゾーンに入る」感覚というか、ある種の集中力が必要なのですが、若い時に禅に親しんだことが役立っています。

――晴山さんの本は、相当ボリュームがありますよね。


晴山陽一氏: 背景となる執筆の材料は大量に集めます。もう5年目になりますが、夜の11時ぐらいから1時間、Twitterで完全に無償の塾を、原則365日、正月も盆暮れもなしでやってきました。毎日5題ずつジョークを使って問題を出し、オチの部分でどういう単語が入れば一番笑えるかを当てさせるといったものです。その塾を毎晩やるために、常にジョークのネタ集めをしています。『英語で笑おう』の中には、300弱のジョークが納められていますが、ストックは3000~4000ぐらいはあると思います。そうやってネタは増え続けているので、書いても書いてもネタが尽きることはありません。私は編集者をしていたので、ネタがなくなるのが一番困るということがよく分かっているのです。「無から有は生じない」とよく西洋では言われますが、東洋は「無からなんでも出てくる」という考え方だと私は思うのです。意識している世界は無意識の世界の何パーセントに過ぎないなどと言われますよね。例えばこうやってお話していても、実際には常に脳の中には音や映像など、色々な情報が入ってきているわけです。そういう意識されない世界、いわば無の世界といつもコンタクトを取るようにしていると、思わぬところから閃きが飛び出してくるのです。

啄木から本作りの世界に憧れる


――本を作りたいと思ったのはいつごろからですか。


晴山陽一氏: もともと本を作るのは好きだったのだと思います。世田谷区の池尻に住んでいましたが、学校は経堂の近くの赤堤小学校というところで、バス停で13個ほど遠く離れていました。小学校に入った時は、ひときわ大人しい子で、1学期の最後の通信簿に「初めて晴山君が笑いました!」と先生に書かれるような子でした(笑)。でも、小学校1年生の頃、先生が1時間かけてお話を聞かせてくれた時には、家に帰ってから画用紙を切って綴じ、自分の記憶をたどって文を書き、表紙も色を塗って小さな絵本にして、翌日、学校へ持って行きました。

小学校5年の時に、石川啄木の伝記を読んで感銘を受けました。歌人である啄木は、短歌以外にも小説や日記も発表していますが、伝記には啄木が自作した表紙の写真も載っていました。本を書くだけでなく装丁も自分でしてしまう啄木に憧れを持ったのです。例えば「ドリトル先生」シリーズも、ヒュー・ロフティングが挿し絵を自分で描いていて、全部サインが入っていますよね。あれにもシビれました。書くということ以上に、その世界を作るといったことに憧れを持っていました。

――自分が作った世界を見てもらい、さらに喜んでもらいたいという気持ちだったのですね。


晴山陽一氏: そう、喜んでもらいたい。これも5年生のときでしたが、あるとき先生が「家までの歩数を計りましょう」という宿題を出しました。翌日、みんなが「320歩でした」などと結果を発表していきましたが、私はバス通学で家が遠かったので除外対象だったのです。ところが私の番がきて「十万何千何百何十何歩でした!」と発表したのです(笑)。遠いから特別だという風に思いませんでしたし、逆に、「よっしゃ、何歩だろう?」と思って挑戦したのです。

数え方を工夫しました。まず指で数えて、100までいくと、小さな石ころを拾って右のポケットに入れました。1000歩になった時には、右ポケットの石ころを全部捨てて、少し大きめの石を1個拾って、左のポケットに入れました。つまり指と左右のポケットを使って十進法をやったのです。翌日発表をした時には級友も先生も驚嘆していました。「みんな、びっくりするだろうな」と思ったので、数えるのも楽しかったのです。みんなを驚かせたいという気持ちがありましたし、仕組みを考えることを楽しみました。このときの「みんなを驚かせたい、
楽しませたい!」という想いは今の執筆に繋がっているかもしれません。

著書一覧『 晴山陽一

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