正義と豊かな社会を提起する
東京大学経済学部を卒業後、マッキンゼー・アンド・カンパニー日本支社に初の新卒新入社員として入社。国家政策づくり、金融、消費財メーカー、産業財メーカーなど、幅広い業界のコンサルティングを手掛けるも、「最終意思決定者としてやらないと、自分のプロフェッショナリズムが完結しない」という想いから独立し、自らが舵を切る経営コンサルティング会社、株式会社XEEDを設立する。戦略系コンサルティングの第一人者として幅広くビジョンを提起し続ける波頭さんに、コンサルタントとしての仕事への想い、今の日本に向けたメッセージを語っていただきました。
プロフェッショナルとしての決断。そして独立へ
――XEED(エクシード)について伺います。
波頭亮氏: 会社を作ったのは88年で、実際の稼働は89年。僕が30の時です。僕の独立の動機は2つでした。当時マッキンゼーに入ってまだ5、6年くらいで、プロジェクトの最終責任者になるステージではありませんでした。
コンサルティングの仕事においては、あるクライアントさんの製品がなかなか売れないことに対して、「これは製品があまり良くないからだ」という見立てをする人がいたら、「もっといい製品を作り込みましょう」という処方箋を書きます。十分良くできていると思えば、どういうお店でどういう売り方をすればいいかとか、もっと有効な広告を打てばもっと売れるはずだと考えます。そのように処方箋の見立てが違った場合は、チームの中で徹底的な議論をします。
コンサルティングの仕事は、自分が最終意思決定者としてやらないと、自分のプロフェッショナリズムが完結しないという思いがあって、自分で責任を持ってやりたいというのが最初の動機でした。
また僕は、マッキンゼーが日本で正式な新卒採用をするようになって、最初の1人だったので、重大なビッグプロジェクトに全部アサインされて、すごくいい経験ができました。そこで思ったのは、こんなにすごい仕事ができるというのは「マッキンゼー」という看板があってこそだということ。社会的認知という点でも、周りのサポートという点でもそう。「自分でやって食えるのかな」ということに興味がわいてきました。「独立したらどうなるんだろう」というのが二つめの動機でした。
――個人として一歩を踏み出した時は、どのようなお気持ちだったのでしょうか。
波頭亮氏: うまくいくかどうかの見通しは不確定でしたが、もしなんとかなるのが分かっていたら、あまり興味は湧かなかったかもしれません。どうなるか分からないからこそ面白いものなのです。探検みたいなものですね。89年というバブルの時代だったので、世の中の風潮も良くて、景気も良かった。もともと僕には、偉くなりたいとか、お金を儲けたいという動機はないのです。マッキンゼーのOBの中で、同年代では僕は貧乏な方だと思いますよ(笑)。
権力やお金に対する欲がないので、強がりでも奇麗事でもなく、社会的地位や財産のことはほとんど気になりません。比べたら申し訳ない気もしますが、ビル・ゲイツが美食に興味ないというのは有名で、お昼にはずっとビッグマックを食べているという話はよく理解できます。もちろん僕だって超貧乏なのは嫌ですが(笑)、「考えるだけのお金があったらそれでいいや」という感じです。職人や学者さんのメンタリティーに近いかもしれません。若い時は知的興味が僕のエネルギーになっていたと思いますが、年を重ねてからは、「人のためになりたい」「世のためになりたい」という気持ちが強くなったように感じます。
分からないものを、知りたい
――どのようにして知的興味を満たしてきたのでしょうか。
波頭亮氏: 僕は子どもの時に病気で数年間寝たきりだったことがあり、本を読むことしかできなかったため、4、5歳ぐらいから本を読んでいました。あれは10歳の誕生日のプレゼントだったと思うのですが、本屋で好きな本を好きなだけツケで買っていいという権利をくれたのです。もう買い放題。小学校2、3年生ぐらいには岩波新書を読んでいました。だから結構早熟だったと思います。
小学校の4年生ぐらいには夏目漱石や、森鴎外ではもの足りなくなり、坂口安吾などを読んでいました。小学校の5、6年生の時には実存主義というのにかぶれてフランス系哲学者の比較評論(のようなもの)を書いたりしてました。高校の時は『りぼん』を読んでいましたよ。『別冊マーガレット』にするか『りぼん』にするか、両方読むかと悩みましたが、最終的に『りぼん』にしました。世の中にある新しいもの全部が面白かった。男の読み物とか、女の読み物とかそういったことは関係なかったし、陸奥A子なども大好きでした。
