山内昌之

Profile

1947年生まれ、北海道出身。歴史学者。専攻は中東・イスラーム地域研究、および国際関係史。 北海道大学卒業、東京大学学術博士。 カイロ大学客員助教授、東京大学教養学部助教授、トルコ歴史協会研究員、ハーバード大学客員研究員、政策研究大学院大学客員教授、東京大学中東地域センター長などを経て、東京大学教授を2012年に退官。 三菱商事顧問、フジテレビジョン特任顧問も務める。 著書に『スルタンガリエフの夢』(東京大学出版会)、『ラディカル・ヒストリー』(中央公論社)、『中東国際関係史研究』(岩波書店)、『歴史とは何か』(PHP文庫)など。

Book Information

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自らの興味と世の中への貢献の接点を探る



中東・イスラーム研究における第一人者である歴史学者の山内昌之さん。多数の企業の顧問を務められると同時に、精力的に研究執筆されています。大著『中東国際関係史研究』を出版し、トルコでの取材を終えたばかりの山内先生に、歴史学者への歩み、「いかに貢献できるか」という学者の本分、執筆、編集者への想いについて伺ってきました。

自らの目で見て、考える


――トルコから帰ってきたばかりですね。


山内昌之氏: 執筆を終えた後に2週間行きました。そのうち1週間は丸々山の中に入っていました。執筆する際には、史料研究も大事ですが、その背景について、自らの目で見ておくことも欠かせないことで、書いた後に行ってきたという次第です。

――その史料も含め、こちらにはたくさんの本があります。


山内昌之氏: 長い研究生活でたまった本は自宅にも収まりきらず、家と仕事場にそれぞれ分散して置いています。どこにどの本があるのか把握するのは、大量の書籍を持たざるをえない人間の一番の難点。なかなか苦労しますよ(笑)。探したはずが見つからないので、新たに買うこともあります。2~3000円の本なら、まだあきらめもつくのですが、10万円近いようなシリーズの本もあり参っています。どう探してもなかったから改めて買った本が出てきたので、この部屋には同じ本が2セットあります。こういうことが起こりうるわけです。

自分の好きな本は、大体どこにあるか分かるのですが、仕事上必要である史料的な本の場合、整理が悪いと困りますね。電子媒体などがさらに発展していけば、こういった問題に対して大きな助けになるのではないでしょうか。

――電子媒体は検索の手助けや、場所の解決になると。


山内昌之氏: その可能性は大きいと思います。また私の場合、端末一台で古今東西の書物が随時持ち歩けるという利用価値は絶大です。例えばプルタルコスの『モラリア』とか、モンテーニュの『エセー』とかを入れておこうと。自分の手元に置いておきたい、常に読みたいと思う本が多いですね。

私の連れ合いは電子書籍を大いに利用しており、小説などは大体、電子書籍で読むそうです。私はまだアナログで(笑)、活字は紙で読みたいという気持ちは、やっぱりありますよね。

――研究書以外には古典を好まれるのですね。


山内昌之氏: 研究のために読むトルコ関連の書物やロシア語に関する史料や文献と違って、一読者として、楽しみながら日本や西洋の古典を読んでいます。


「晴‘泳’雨読」の日々


――歴史に興味を持ったのはいつ頃のことですか。


山内昌之氏: もともと中学生の頃から歴史は好きでした。その頃、まだテレビが出だしたばかりで、それ以外に娯楽と呼べるものがあまりありませんでした。私はテレビだけでなく、読書が大好きでしたから、母が時々買ってきてくれたものを読んだり、雨の日の放課後は図書室で読んだりしていました。雨の降っていない日は、歩いて30分ほど行ったところにある水源地を、プール代わりにして泳いでいたんですよ。晴れの日は泳ぎ、雨の日は本を読む、「晴泳雨読」そういう生活でした(笑)。

私が育った小樽は、山と海の町。地方だったため、受験勉強で親にうるさく言われる事も無く、塾もあるかないか。水源地から、1里ほどで港や海に出ました。”里”という観念が、まだなんとなく自分の中にあるのは、ちょうど海まで行くのに、1里だったというのが、感覚としてあるからです。そういうのんびりした状況の中で、本を読むというのは、自然な営みとして、自分の中にありました。

――どのような本を読まれていたのですか。


山内昌之氏: 筑摩書房の、『世界文学大系』という世界の古典を読めるシリーズで、表紙の色がオレンジになっている本があるのです。それが非常に新鮮に感じられ、司馬遷の『史記』なども、そのシリーズで読みました。読んだとは、十分に言えないし、理解などはもちろんできなかったけど、チョーサーの『カンタベリー物語』なども、そのあたりで読みました。トルストイや、ドストエフスキーなど、将来読んでみたいなっていう本もありました。中学生が読むにしては、やや重いんですよね。『罪と罰』を読んで、成長していく中学生って、ちょっと怖いものがある。

――研究者として歩んでいくことを決めたのは。


山内昌之氏: 実は、もともと理科系を志した人間で、高校時代も理系だったのです。工学部に進もうと思っていました。しかし高校3年生になった時「私よりできる人間や、数学的才能ある人間がいるし、自分は理系に向かないな」と思い、文系に移りました。そのまま文系の大学に進むのですが、まだその時点で研究者に、といった強い想いではありませんでした。学問の道に少し関心があるぐらいの人間が行ってみる、という程度です。修士だと学芸員になって博物館や美術館へ行くなど、研究者以外にも色々な道がありますよね

