名和高司

Profile

1957年、熊本県生まれ。 東京大学法学部卒、ハーバード・ビジネス・スクール修士(ベーカースカラー授与)。三菱商事の機械(東京、ニューヨーク)に約10年間勤務。 2010年まで、マッキンゼー・アンド・カンパニーのディレクターとして、約20年間、コンサルティングに従事。2010年より現職。専門はグローバル経営、成長戦略、イノベーション、企業変革、リーダーシップ。 著書に『「失われた20年の勝ち組起業」100社の成功法則 「X」経営の時代』『日本企業をグローバル勝者にする経営戦略の授業』(PHP研究所)、『学習優位の経営―日本企業はなぜ内部から変われるのか』(ダイヤモンド社)など。

Book Information

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日本は原点に戻るべき。アジアにこそチャンスがある。



一橋大学大学院国際企業戦略研究科の教授である名和高司さん。消費財メーカーや流通業を含め、幅広い業界での実践を支援するための組織として、株式会社ジェネシスパートナーズ、ネクストスマートリーン株式会社を設立し同社の代表を務められるほか、多くの企業の社外取締役、コンサルタントとして活躍されています。「アジアにこそチャンスがある」という名和さんに、今までの歩み、本に対する想い、今後のミッションを伺ってきました。

やりがいのある、支援する立場


――社外取締役、コンサルタントとしてもご活躍されています。


名和高司氏: 今日の午前中は社外取締役を務める会社の打ち合わせがありました。午後はアドバイザーとしてまた別の企業に行っていました。コンサルタントとして関わっている企業は全部で25社ぐらいになるので、それぞれの企業へ月に1回、毎日回っても、日数が足りないという状況です。日本の企業だけではなく、アメリカや韓国の企業でもアドバイザーをさせていただいていますので、海外に行くことも多いです。仕事の割合で言うと、半分以上が大学以外の仕事となっています。50%が生きた企業のお手伝い。学校での生活が25%パーセント。残りの25%ぐらいが、講演や、啓蒙活動といった感じでしょうか。講演中も動き回っているのか、「カメラになかなか収まらない」とよく怒られます(笑)。

――大学でのお仕事とコンサルのお仕事、勝手が違う面も多いと思いますが。


名和高司氏: 私の場合、アカデミックな世界に身を置いているというよりは、かなり世俗的なエリアで主に活動しています。生のビジネスを知らないと何も教えられないので、そういう意味では、ここは私にフィットしていると思います。実際に企業とつながりを持ちながら、いくつかの新しい仮説を一緒に作り上げていくという立場になります。コンサルだとお金をもらうので、答えを出すのに必死になるという部分もありますが、こちらでは先生ですから、「話はするけど、やるのはあなたよ」という感じで、答えを出すというよりも、皆さんをそちらの方にたきつけていくという、支援側に回れるのです。そうすると、自分でやった実感があるだろうし、こちらからすると、支えてあげると少し前に進むので、コンサルよりも結果が出ているのを感じることができるので、そういう意味ではやりがいがありますね。

――大学で伝えたいと思われていることは。


名和高司氏: 昔、日本の企業は、何か新しいことに挑戦して、それを手探りで作り上げていくというのが得意だったのです。やりながら修正していくところに日本の良さがあるので、そこをもう1回よみがえらせること。変にあたまでっかちの戦略を作るのではなくて、「やりながら考えようよ」ということを私は話しているのです。「学習と脱学習のメビウス運動」というような、私ならではのフレームワークや経営モデルを用いながら、「もう1回、日本らしい良さというものが世界に通用するように」と働きかけています。経験で培われた方法論と私の思い。役に立っている部分があるとすれば、1番はそこにあると思います。

思想、哲学にのめり込んでいた時代


――ご出身は、熊本なのですね。


名和高司氏: ええ。でも母の実家で生まれて2週間しかおらず、その後は大阪に10年、そして東京です。父親が、朝日新聞の新聞記者だったものですから、転勤も多かったです。割とリベラルに育ててくれたようにも思いますね。塾世代の少し前だったのもあって、中学受験もしませんでした。私はスポーツの方が好きで、野球の選手か、サッカーの選手になるつもりでいました。