マルクスは、人間の感情によって定型的にはとらえられないような行動を一般化して、しかも資本との相関で世の中を説明し尽くしたという感じで、心を打たれました。フロイトの人間の認識と通底していて感動したりしてました。あと、ニュートン力学にもショックを受けた。まだ真空実験などの実験ができない時に、理論でああいう力学を見つけたのはすごいなと思うと同時に、自分はそういう天才ではないということも分かったのです。だから、そういうことと比べたら偉くなるとかならないというのは、どうでもいいなと思うようになりました。自分が分からないものを、知りたいという思いがやっぱり強かったんだと思います。
――その後、一度銀行に入られます。
波頭亮氏: 銀行も、やはり知的興味で行きました。金融商品の開発かコーポレートファイナンスのスキームを高度化したいということで、銀行に進みました。結局、その約束は守られることはありませんでした。要するにあの『半沢直樹』の世界だったのです。それで辞めることにしました。
卑劣なこと、卑屈な思いはしたくない
――確固たる信念を感じるのですが。
波頭亮氏: 昔からしたくないと思っているのは、「卑劣なことをしたくない」、「卑屈な思いをしたくない」この2つ。卑劣なことをしたり、卑屈な思いをしてまで何かを得たいとも思わない。これは子どもの時からそう思っていました。多くの人が卑屈な思いをさせられたり、卑劣なことをしてしまうのは、実力以上に出世したりあるいはお金を儲けようとするからだと感じていました。
若い頃は、そういった世の中を理解できませんでしたが、30後半になって分かる部分も出てきました。権力やお金に目が眩んでいるだけではなくて、みんな卑屈な思いをしないと、多少はずるいことをしないとご飯すら食えない、家族を養うことができないという、「生身の人間の生活」という現実を僕は見えていなかったのです。それこそ『北斗の拳』のような世界だったら、普通の弱い人々がどんなに頑張っても悪いハート様やスペードにボコにされて終わってしまうのです。僕が権力やお金などを欲しくないと思っていたのも、家族や色んな諸条件のおかげで、食えることが保証されていたからだと思えるようになりました。人として生まれてきたからには、少しは威張りたかったりするので、それはもうしょうがないと思うようになりました。
――『プロフェッショナル原論』にも、波頭さんの信念が読み取れます。
波頭亮氏: 1990年代後半くらいからプロフェッショナリズムがコンサルタントの中からすごい勢いで消えていき、金儲けのための姑息な職業になってしまっているように感じるところがありました。あの本はそういう傾向に対して「ちょっとしっかりしてよ」という後輩たちに対する檄文なのです。同世代のコンサルタントである、冨山和彦さんとの対談で、彼は「今のコンサルティングファームの仕事は、文房具箱だよね」と言っています。やっぱりみんなお金を稼ぐことが、大好きなのです。
「必要なレベルで稼ぐのはいいけれど、知的に恵まれたものがあるんだから、そんなに金のために誇りを捨ててまで卑屈な仕事しなくたっていいじゃん」という思いであの本を書きました。お医者さんたちからは、「胸が熱くなりました」とか「大病院の儲け主義で自分は1回医者を離れていたんだけど、あの本を読んでもう1回医者に戻ろうと思いました」と胸が熱くなるような手紙をたくさんいただきました。
ロングセラーの本を届けたい
波頭亮氏: 僕が本を書くにあたって考えることは、たくさん売れそうかどうかではなくて、読み流すような本ではなくて、精読したいと思ってくれる本を書きたいということです。僕が小学生の頃、本屋さんに並んでいた本は、どれを読んでも面白かったし、立派だなと思う本が多かった。僕にまだ知識や経験がなかったからというのもあるかもしれませんが、本のクオリティが高かったです。今は少し違う気がします。出版社が「本を出しませんか?」と言ってきてくださって、「じゃあこういう本で」と僕が言うと、「それじゃ、売れない」という理由で却下されることも多いのです。あと、軽くて薄い本を作りたがるという傾向もあるように思います。
僕も生活しなければいけないから、ある程度コマーシャリズムと折り合いをつけるというのは、批判はできませんが、僕は幸か不幸か経営コンサルティングの仕事で生活を支えることができるので、売れるかどうかは別にして、少し堅いテーマで、できれば原論的なアプローチで、そして他の人では出せないような本を書こうといつも思っています。
1万部しか売れない本よりは、5万部10万部売れた方が編集者としては会社の中での評価は高くなるのは分かっているので、担当の編集者さんには大変申し訳ないと思っています。でもおかげさまで地味かなと思った本でも、15年ぐらいずっと増刷している本がいくつかあるんですよ。例えば『組織設計概論』に関して言えば、組織の総合的な原論のものはあの本以外にまだ出ていないから、もう13刷か14刷までいっているかなと思います。あの本は編集者がどこかで僕の講演を聴いて、「コンサルティングの経験をベースにした経営の理論書を、書いてくれ」ということで書き始めたものなのです。「そのうちちゃんと書きますから」と言いながらも、締め切りは3、4年は過ぎていましたね(笑)。彼がいなかったらあの本は世の中に出てないと思います。
