深尾光洋

Profile

1951年、岐阜県生まれ。京都大学工学部卒業後、日本銀行入行。米国ミシガン大学に留学し1981年に経済学博士(Ph.D)を取得。その後、経済企画庁 調査局、OECD(経済協力開発機構)金融財政政策課エコノミスト、日本銀行調査統計局参事などを経て現職。専門は国際金融論、金融論、コーポレート・ガバナンス。 著書に『財政破綻は回避できるか』『国際金融論講義』『中国経済のマクロ分析 高成長は持続可能か』(日本経済新聞出版社)、『メガバンクと巨大生保が破綻する日』(講談社プラスアルファ文庫)、など多数。『為替レートと金融市場』(東洋経済新報社)では日経・経済図書文化賞を受賞した。

Book Information

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

終わりなき探求で世界の動きを紐解きたい



1974年京都大学工学部を卒業後、日本銀行に入行。米国ミシガン大学に留学し、81年に経済学博士(Ph.D)を取得。経済企画庁調査局、OECD(経済協力開発機構) 金融財政政策課エコノミスト、日本銀行調査統計局参事などを経て、97年4月から慶應義塾大学商学部教授として教鞭をとられています。専門は国際金融論、コーポレートガバナンス。主な著書に『中国経済のマクロ分析』、『国際金融論講義』、『財政破綻は回避できるか』などがあります。大学でのゼミ、金融の話はもとより、今でも続く趣味のカメラにまつわる話、またその観点からみる電子の可能性まで、語って頂きました。

学生たちとの新たな発見

――深尾先生のゼミはどのような形でおこなっていますか。


深尾光洋氏: 授業は木曜の午後4-5限に2コマ通しでやっています。月曜の4限にサブゼミもやっていて、全部で3コマ。国際金融、企業金融といった感じで金融全般をやっています。私が教えている社会科学というのは社会の仕組みを理解する学問ですが、社会の仕組は法律の建前だけでは機能しません。

制度を本当に機能させているのは、制度の中で生きている人に対するインセンティブです。報酬と罰則のバランスですね。会社の仕組みで言えば、役員は普通、株主総会で選ばれます。しかし会社は株主総会でコントロールされているのではありません。むしろ報酬と罰則の組み合わせとして、経営者のインセンティブを引き出すように仕組まれているのが会社制度です。また、会社が倒産するとはどういうことか。倒産する時、それぞれの利害関係者はどういう立場になるのか、金融機関はどうなるのか。そういった経済の仕組み、中でもミクロ金融に係る部分を教えます。

ただ、金融はマクロも大事です。アベノミクスの効果のように、日銀による金融政策の機能や有効性も重要なテーマです。ミクロとマクロの両面から金融を分かってもらいたいと思っています。2年かけて、それらをカバーするのが目標です。

――金融全般を学生に教えるには、専門家に説明するのとは別の苦労がありそうですね。


深尾光洋氏: 学生に教え続けていると、だんだんどこが分からないのかが分かってきますので、徐々に授業内容はやさしくなっていると思います。最後の到達点は変えないようにしていますが、たぶん私が担当した最初の授業が一番難しかっただろうとは思いますね。大学にくるまでは日銀にいましたが、日銀に勤めている人は、相当程度、金融・経済の常識があります。ある程度分かっている人に難しいことを説明するのは非常に容易です。金融を知らない人に株式と債券の違いなどを説明するのは大変。でも、大学で学生たちに教えていると、どこまでを前提にして話したらいいのか、だんだん分かってきました。また、どこが分からないのかも分かるようになり、それを学生達には説明するようにしています。

――お仕事上、多くのデータを扱うと思います。経済白書を執筆された時など、どのように管理されていたのですか。


深尾光洋氏: 私がパソコンを使い始めたのは1984年でかなり早かったと思います。経済白書の原稿も全てパソコンで入稿しました。当時、経済企画庁はまだガリ版を使っていたのですが、私の場合は原稿そのものをパソコンで打っていましたので、プリントしてそのままオフセット印刷でき、それまでに比べるとだいぶ合理化はしたと思います(笑)。当時はソフトウェアもほとんどないですからね、行列演算や回帰分析などは自分でプログラミングをしていました。面白かったですよ。

写真にハマった中学時代


――プログラミングですか、エンジニアのようですね。


深尾光洋氏: そうですね、元々工学部出身ですし、小学校の頃から図書館にあるSFを読んだりしていましたので、近未来ものとか宇宙ものは結構好きでしたね。小学校の図書館にあるSFに関する本はほとんど全部読んだんじゃないかと思いますよ(笑)。そういった読書の経験から、将来はエンジニアになりたいと思っていました。模型作りが好きで、自分で簡単な図面を引いて、木と紙を使ってギアを入れて動く模型を作ったりしていました。当時、学研から『子供の科学』という月刊誌があって、それを読んで応用して、水陸両用の車を作ったり。そういう意味では理科や図工は好きでしたね。

