小説との出会いがきっかけで、読み手から伝え手へ
――その頃から、ロシア文学の翻訳を手がけられています。
沼野恭子氏: 最初は夫との共訳で出版していたのですが、私自身「何か人に伝えたい」と強く思うようになったのは、リュドミラ・ウリツカヤという作家の、『ソーネチカ』という小説を読んだのが大きかったと思います。女性の一生の物語を書いたもので、主人公のソーネチカはどちらかといえば冴えない女性なのですが、とにかく本が大好きで、内面的に輝いている女性なんです。主人公のことが本当に愛おしくなる作品でした。ものすごく感動して、ロシア語の原文を読みながら涙を流してしまいました。外国語の小説を読んで泣けるというのが自分自身でも不思議というか、そこまで感動できたということが非常にうれしかったのを覚えています。
「ロシア語で書いてあるから感動したのだろうか、これが翻訳されたらどうなのだろう、日本の読者にも感動してもらえるのだろうか」とふと思ったのがきっかけでした。それで「こういう良い小説があるんですが」と自分の方から、知り合いの編集者に話を持ち込みました。そして、クレストブックスという新潮社のシリーズに入れていただくことになりました。
――出版後の反響はいかがしたか。
沼野恭子氏: 新聞、雑誌の書評欄などで取り上げていただきました。女性誌での紹介が多かったように思います。この本を気に入ってくださった方から「すごく良かった」とか、「感動した」という言葉を聞いた時に、「ああ、伝わった」と思いました。私が原文を読んで味わったのと同じような感動を、日本語にしても伝えられるんだということを実感しました。だから本当に忘れがたい、大好きな小説なのです。最初は読み手でしたが、今度は伝え手になりたいと思ったきっかけが、その『ソーネチカ』でしたね。
翻訳は演奏のようなもの。色々な伝え方がある
――そこから翻訳によって、ロシア文学を広めていくことになったのですね。
沼野恭子氏: 一般的には、自分でものを書くことと翻訳することを比べたら、前者の方が「上」というふうに思われているのではないでしょうか。でも、外国文学を研究したり紹介したりしている身としては、いいものをできる限りいい翻訳で日本の読者に伝えるということも、自分でものを書くのと同じぐらい大事な作業だと思っています。私の場合は現代ロシア文学なのですが、ロシアでは次から次へと才能のある作家が出てきます。その活気ある現状を編集者に伝えたり、自分でブログを書いたりすることにより、「じゃあその作家の書いたものを日本語で読んでみたい」という人が増えてくれるといいなと思っています。
――沼野さんは、どんな想いを込めて翻訳されていますか。
沼野恭子氏: 原作がごつごつした感じの感触を持っている文章であれば、ごつごつした感じの日本語になったほうがいいですし、原作がふんわり柔らかい感じだったら、やはりそういう雰囲気になるといいと思います。つまりどんな文体で書かれているかということが大事で、読みやすいからといって何でもかんでも滑らかに訳してしまうと、原文に近い感触で訳していることにはならないと思うのです。またジャンルによっても違ってきて、例えばミステリーなら、文体にあまりとらわれ過ぎると、謎解きの方に関心が向かなくなってしまうので、論理的にすらすらと読める文章にする必要があります。純文学では、何が書いてあるかということよりも、いかに書かれているか、つまり文体の方が大事なものも多いと思います。ですから、私は広い意味での「文体」を大事にしながら訳したいと考えています。
また翻訳者も生身の人間ですし、翻訳者というフィルターを通して伝わっていくものなので、翻訳者がまったくの透明人間になるということはできないのではないかと思います。翻訳は演奏のようなものと例えることができるでしょう。楽譜にあたるものが原作です。日本語にしてどう奏でるかというところには、演奏者の個性が出てくるのではないかと思っています。
ものすごく速く演奏する人もいれば、情緒たっぷりに演奏する人もいます。翻訳においても同じで、色んな形があり得るということではないでしょうか。何通りもの翻訳ができるというのは、何通りもの演奏がある、演奏するたびに響きが違うということでしょう。ドフトエフスキーなどは十種類以上翻訳がありますよね。言葉はどんどん進化するというか、変わっていくものですから、昔訳したものと今訳すものとでは、使う語彙自体も違います。「これをより良く訳して、日本語ネイティブの人に読んでもらいたい」という使命感が、よい翻訳を生むと思っています。