編集者が持つ熱い想いに呼応する
――編集者というのは、どのような存在であってほしいと思いますか。
波頭亮氏: 編集者とは、内助の功というか、場合によっては奥さんみたいなものだと思います。筑摩で出した『知識人の裏切り』という対談の本があります。19年前に西部邁さんと対談本を作ろうということで対談したのですが、原稿があがっていった段階で、当時の編集長に対して西部さんが怒ってしまって、出版されることはありませんでした。対談を聞きながらテープを起こして文章をまとめていてくださった吉崎さんという編集者がいたのですが、それから19年後、彼は筑摩に移っていたのです。ある時彼から「あの時の玉稿を、いまだに宝物として持っています。なんとかこの玉稿を世に出したいのです。先生、ご協力いただけませんか?」という連絡がきたのです。「そんなに大事に思ってくれていたのなら、僕が西部さんに頼んでもう1回対談して、19年経って日本がどうなったかというので、1冊にしようか」ということで本になりました。この本の表紙に彼の名前を出したいなとさえ思います。
また、『プロフェッショナル原論』を担当してくれたのは、筑摩の湯原さんという名物編集者なのですが、気難しい人からも「湯原が言ってくるんだったら、本を書いてやる」と言われるような方なのです。奇異なご縁でもありますが、そうやって「いい本を作りたい」という人が励ましてくれたりアドバイスをくれたりすると、すごく元気づくし、「よし、頑張ろう」と思えるのです。伴走者というよりもっと重い存在です。
――編集者は、どのような媒体においても必要な存在でしょうか?
波頭亮氏: そうだと思います。見識が高くて、社会に対する問題意識と編集のスキルがある方がいてくれた方が、いい本が生まれる可能性が高いです。ただ、編集者がつかないと良いものが生まれないかというと、そんなこともないと思います。色々な人が気軽に、インターネット上で自分の書いたものをアップできる環境というのはいい。ただ最近は、優秀な編集者というのは「10万部売れる本を作れる」とか「30万部狙える」という意味で言われるようになって、その優秀の定義が変わってきていますよね。だからクオリティの高い本を生み出すという意味での、優秀な編集者さんが少なくならなければいいなと僕は思っています。
――最近面白いなと思われた本はありますか?
波頭亮氏: 社会評論の分野では、二冊挙げられます。文化人の会合があったのですが、そこである音楽家が「これ、面白かったよ」と言っていたのが白井聡さんの『永続敗戦論』。僕はこの本が出てすぐに読みましたが、白井さんはオリジナルな着想と、地道な史実研究をベースに思い切ったことを書いていて、若手の中だったら素晴らしい書き手だと思います。あと昨夜読んだのは、中島岳志さんの『「リベラル保守」宣言』。
今、健全な保守思想を持っている人と話してみたら、中道リベラルな人とは価値観の違いがあるのです。それで「本来、健全な中道リベラルと中道保守というのは実は根っこってすごく近いんだよ」ということを中島岳志さんは書かれているのです。立派な書き手というのはたくさんいるのだから、そういう人はもっと売れるようになってほしい。薄い本が本屋に多すぎるから、良い本が目立たないような気がします。あと、ヒット作を作ろうと思うと、今の本屋の店頭環境を見ても、あとAmazonのリストでも、いい本を売るのが難しいと思います。
――発信側だけでなく、読み手側も皆で意識する必要がありそうです。
波頭亮氏: 本の形態と流通のプロセス以上に、国民自体の知的好奇心や見識という問題が大きいような気がします。
あと、書き手として、思うことがもう1つ。昔と比べて物価は10倍くらい高くなったのに、50年間、原稿料って変わってないそうです。もし10倍原稿料を貰えたら「いい文章を書こう!」と思うだろうし、僕でももしかしたら書くことで食えるかもしれない。余裕も生まれるし、ハッピーですよね。カメラもデジタルの時代になって、カメラマンさんを連れてくる取材も減っています。記者さんがデジカメで10カット~20カットを撮って、編集部に修正のソフトがある場合は、持って帰ったやつを修正する、という感じのようです。
友人のカメラマンの桐島ローランドは、最近は中国に稼ぎに行ったりしているそうです。作家もカメラマンも、お金のためじゃないとはいえ、もう少し金銭的にも報われる商売になるといいなと思います。
ノイズは必要ない
――そのような中、新しいメディアとして電子書籍の可能性は。