――スポーツ選手の夢から、どういう経緯で東大法学部に進まれたのでしょうか。


名和高司氏: 思春期を迎えて、中学の時に本に目覚めました。その頃は、日本や欧米の名著といったものや、新潮文庫などを片っ端から読んでいきました。非日常的なものだとか、冒険に感じるものがあって、中学・高校の時は、文学少年という感じだったと思います。高校の時に特にのめり込んでいたのが、ドストエフスキーやカミュ、カフカや安部公房など。大学に入る時は「哲学科に行きたい」と父と言い争いをしたこともありました。どんどん実存主義の世界に、のめり込んでいって、最初は法学部、文一に行ったものの、次第に哲学の方へはまっていきました。大学では法律の勉強はほとんどしませんでしたが、政治学が面白かったですね。篠原一さんという教授がいたのですが、そのゼミを取り、ゼミ論はオルテガの『大衆の反逆』というのをやりました。そういった思想的なものに、のめり込んでいた時代でした。

――本にも、カミュの言葉を書かれていますね。


名和高司氏: カミュの『シーシュポスの神話』は、すごく大好きな哲学なのです。そういった思いを込めて、『失われた20年の勝ち組企業 100社の成功法則「X」経営の時代』の中でも、少し書きました。

『第三の波』と出会い、ビジネスの波に乗る


――就職という分岐点では、どのような道を考えられていたのでしょうか。


名和高司氏: マスコミに行くことも考えました。でも、父に相談したところ、「マスコミというのは傍観者だから、もう少し当事者の仕事に就いたらどうだ」と言われて、「それもそうかな」と、納得する部分がありました。それで商社を選ぶことにしたのですが、その時の気持ちは今も覚えています。ランボーという詩人がいますよね。ランボーは、非常に早熟で、彼は詩を10代で書き終わって、その後、商人になるんです。実は、私にも小説家になりたいと思った時期があって、大学1、2年の頃には小説を書いて応募していました。だから就職する時には、「ランボーのように筆を絶って、これからは商人になるんだ」と、まるで青春が終わったかのような悲壮感がありました。でも入社してすぐに、衝撃的な本との出会いが待っていたのです。

――どのような本だったのでしょうか。


名和高司氏: アルビン・トフラーという未来学者の『第三の波』という本が、私が入社した頃に出たのです。今度は未来学に凝りまして、三菱商事の同期と、まだ日本語になってなかった『第三の波』を読むための、「サードウェイブ」という勉強会を始めたのです。その頃から、企業について、かなり興味を持ち始めました。4年間、東京にいて、その後、ニューヨークに4年行きましたが、その頃には、完全に商社マンになっていました。日々の仕事が面白かったですね。本よりも、『GSウィーク』や『ウォール・ストリート・ジャーナル』ばかり読んでいて、そういう意味では、ビジネスの波に乗っていたという感じがありました。

クリステンセン先生、イノベーションとの出会い



名和高司氏: 寺山修司の『書を捨てよ、町へ出よう』の世界ですが、まさにそうですね。それで、「もう一度、しっかり学びたい」と思うようになりました。ビジネススクールの社内の選考に受かって、ニューヨークからボストンに行くことになりました。ハーバードで出会った先生たちも、周りにいる人たちも、すごく良い刺激になって、2年間はたくさん勉強しました。そのままビジネススクールに残ろうかと思うほど、ビジネススクールは自分に合っていたなと思います。

ハーバードでは、イノベーションが1番面白かったですね。マイケル・ポーターが私の先生だったのですが、今はイノベーションの大家と言われている、クレイトン・クリステンセン先生もいました。まだ先生が駆け出しの頃で、『イノベーションのジレンマ』を書く前でした。そのクリステンセン先生に刺激されて、私が2年で選んだテーマも、イノベーションでした。クリステンセンが言っているような、イノベーションのモデルが出始めるといった時期に出くわしたことはラッキーだったと思います。次の新しいスターが出てくるという時期で、当時のハーバードは面白かったですよ。

