ビデオの登場がチャンスを生んだ
――最初のキャリアである電通では、どんなスタートでしたか?
杉山恒太郎氏: 最初は自分の力のなさに愕然としましたね。仕事には美術的知見やスキルなんかも求められるわけだけど、僕は美大出身ではないし、十分な知識もありませんでしたから。美大というのは絵描きや芸術家になるためだけの大学ではなく、商業美術やデザインなどを勉強できるところでもあると、もっと早くそのことを知っていたら…という想いも頭をかすめましたが、悔やんでも仕方がない。だから、置かれている状況の中で、自分に何ができるのかといつも自問していました。
人のオリジナリティとは何なのかと思って、字に注目したこともありました。というのも、有名なコピーライターは、みんなとても味わいのある字を書くんです。いわゆる上手な文字じゃないし、達筆でもなかったりするのだけど、なんだかその人らしいオリジナリティがある。どうしたら、そんな字が書けるようになるのだろうと、たくさんの人たちの字を集めて、模写したりもしました。そうするうちに、いつしか僕も自分らしい字が書けるようになったんです。不思議なもので、そういう字で書きだすと、キャッチコピーや企画も売れるようになるんです。クライアントに、きちんと評価してもらえるようになるというか……。おそらく、自分の内面にあるものが、スムーズに表現できるようになるんでしょうね。
――模写からオリジナリティを確立されていったのですね。
杉山恒太郎氏: そうやってオリジナリティを確立していく中でチャンスが巡ってきます。当時、CM制作の現場ではまだフィルム撮影が主流で、例えばカメラマンは映った映像をその場で確認できず、プロフェッショナルな経験と知見をもとにした「長年の勘」がものをいう世界でした。僕自身は、ものすごくたくさんの映画を観ていたので、映像の知識は負けていなかったのですが、撮影の経験はもちろんありません。2回りも3回りも年が違う、何人ものスターを仰ぎ見ながら、「カッコいいな。僕があんなふうになるのに何年かかるんだろう」と思っていました。
そんな時に、アメリカからビデオが日本に入ってきたんです。ビデオを使えば、その場で映像を確認できるから、「長年の勘」に頼る部分を小さくできます。おまけに、ウン千万も使っていた制作費を、ウン百万で作れるようにもなる。でも、フィルムで美しいものを作ってきた先輩たちは「ビデオは自分たちの美学に合わない。クオリティが落ちるし、俺たちの美意識を放棄することになる」と言う。しめた! と正直、思いましたね。
――チャンスをつかんだぞ、と。
杉山恒太郎氏: 自分のフィールドを見つける事ができたと思いました。ビデオの映像は、電気的で、先輩たちは美学に合わないと言ったけど、とても新しい感じではあったんです。陰影がないけれど、それがかっこいいとも言えたし、臨場感があって生々しくて、いわゆるニュース性がある。これでCMを作ったら、一気に上へ行けるなと思いました。そこに、小学館の仕事の話があったんです。あまり予算もなかったし、そもそもフィルムでは成り立たないから、ビデオで勝負させてもらえた。やりたいものが向こうから飛んできたわけですから、幸運でした。
どこまでその仕事を愛せるか
――それが「ピッカピカの一年生」だったんですね。
杉山恒太郎氏: そうなんです。日本中をまわって、翌年小学校に入学する子どもたちの姿を撮ることができたのは、まさにビデオだからですよね。映像はニュースを撮る時と同じサイズですから、アートディレクション的にはちょっと気持ちが悪いのですが、おかげで全国からあたかも生中継のように子どもたちがメッセージを送ってきているように見える。それは企画のキモともいえる大事なところですから、寧ろすごくありがたいことでした。この仕事がきっかけで、いろんなことがどんどん好転していきましたね。いいスパイラルに入っていくか、そうでない方向に転がるかは、気の持ちようによるんです。冷静に考えると恵まれた条件ではなくても、そこで「僕ってみじめだな」と思わずに、「だったら、こんなパンクみたいなことをやれるじゃないか」と思えるかどうか。それによって、生み出すものも違ってくるし、そのあとの展開すら大きく変えることができるんです。
――それがクリエイティブの醍醐味であると。
杉山恒太郎氏: そう。仕事というのは自ら作っていくものだから、いい仕事、悪い仕事という区別は、本当はないんですよ。先輩たちはよく、「10本の仕事がきたら、だいたい9本はつまらない。でも1本はチャンスだから、そこで頑張れ」などと言っていましたが、実は残りの9本の中にも、捉えようによっては面白いと思えるものがいくらでも転がっているんです。毎回フルスイングしないといけません。そして、仕事が楽しいと思うこと。仕事を成功させたいなら、面白いと思える仕事を選ぶのではなく、目の前にある仕事をとにかく好きになることですね。面白い仕事だから好きなのではなくて、好きになるから面白いんですよ。要は、どこまでその仕事を愛せるか。それに尽きます。
実際には、必ずしもうれしいことばかりではなく、辛いことも多いんですけどね。特に僕は、「ピッカピカの一年生」にしてもそうだし、デジタルチームの立ち上げにしてもそうでしたが、なぜだか新しいことばかりやるハメになるので。ご存じの通り、この国では前例のないものを始めようとすると、訝しがられたりして、すごく大変です。ときどき、「なんで、いつも余裕のある感じでいるの?」と訊ねられたりもするのですが、実際は全然余裕なんかなくて、山あり谷ありですよ。苦しい顔なんか見せても仕方がないから、そうしないだけで。そこは一種の痩せ我慢ですね。できるなら、あっと驚くようなことを、サラッと成し遂げる自分でありたい。野球でも守備の上手い人は、難しいゴロでも簡単に処理するから、あまりプレーは派手じゃない。自分もそういう風でありたいと思います。
――特にクリエイティブに携わるうえで、大切にされている事はありますか。
杉山恒太郎氏: あらゆることに偏見を持たず、常にフェアでいたいと考えています。偏見を持っていると、新しいことがおきたり、見たことがないものと出会った時に、それを吸収できないじゃないですか。だから、できごとにしても人にしても、偏見を持たないで付き合うようにしています。えてして人間は、正しく見えるものとか、好感を持てそうなものに惹かれるものだけど、実際のところは踏み込んで付き合ってみないとわからない。だから若い人には、とにかく目の前のことに対して偏見を持たないで、まず挑戦してみてほしいと思いますね。
それと最近は「とにかく長生きしろ。長生きは本当に楽しいよ」と言っています。もういい歳になってきたからかもしれないけれど(笑)、長く生きていると本当にいろんなことがあるんですよ。例えば、先日、仲のいい友だちの1人が伊豆に建築家の吉村順三が建てた家を見つけて、リノベーションして暮らし始めたんです。で、ちょうどうちの次女がいま大学で建築を学んでいるので、そのことを教えて、「この家は、なんでこんなにすばらしいのか」とふたりで話しました。僕は昔から吉村順三が大好きなのですが、まさか自分の娘と吉村順三について語りあう幸せなことが自分に起きるとは思ってもいませんでしたね。生きていて良かったなと思いました(笑)。長く生きていると、自分では想像できなかったことが時々起きる。人生、今だけじゃないよ、最後までわからないよ、と声を大にして言いたいですね。