専門家にとっての編集者という存在
――執筆の際、心がけていることは。
山内昌之氏: できるだけ、読みやすく書こうと思っています。昔、指導教官の先生に、「君の文章は、”的“が多すぎる」と言われました。客観的とか、主体的とか、そういう文章を、当時の若者はよく使っていたんです。今はそういう”的“というのは、先生の御指摘もあって、日本語として、私はあまり好きではありません。だからそういう部分を、少し減らすだけでも、ずいぶん違うと思います。
――どのようにしたら伝わりやすいかを考えて書かれているのですね。
山内昌之氏: そのうえで、編集者はなくてはならない存在です。書物に対する愛情を持つというのは、編集者、書店と書き手は、もちろん言うまでもなく必要ですが、他にも製本だとか、印刷とか、校正者だとか、製版、カバーのデザイナーなど、こういう人たち全てに支えられています。そういう人たちとの共同的な営みで、その窓口に立って出て来てくれるのは、編集者です。編集者には、学者の言い分や感情を理解してほしい、著者に寄り添ってほしいという想いとともに、気のついたことを遠慮なく言ってほしいし、良書を一緒に作るうえで欠かせないと思います。
――互いに歩み寄りつつ、それぞれの本分を発揮していくと。
山内昌之氏: 本作りをうまく成功させるためには、一方的な関係はありえないと思いますよ。つまりメンツだとか、自分のプレステージだとか、そういうことにこだわる必要は無いと思います。中身に関係なく、自分が著者だから、あるいは“偉い”からとか、年長者だからっていう理屈というのは、社会における非常に、質の悪い部分じゃないかなと私は思います。
聞き入れて、納得できるところは了解する。納得できないところも、もちろんあります。夫婦関係だって、いつも、連れ合いが正しいとは、限らないでしょ(笑)。概して妻の方が正しいかもしれないけど、無条件に従うと夫としての沽券にかかわります(笑)。著者たるもの、編集者の言うことは、きちんと聞いてないと困ります。
良書を届けたいという志は同じですが、中身の専門的な内容に関しては、編集者が私以上に知るということは、あまりないですよね。特に非常に堅牢な学術書になると、なおのこと。だから納得できること、受け入れられることは、受け入れる。そうすると、非常に円満な関係となり、同時に、本をうまく出していくための、潤滑油になります。今回の『中東国際関係史研究』はまずまず円滑に進みました。
特性を生かした読書を
――『中東国際関係史研究』も含めて、どのように読んでほしいと思いますか。
山内昌之氏: 『中東国際関係史研究』に限らずですが、もっとみなさんに本を読んでほしいと思います。電子であれ紙であれ、とにかく本に接してほしい。できれば、どちらか一方ではなくて、両方の窓口で接してほしい。常に持ち歩いて、便利だという電子媒体のアベイラビリティは否定しませんが、やはり机に向かって、本を読むということも大事。
机に向かって読むのが苦痛な時もありますよね。難しいと飽きてしまうこともあります。それからエンターテイメント的なものだと、机に向かって読むより、横になって読む方がいいということもあります。電車の中で読める本と、読めない本があるといことです。
読み手の側として言えば、もっと分かりやすく書いてほしい(笑)。「なんでこういうむずかしい日本語を使うのか」と感じることもあります。貴重な研究成果や発見を、みんなに知らせていくわけだから、凝るとか、美文をというわけではなく、もう少し分かりやすい文章を書くために工夫してほしいですね。
成果と経験を結びつけたものを届けたい
――今、どんなことを伝えたいと思っていますか。
山内昌之氏: 私はもともとイスラム史という、世界史の視野から研究する立場の人間です。一方で、日本人としての歴史の見方というものも持ち合わせている。この世界史と日本史を合わせたモノの見方について、今まで読んできた古典や、自分自身の関心や生き方などとも結びつけたものを書いていきたいと思っています。
(聞き手:沖中幸太郎)
著書一覧『 山内昌之 』