中学の時に理科部に入ろうと思ったのですが、実体がまったくなくて、部室が隣だった写真部の先輩から勧誘されて写真部へ入りましたが、ハマってしまって(笑)。それからずっと、今でも写真を撮っています。中学の時は自分で撮った写真を現像したり、暗室で引き伸ばしをしたりしていました。写真家も面白そうだなと思いましたが、一緒にやっていた写真仲間のお兄さんにプロの写真家が居て、「写真で楽しもうと思ったらプロになってはいけない」と言われて(笑)、そういうものなのかと思いました。

――プロの写真家ではなく、京大の工学部を選ばれたのは・・・(笑)?


深尾光洋氏: カメラやレンズを親に買ってもらうのに、成績を上げたら買ってくれるということだったので。中学の時に1度、学年トップを取りました。欲しい物があると頑張るんです(笑)。カメラのために頑張って、エンジニアになりたくて京大に。その頃の熱意と言ったらすごいもので、お小遣いも全てカメラにつぎ込んでいましたね。すべてフィルム代と現像代に消えていました(笑)。風景も撮りましたし、クラスメイトも撮っていました。高校時代の写真なんかもいっぱいあります。全部フィルムスキャナーでスキャンしてiPadに保存しています。フィルムだと40年も放っておくと色褪せてしまいますからね。

電子化とリスク、可能性


――(実際にiPadを見せて頂く)かなりアーカイブ化されていますね。




深尾光洋氏: フィルムの色が褪せているものが多いので、古いものは取り込む際にPhotoshopを使って修正・加工して保存しています。けれどフィルムを捨てる訳ではない。これは本にも言えることなんだけど、紙の書籍と電子書籍、両方いるでしょうね。紙の方が読みやすいことも多いですし、電子は消えてなくなるリスクが常にありますので。単にウイルスというレベルではなく、地球全体に強烈な磁気嵐が来ることもあるんです。1800年代の半ばに起きた強力な磁気嵐では、当時の有線電信網が燃えました。数百年に1回のレベルですけれどね。

――そういう意味では、アーカイブを全て電子に任せておけば安心というわけでもないですね。


深尾光洋氏: 極めて危険だと思います。飛行機や原子炉なんかの電子制御も絶対大丈夫なんてことはあり得ません。エンジニアであれば「壊れない機械はない」ことは常識の中の常識です。例えば爆撃機が墜落したり、ミサイルが飛んできた場合に耐えられる原子炉なんて世界中どこにもないんです。そのリスクは非常に少ないですが、可能性はあります。それを「絶対安全」と言い張ったところに大きな問題があります。

――「絶対というものはない」と。


深尾光洋氏: 潰れない銀行もないわけです(笑)。ですから、そうなっても大丈夫なように作らなければいけないんです。壊れるかもしれないけれど、壊れた時に重大なリスクがないように設計、デザインする。銀行のリスク管理では、私はBIS規制に関わっていましたので、短期間の金融データによるリスク量の推定は極めて危険だと分かっていました。しかしリーマンショック前、米銀はそれをやっていたわけです。

規制当局と政治家と業界は三すくみになっています。政治家は業界の影響を受けます。政治家の影響を官僚機構は受けます。そこが銀行を規制していますから、規制は長い間に必ず甘くなる方へいくわけです。お金を持っているのは業界ですから。でも、それをどうやってチェックするのかは難しい、民主主義を壊すという話にもなりますので。

――本における、電子の可能性についてはいかがでしょう。


深尾光洋氏: 日本ではまだ、電子書籍の出版量が圧倒的に少ないですよね。また、例えば米国のKindleでしばらく以前に起きたと思いますが、販売した本の中に著作権をクリアしていない本があって、Amazon側が買った人の端末から自動的にデータを消している。そういうことが起きると信用がなくなります。電子データの横にコメントなんかを書いていた場合、それをシステムサイドが丸ごと消しちゃうわけですから。それならPDFの方がマシですよね。クラウドベースにするとそういうリスクがあります。

デジタルのいいところはup to dateのもので無料で手に入るものが多いことだと思います。ただ、ウエブページについては大事なものほどなくなるということは良く分かっていますので、残しておきたいデータはPDFにして保存しています。PDFに画像を全部埋め込んだ格好で保存すれば、元が消えても大丈夫ですから。大事なログは自分で取るのが、基本です。あと、電子書籍で言えば、版元切れにして絶版にしたものは、基本全て電子化するべき。電子化で提供するのを義務付けるべきだと思いますね。