――最優秀賞を獲得されましたが、並々ならぬ努力が必要だったのでは…。


名和高司氏: ええ。日本人では私を含め、4人になったと聞いています。私が90年にとったので、もう20年以上前のことになりますが、日本人が獲るのは難しいと思います。
私の場合は、自分で考えて、人と違うことを考える癖をつけるようにしました。全体的にレベルを上げるというか、議論の質を1つ上に上げるような努力をしました。反論を言うだけではなく、弁証法的に言うと、アウフヘーベンするような、そういう議論を常に組み立てようと心がけました。教授が90分間使って話したいという流れに合うので、最後の方で発言すると、すごく喜ばれます。逆に言うと、「一体この人は、どういう風に、この議論を導こうとしているのか」という、ある種の心理学的な戦いを、教授としていたのです。その辺が、推理小説を読むみたいで、面白いのです。だから講義の90分間は、最後まで飽きることはありませんでした。

ハイテク、イノベーションが得意技


――最優秀賞をとった翌年に、三菱を退社されます。


名和高司氏: ええ。6年ぶりで東京に帰ってきて、カウンター(逆)カルチャーショックがあって、それをベーカー・スカラーも獲られ、三菱商事の大先輩でもある堀さんに相談しました。すると「ぜひBCG(ボストン・コンサルティング・グループ)に来い」という話になったのです。それで、マッキンゼーも受けていたので、断りに行きました。そしたら「大前研一を見てから断れ」と。なぜマッキンゼーがつまらないと思っているか、なぜBCGが面白いかという訳を話したら、大前さんは「マッキンゼーは俺の子どものようなもんだ。そんなこと言わせない」と怒ってしまいましたが、途中から「君の言う通りかもしれない。君と一緒に、マッキンゼーを変えよう」という話になって、「そうですね」と私も乗ってしまいました。堀さんに謝るのが大変でしたね(笑)。それが33、4歳の頃だったと思います。堀さんと大前さんという、当時の最高峰の人たちから引っ張られたのは、すごく自分としてはうれしかったです。

――最初はソウルに行かれたそうですね。


名和高司氏: 大前さんが、ちょうどソウルオフィスを立ち上げていて、その創業メンバーに入れたのもラッキーでした。最初は半年などと言われていたのが、気がついたら2年半ぐらい経っていました。今でこそ、大きなオフィスとなりましたが、当時はまだホテルの2階の一角に部屋を借りて、韓国人と日本人が10人ずつという規模でした。オフィスを立ち上げたのは、楽しかったですね。彼らの成長ぶりはすごかったですよ。LG、サムスン、ヒュンダイ、ポスコだとか、今はもう超一流になりました。日本に追いつき追い越せという戦略を、一緒に作っていましたので、30年経つと違うもんだなと思いますね。

その後は、基本的には東京。マッキンゼーは、自分の得意技を自分で決めなくてはいけなかったのです。私の場合は、ハイテク系で、かつイノベーションというのが、得意技だったので、ネットバブルの頃も、何社からかお誘いがありました。同じところに、ハーバードからマッキンゼーに行った、同年代の南場智子さんがいました。彼女はDeNAという会社を作ったのですが、私にはそういう勇気もなく、「コンサルタントが天職かな」と思いながら、長居してしまったという感じもあります。そして4年前にようやく、大学など、別の道へと向かうことになり、その一方で魂の故郷というような感じもあるBCGにも、シニアアドバイザーとして参画することになりました。

読者の気持ちが、前を向くような本を書く


――最初の本を書かれたのは91年ですね。


名和高司氏: ハーバードを卒業して、すぐにプレジデントから話を受けて、『ハーバードの挑戦』という本を出させていただきました。その後も、ダイヤモンド社の『ハーバード・ビジネス・レビュー』に記事を書いたり、『マッキンゼークォータリー』などにも論文を書いていましたので、それを時々集めて、マッキンゼーの本にして出していました。マッキンゼーを辞めた時に、卒業論文というつもりで、『学習優位の経営』を書き下ろしました。最近の2冊は、インタビューを受けながら書かせていただいたという感じです。私の場合は、前向きに挑戦していけば何かが開けると思えるような、そういうことを促すような形で書いています。「実はこんなに面白い例がある」というような、世の中にあまり知られてないけれど、「わりと等身大でできるんじゃないか」と思われるようなことを書こうと思っています。そうすると身近に感じてもらえると思いますし、「私にもできるよね」ということを、皆さんに感じてほしいのです。

