本を媒介にした出会いの場
――そうやって色んな想いが込められた、本の素晴らしさを感じますね。
沼野恭子氏: 装丁も大きな魅力です。持ち感とか、手触りとかがいいですよね。原稿ができあがってゲラをやり取りしているうちに、「表紙が出来上がってきましたよ」と送ってもらうのが、本当に楽しみです。今はロシアで本屋さんに行くと、素敵な本がたくさんあります。本の装丁を見るだけでも楽しいです。
ソ連時代からずっとそうなのですが、ロシアは世界で一番本を読む国と言われています。そして、ロシア人はそれを誇りにしています。昔に比べたら、最近は紙の質も良くなっていますし、なにしろ、ロシア・アヴァンギャルドを生んだ国ですから、デザインなども素晴らしくなってきました。ところが数年前のことですが、モスクワに行ったら、地下鉄で多くの人が電子書籍を読んでいるのに気がついてびっくりしました。書籍としての本のレベルも上がっているけれど、それと平行した形で電子書籍もかなり普及してきているのです。本屋さん自体も素敵に進化してきていて、イベントができるようなスポットがあちこちにできています。そういうのを見ていて私は日本でも、紙と電子はうまく共存、分業をしていけるのではないかと思います。
――イベントが出来るブックカフェ。本の魅力の窓口である書店の新たな形ですね。
沼野恭子氏: 今は、色々なポップを立ててくださるカリスマ書店員さんなどが出てきたりして、うれしい現象が起こっていますね。本のことをよく知っている書店員さんのいる本屋さんって、すごくいいですよね。並べ方とかも違いますし、手作りであったかいポップが立っていると本当にうれしくなります。これからは、イベントを行えるような本屋さんがもっと出てくるといいなと思います。
今注目しているのはゲンロンカフェ。ああいった面白いトークイベントをどんどんやってほしいです。こういうのが文化の掘り起こしだと思うので、本を出しておしまいというのではなく、その本をネタにして色々な人たちがつながっていったり、読み方を議論したりできると良いですよね。去年から国際文芸フェスというものも行われていますが、このようなイベントが定期的に開催されるようになれば、もっとみんなが本に興味を持てると思います。
生きた作家なり翻訳家なり、あるいは読者代表というような形の評論家の方などが色々と話のできる、本を媒介にした出会いの場というのを作れるといいなと考えています。話を聞いてから読んでもいいし、読んで自分なりの考えを持ってきて、トークに参加してもいい。そういう自由な知的空間がもっともっとできればいいですね。その中核になるのが、本屋さんでもいいのではないでしょうか。
服飾・ファッションの世界から見るロシア
――色んな取り組みで本の世界を活性化していきたいですね。沼野先生が今書きたい、気になっているテーマを教えてください。
沼野恭子氏: 今はロシアの服飾、ファッションについて調べています。そのきっかけとなったのは、ナジェージダ・ラマノワというロシアのファッションデザイナーです。革命前は、皇室ご用達の、裾が長く、素晴らしくゴージャスなドレスを作っていました。芝居の衣装も手がけていたといいます。革命後はソ連に残り、また新しい才能を発揮して、お金持ちの貴族のためはなく、民衆のための洋服を作ろうということで活躍しました。
芸術家というのはふつう顧客がいなくても、自分のために自分のやりたいことをして芸術作品を作りますよね。でも、クチュリエ(オーダーメイドの高級衣服の仕立て人)というのは、オーダーする人がいて初めて成り立つ職業です。ラマノワは、芸術家ではなくあくまでも職人でした。でも、そうであったからこそ、革命が起こって新しい時代になったとき、注文主だった貴族がいなくなり、「民衆のための洋服」を作ることが社会的要請となっても、彼女は自分の作品を、時代という注文主に合わせて作ることができたのだと思います。
その当時のコンセプトは、新時代の新しい人間のための新しい洋服。もちろんラマノワに才能があったということもありますし、「機を見るに敏」だったのだと思います。ある意味で非常にしたたかだし、高い適応力があった。そういう彼女の生きざまにすごく興味を感じています。20世紀初頭はアヴァンギャルド芸術家の中でかなりの数の女性が活躍していました。彼女たちは幾何学模様の抽象画を描いていたり、服飾デザインもしていたので、そのあたりの全体像を見ながら、ラマノワに焦点をあてた論文を書きたいと思っています。
(聞き手:沖中幸太郎)
著書一覧『 沼野恭子 』