――絶版をなくすのですね。


深尾光洋氏: 現状絶版になった本は、読者は欲しくても読めないわけでしょう。それは出版社として怠慢。アクティブに出版して印刷している場合は、版権の回収がありますので出版社が電子化しないという判断はあり得ると思いますが、出版されなくなったものについては何らかの形で提供できるようにすべきですよね。過去の絶版書は全て電子化して有料で図書館に提供するなり、年間いくらという格好で個人にもバルクで提供すれば使いやすくなると思います。印刷して提供する時は1回ずつチャージしてもいいですしね。

――こちらの図書館も大きく変わりそうですね。


深尾光洋氏: 多くの本は電子書籍化されると思います。学術雑誌なんかは、今どんどん電子化されています。慶應大学の図書館も紙ベースのものはどんどん減らしています。もう置けないですから。取り寄せて読むのに数日かかるようなものがたくさん置いてあっても使いものにならない。読まれてなんぼというのが出版物ですので。

難しいものを分かりやすく


――本について、書き手としてどのような想いで執筆されていますか。


深尾光洋氏: 本は「勉強ノート」です。ある分野が分からない時は、自分で分かるようにノートして書きためますよね。それをまとめたものが「本」。私の博士論文は為替レートの決定理論ですが、留学する前には日銀の営業局で外国銀行のディーラーと毎日のように話をしていまして、円高を防ぐために外為市場への介入や様々な規制をやるのですが全然効かないわけです。一体、為替の需給はどうなっているのか。納得できる論文が無かったので、米国留学中に考え勉強した結果をまとめました。

それが、『為替レートと金融市場』という日経賞を取った本です。既存の文献で分かっていない経済現象を分かるように説明して書けば、学問の業績になるわけです。

――それを一般に向けて書く場合、どんなところに気を配っていますか?


深尾光洋氏: なるべく分かりやすくと思っていますが、同時にクオリティも維持しなければいけませんので、それをどうするかです。そういう時にはやはり編集者の役割が大きいですね。編集者というのは、きちんと書かせるというか、借金取りみたいなもので(笑)執筆者にプレッシャーをうまくかける技術はあると思いますね。期日管理というか。原稿に関して言えば、分かりやすくするために編集者からのコメントがたくさん入ることもあります。そうした場合は、当然のことですから直します。難しいことを難しく書くのは簡単ですから。

――電子化時代の、出版社や編集者の役割はいかがでしょう。


深尾光洋氏: ネットに書いてあるものが玉石混淆で、それを吟味、峻別できる人が少ないことは問題ですよね。デマみたいなものがいっぱいありますので。私もFacebookのアカウントは持っていますがTwitterはしていません。ツイートは短すぎて、非常にリスクがあると思います。どんな物事にも「こういう場合はこうだけど、別の場合はこうだ」というものが多いですから。一方的に「これはだめです」という話はない。きちんと説明するには、最低でも1ページか2ページの文章はいると思います。

――先生の想いは、今後どのような形で伝えていかれるのでしょう。


深尾光洋氏: 日本経済だけではなく世界の経済がどう動いていくのか、出来るだけ理解して、これまで出ていない分野があればコラムや本を書いていきたいと思っています。実は、私も学生にものすごく教えられることがあります。私のゼミの怖いところは卒論がA4プリントで60枚以上。それを卒業の年のクリスマスイブまでに提出する(笑)。学生には年末はゆっくり過ごしていただこうと思いまして(笑)。

中国人の留学生が中国の土地所有問題について歴史も含めて詳細に書いてくれるなど、読むと、面白いものがいっぱいあるわけです。卒論のうちの3分の1ぐらいは私から見ても大変面白いものがありますので、かなり自分の勉強になります。そうして、学生たちと新しい発見をしていきたいですね。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 深尾光洋

この著者のタグ: 『大学教授』 『経済』 『海外』 『科学』 『可能性』 『紙』 『歴史』 『写真』 『新聞』 『宇宙』 『カメラ』 『エンジニア』 『お金』 『絶版』 『仕組み』 『雑誌』 『経済学』 『経営者』 『政治家』 『プログラミング』 『クラウド』 『リスク』 『写真家』 『エコノミスト』

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
著者インタビュー一覧へ戻る 著者インタビューのリクエストはこちらから
Prev Next
利用する(会員登録) すべての本・検索
ページトップに戻る