――本を書く上で、編集者に求めるものとは。


名和高司氏: 岩佐さんという、ダイヤモンドの『ハーバード・ビジネス・レビュー』の編集長との関係が、1番長いですね。私が『学習優位の経営』を書き下ろす時も付き合っていただいて、「これじゃ分かりませんよ」とか、「もっと、等身大の自分を出してください」などと注文をつけられました。でも、彼の人柄もありますが、本当に親身になって「いい本にしよう」と思うからこそ言ってくださっているのが、すごく伝わってきます。彼自身の関心事やアンテナなども鋭く、彼はすごく質のいい最初の読者でいてくれるので、いいフィードバックだと思って、彼の言葉を真摯に受け止めて「何とかしたい」という風に思うのです。そういう意味では、共著者のようですし、岩佐さんもそう思っていらっしゃるのではないでしょうか。

――名和先生にとって、編集者とはどのような存在なのでしょうか。


名和高司氏: 自分の思いをぶつける相手、でしょうか。向こうも激しく打ち返してきたりしますので、その辺りに手応えを感じます。自分で抱え込んでしまうよりも、会話をしながら、「ここを直せ」とか、「この章は無駄だ」とか、色々な意見をいただいた方が、気づきもあります。最初は頭にくることもあるのですが、もっともだ、とも思いますし、やっぱりありがたいですね。



日本の経営に合ったビジネス書を


――この本は最近読まれたものですか。


名和高司氏: ええ。最近読んだ本はいくつかあります。これは大好きなクリステンセン先生の、一押しの本で、『イノベーション・オブ・ライフ』です。原文で読みましたが、ビジネスというよりは、「どうやって挑戦に満ちた人生にするか」という内容で、人生を正面から取り上げた本です。私も推薦文を書いているのですが、これはぜひ学生に読んでもらいたいですね。あと、自分の会社人生をもう1回見つめたい人が読むと、イノベーションの大家が人生でどのように挑戦を重ね、また、それを我々に真摯に問いかけていることが、心にしみると思います。どうすれば最高の人生を生き抜くかを考えるうえで、この本はとてもいいと思います。

先生の本では、ほかにも『イノベーションの最終解』というのが新しい翻訳になって7月に出ました。それもすごくいい本です。あと、2年前の本ですが、『世界でいちばん大切にしたい会社』がようやく翻訳されて出ました。アメリカの「ホールフーズ・マーケット」というスーパーマーケットの創業者であるジョン・マッキーという人が書いた本です。ホールフーズは、とてもおしゃれなオーガニックのお店で、中にいるとついつい色々なものを買ってしまうような、人気のスーパー。ジョン・マッキーは「Conscious Capitalism(コンシャス キャピタリズム)」とずっと言っていました。

――コンシャス キャピタリズムとは。


名和高司氏: 原題ともなっていますが、「覚醒した資本主義」という意味です。つまり、「目覚めた意識を持った資本主義にしないと、資本主義は堕落する」というのが、彼の持論なんです。彼は、純粋資本主義を唱えて続けていたミルトン・フリードマンというシカゴ大学のノーベル賞をとった先生に、戦いを挑み続けてきました。リーマンショックがおこり、この本がアメリカで見直されることとなりました。彼は「ハピネスの輪」と言っていますが、従業員がハッピーになって、それでサプライヤーもお客さんも、そしてコミュニティがハッピーになる。株主もハッピーになって、またぐるぐる回るという、従業員発の「善の循環」経営なんです。いい会社というのは、やっぱり筋が通っているものだなと思います。彼が書いているこの本は、日本の経営にも非常に合っているので、今、皆さんにお勧めしているところなのです。