波頭亮氏: 書き手を見てみると「やっぱり本は紙がいいよね」と言う人と、「Kindleが1冊あれば、すごく便利」という人と半々ぐらいでしょうか。僕は、1冊1冊、「これは自分じゃなきゃ」というのをいつも真剣に意識して書いているので、書き手としては結構真面目な方だと思うんですよ。だけど読み手としては全然ダメ。本は、読み終わったら、邪魔になるから、ほぼ全て捨ててしまいます。僕が欲しいのは本ではなくて、コンテンツ。大学時代に1回集計してみたのですが、毎週2000ページずつ本を読んでいたのです。200ページの本だったら10冊、250ページの本でも8冊。
――毎週それだけ本が増えると……。
波頭亮氏: あっという間に部屋が本に占領されるわけです(笑)。だから捨てる事を選んだ。
「もう1回読みたいと思ったら、買えばいいんだ。2回も読む本は、100冊に1冊もない」ということに気付いて、気が楽になって本を捨てるようになりました。昔は今ほど、すぐに絶版になったりしなかったという理由もあったと思います。立花隆さんは書庫のためにビルを建てているので、本当にすごいと思いますよ。
洋服に関しても同じなのですが、シーズンを振り返って、1回しか袖を通さなかったものは心を鬼にして捨てます。不精なところもあると思います。ものを持つのが苦手で、本もタブレットも持ち歩かないし、クライアントさんに行く時も、いつも手ぶらです。手帳も、買うとすぐに、使わないページを破って捨てます。カードもキャッシュカードとクレジットカードそれぞれ1枚しかないし、財布は生まれてから持ったことがありません。お札はポッケに入れられますよね。要するに面倒くさいのが嫌いなのです。ワイシャツや下着は、30~40枚をまとめて買ったら、5年間はもうこれで買わなくていいやと思うのです。
――余計なものに煩わされたくない、という感じですね。
波頭亮氏: そうですね。僕はそういったスタイルなので、電子書籍に何の抵抗もありません。それに、電子化が語られる場合、違法コピーの話が出てきますが、もっと重要な問題である知的財産、知的アセットの独占問題の方が大きい気がします。JOIがクリエイティブ・コモンズを始めた時には最初から「どんどん僕のものを使って」と言いました。もったい付けるよりは広がった方がいいですよね。カメラマンや作家とか、それを生業にしている人たちの生活を守るために著作権を大事にすることは大切ですが、孫子(まごこ)の代まで、じいちゃん・ばあちゃんが書いたもので左団扇なんてのは、だめですよね。だからディズニーは好きじゃないです。
――波頭さんのフィルターを通して残ってきた本が気になります。
波頭亮氏: 何冊かありますよ。トールキンの『指輪物語』の初版というか最初の瀬田貞二訳の本。ちょっとギクシャクしているというか、英語直訳っぽい翻訳なのですが、知性と教養がある訳し方で、素晴らしいです。あの本は大学の1年生か2年生の時に評論社から文庫本で出て、繰り返し何回も読んでいるので、登場人物をほとんど覚えています。あれは西洋の歴史と文化の集大成です。単なるおとぎ話やファンタジーではない深さを感じました。あの『ハリー・ポッター』と基本的には構図は一緒ですが、教養書という感じがしてパンチが強いです。
日本社会にある豊かな社会との「齟齬」に異論を呈す
――素晴らしい媒体である「本」の書き手として、今後どんなものを発信されますか。
波頭亮氏: 何が正義かというのは、人によって全然違いますが、「人が100人いたら100人の正義があるんだよ」というのは違うと思います。誠実、平等、博愛などの明らかな正義のグループ、分かりやすい表現でいうとジョン・ロールズの正義と、不正義とは、はっきりわかれます。
例えばアウシュビッツの虐殺を「正義である」という人はいませんよね。今、日本が向かっている方向と、「民主主義」における正義や豊かな社会との間には大きな齟齬(そご)があると思うのです。日本経済はジャングル経済化してしまっています。生活保護受給対象者が増えている中で消費税をどんどん上げて、100兆円も内部留保がある企業の法人税減税をやろうという逆再分配の政策は、僕が思い描く正義、豊かな社会の姿とは逆の方向へいっているので、それに対して異論を呈してみようと思います。
それから『戦略策定概論』は出版してから15、6年経つので、経営学史、あるいは経営戦略理論概論といった本をハードカバーで出そうと思います。実は、締め切りが3年ぐらい過ぎています(笑)。友だち、知人に読まれても恥ずかしくないようなクオリティの本を書こうと思ったら、3カ月ぐらいまとまった時間をとらないと書けません。でもコンサルティングの仕事があるので、3日間続けて他の仕事を入れないというのも難しくて、なかなか本が進まないのです。でも、その本はきちんと書き上げて、世に出したいと思っています。
(聞き手:沖中幸太郎)
著書一覧『 波頭亮 』