新興国だからこそ、できるビジネスがある


――こちらの『ソーシャル・ビジネス革命』という本は、どういった内容なのですか。


名和高司氏: これも、日本人にとっては原点に戻るような話で、すごく元気になる本なので、ぜひ読んでほしいです。バングラディシュでグラミン銀行を作られたモハマド・ユヌス先生の本です。ユヌス先生は、マイクロファイナンスモデルを作ってノーベル平和賞をとられました。貧しい人たちが、何の担保もなくお金を借りて、事業を始めることができるという仕組みです。彼らは真面目に仕事をして、返してくれるので、「結果的にお金が返ってこない」というパターンが非常に少ないのです。そういった回収率の高いモデルをバングラディシュで作られて、それが世界中に広がっていきました。資本主義ではない形の新しいソーシャルビジネスを提案されて、実践されてこられた方。私が社外取締役をしているファーストリテイリングが、ここと組んで、グラミンユニクロというJVを作っているんです。ビジネスが軌道に乗り始めたこともあり、3月にユヌス先生に会いにバングラディシュへ行きました。そして7月には、ユヌス先生の来日の機会をとらえて、ソーシャルビジネスフォーラムを開催しました。ユヌス先生が登壇されるのだったら、ということで、ファーストリテイリングの柳井社長も特別出演していただきました。100人ぐらいの経営者が参加されましたが、「こんな純粋な気持ちで、ビジネスを通じて社会に貢献したい」といった思いを強くされていました。

――利他の心でビジネスができるのですね。


名和高司氏: そうなのです。そうすると結果的に、ビジネスが回るんです。先生は、「Yunus & Youth Social Business Design Contest」というものもやっています。日本の大学生や大学院生が、ソーシャルビジネスの提案をするというもので、私も今年からその審査員になりましたが、みんな、元気な顔をしています。今の若い人は、こういう新しいことに取り組むとき、純粋に目が輝きますね。40チームくらいが残って、最後は1チームになるのですが、学生の人たちの純粋な気持ちと、ビジネスが直結するような提案がたくさん出てきます。「社会課題をビジネスを通じてどう解決するか」というのがこのコンテストのテーマなんですが、今の日本においてもかなり重要なものだと思います。日本もどんどんシニア社会となり、健康問題も出てくるでしょうし、そういう中で、どうやって新しいビジネスを作るのかというのは、単なる利害やお金儲けを越え、求められていることだと思います。そして彼は、さまざまな社会問題に直面している新興国こそ、日本企業にとってもビジネスチャンスが大きいとも言っています。彼の本は、新興国ビジネスの指導書にもなっていますよ。

――新興国だからこそ、できるビジネスもあるのですね。


名和高司氏: 社会問題も多くありますし、新しいことにトライできる。その新興国戦略のあり方に新しいモデルを提唱した『リバース・イノベーション』という本もあります。「リバース・イノベーション」というのは、ゼネラル・エレクトリックのジェフリー・イメルトCEOが、共著者でもあるビジャイ・ゴビンダラジャン教授と一緒に作り上げた概念なのです。新興国でイノベーションを起こして、それを先進国に逆輸入するというもの。通常、イノベーションというのは、先進国で起こって新興国に行くものなので、だから「リバース」なのです。新興国のほうが問題が先鋭化しており、その問題が解けると先進国にも適用できるということをうたったモデル。新興国にこそ、イノベーションの宝庫ということを、正面から捉えた本です。

かつては、和僑がアジアで活躍していた



名和高司氏: 同様の視点からラム・チャラン教授が書いた『これからの経営は「南」から学べ』という最新の本もあります。新興国から学ぶことにより、色々な常識、新しい常識が生まれてくるというもの。『GLOBAL TILT』が翻訳されたものなのですが、「南半球がバランス的には強くなっていく」「南半球から学べ」という本なのです。そういう意味では、アジアは日本にとっては宝の山。もう一度新しく世界戦略を考える上では、南アジアなどが非常に重要なのです。

――脱亞のなかで見落としてきたものがそこにあると。


名和高司氏: そうですね。そういうことを考えていた時に、大学時代に読んだ本、高坂正顕先生の『海洋国家日本の構想』を思い出しました。日本は、かつて海洋国家だったのです。鎖国になる前は、船に乗ってカンボジアやベトナムなどにも行っていました。あの頃の日本は海伝いに商人や農民として、畑作や米作などを伝えていくという重要な役割を担っていたのです。ベトナムには鎖国により帰れなくなった日本人のお墓がありますし、タイには日本に帰らないと決めた当時の駐在員たちが作った、和僑会が今でもあります。かつては日本がアジアに貢献した時代があり、それだけ日本人が外に出ていく気概があった。その和僑の魂というものを、もう1回呼び起こしてみる必要があると私は思うのです。

日本人特有の誠意と匠の技があれば、アジアの人たちは、いくらでも日本人の貢献を受け入れてくれるという話を、私はよく企業の方々にしています。日本人が原点に戻れば、もっともっとグローバルに活躍できるんじゃないかと私は考えています。アジアにこそ実はチャンスがあるのだから、“みんなが、山田長政になれ”と。少子高齢化だと嘆いているだけではなくて、アジアの人たちと一緒になって栄えるということは、どういうことなのかを考えると、もっと楽しいし、どんどん広がっていくと思うのです。

――お勧めの本をたくさんご紹介いただきましたが、本はどちらで購入されることが多いのでしょうか。


名和高司氏: 書店が多いです。丸善などの大型書店に行くのが私の楽しみでもあり、本屋にいると時間がすぐに過ぎてしまいます。Amazonのリコメンド機能は素晴らしいけれど、新たな異質な出会いはあまりありませんね。ぴったりなものをお勧めしてくれるので買ってしまいますが、やっぱりどれも自分の関心の延長線上にあるものになってしまいます。

最近の科学の思想といったものがあると、ワクワクして手に取って読んでみては、買ってしまうのです。ただ、興味を持って買っても、後で読もうと思っていて、そのまま忘れてしまって同じ本を3冊買ったりして、あきれられることもあります(笑)。電子書籍やアプリなどは便利だなとは思うのですが、やっぱり本がもつ、この量感と質感が好きですね。私は、本と対峙するスタイルなので、電子書籍だとなかなか気持ちが入らない。でも30代の私の知人たちは、もう完全に電子書籍側ですね。自分の使いやすい方を使えばいいと思います。

日本発CSVを、世界へ広める


――今、どのようなことに関心がありますか。


名和高司氏: 日本企業の活躍の場がもっと広がらなくてはいけないし、もっと深くなければいけないという思いがすごく強いです。この20年ぐらい、日本が敗退してきた中でも、本当はやれることがたくさんあったし、そのようなチャンスをきちんとつかみきれていないところがもどかしく、そのお手伝いをしたい。どれだけ時間があっても足りない、とも感じています。

それと今、最も関心があるのは、マイケル・ポーター教授が3年前に提唱し始めたCSV(Creating Sheared Value)という次世代資本主義モデルです。一言でいうと、社会的価値と経済的価値を両立させることが、資本主義の本来のミッションだとコンセプトです。私は今年から、日本を代表する30社の幹部の皆さんと、CSVフォーラムという研究会を立ち上げました。ポーターの言うようなことは、日本の企業の方がずっと前からやっていたわけなので、日本企業の良質な経営モデルが、次世代の世界の潮流になりうるはずだという信念のもと、日本発CSVモデルをメンバーの皆さんと作り上げようとしています。それを世界に広めるために、役に立ちたい。それが今の重要なミッションです。

それと、CSVフォーラムの皆さんに論文を書いてもらっているので、それをアッセンブルしたようなものを、世の中に出したいと思っています。私自身のCSVの思想、ポーターを越えるようなものを訴えていきたいと思います。それと並行して、イノベーションにおいても、クリステンセンを越えるような日本発のイノベーションのモデルを、今考えているところです。その2つが、これから10年間の私のキーワードとなるかもしれません。いつか、城山三郎さんや山崎豊子さんのような経済小説など、別の形式のものにも挑戦できたらいいですね。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 名和高司

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