当時、我々は厳しく選別されました。博士課程へ進むとなると、20代後半の人間は新入社員として雇ってもらえない。だからその先に進むのには重大な決意が必要になりますし、研究者として歩んでいくことを決意したのはその時でした。25、6歳の頃ですね。研究を進めるうちに、それなりに史料を読めるようになったし、面白いと手応えを感じました。そのうち、「こういうことをテーマに研究したい」と問題関心が浮かび上がって進む道が見つかったのです。そこが私のスタートでした。

――その後研究を重ね、カイロ大学やハーバード大学でも教えられ学ばれます。


山内昌之氏: 中央アジアやコーカサス、そこのトルコ系イスラム系の民族問題や、宗教の問題などに関心を持ち、カイロやアンカラ、ハーバードで研究をしました。

――外国史を研究する上で、やはり言語の勉強も必須なのですね。


山内昌之氏: 若い時は、言語の習得を一番に励んでいましたね。歳を重ねるに従い記憶力が衰えるのは致し方なく、覚えていた単語を忘れたり、すぐに出てこなかったりします。ですから言語に関しては、若い時にしっかりと頭に叩き込む事が重要です。

アラビア文字で書かれたオスマン・トルコ語の手書きの古文書など、最初は1行も読めませんでした(笑)。1字ずつ解読しながら、1行ずつ読む。慣れてくると1枚くらい読めるようになりました。地味な作業ですが、人間は、こういう訓練を重ねなければいけないのです。そういった作業により成り立っている仕事なのです。

学者の本分と責任、想い


――研究成果は学術書だけでなく、一般書の形式でもまとめられています。


山内昌之氏: 学術書に関しては、自分自身の責任と考えています。研究テーマを本にまとめるのは、学者である私の社会に対する責任なのです。税金によって、東大に30年間在籍していたわけですから、「国のため、国民のために、少しでも役に立つような仕事をしたい」ということです。

国民のためになる仕事はもちろん研究者だけではなりません。官公庁へ入ったり、政治家になったり、民間企業に入って製造や商社など、色々な形があると思います。私の場合、学問という、やや地道で抽象的な世界に入ったので、どうあるべきか自分なりに考えました。学問というのは、みんなはあまり世の中の役に立たないと思っているかもしれないけれど、間接的なあるいは本質的なところで、そういうものがないと、実は政策の決定や、金融などの分析もできないのです。ですから、こういう領域を担う人間たちは、自分の研究成果を専門の学術書にまとめるだけでなく、世の中に発信していく必要があると思います。

――一般に向けた本もそうした想いから出されているのですね。


山内昌之氏: 今の道を志してもう40年。当然、色々な変化がありました。20代は、少しずつ成長したけど、まだはつらつさや、多少なりとも自分は何かできるんじゃないかという、ささやかながら野心もありました。30代、40代になると、自分の体力の限界なども分かってくるけれど、問題意識は成熟してくる。

50代になるとさらに成熟し、人生を展望しようというように、それぞれ違ってきますよね。それぞれの時期にいい仕事をしなければいけないわけですが、学問の発表に関して言うと、遅れたような気がします。でも遅れたが故に、良いこともありました。

――良い事、というのは。


山内昌之氏: 書物や学術書として書かれたテーマにリーダーシップ論や、現代の中東分析につながる要素を入れることできました。こういう要素は、やはり20代30代では、なかなか難しいですよ。人生経験や、和洋の古典などを含めた、読書の経験などによって考えたようなことが、本にも反映されることになります。

専門家にとっての編集者という存在


――執筆の際、心がけていることは。


山内昌之氏: できるだけ、読みやすく書こうと思っています。昔、指導教官の先生に、「君の文章は、”的“が多すぎる」と言われました。客観的とか、主体的とか、そういう文章を、当時の若者はよく使っていたんです。今はそういう”的“というのは、先生の御指摘もあって、日本語として、私はあまり好きではありません。だからそういう部分を、少し減らすだけでも、ずいぶん違うと思います。

――どのようにしたら伝わりやすいかを考えて書かれているのですね。


山内昌之氏: そのうえで、編集者はなくてはならない存在です。書物に対する愛情を持つというのは、編集者、書店と書き手は、もちろん言うまでもなく必要ですが、他にも製本だとか、印刷とか、校正者だとか、製版、カバーのデザイナーなど、こういう人たち全てに支えられています。そういう人たちとの共同的な営みで、その窓口に立って出て来てくれるのは、編集者です。編集者には、学者の言い分や感情を理解してほしい、著者に寄り添ってほしいという想いとともに、気のついたことを遠慮なく言ってほしいし、良書を一緒に作るうえで欠かせないと思います。

――互いに歩み寄りつつ、それぞれの本分を発揮していくと。


山内昌之氏: 本作りをうまく成功させるためには、一方的な関係はありえないと思いますよ。つまりメンツだとか、自分のプレステージだとか、そういうことにこだわる必要は無いと思います。中身に関係なく、自分が著者だから、あるいは“偉い”からとか、年長者だからっていう理屈というのは、社会における非常に、質の悪い部分じゃないかなと私は思います。

聞き入れて、納得できるところは了解する。納得できないところも、もちろんあります。夫婦関係だって、いつも、連れ合いが正しいとは、限らないでしょ(笑)。概して妻の方が正しいかもしれないけど、無条件に従うと夫としての沽券にかかわります(笑)。著者たるもの、編集者の言うことは、きちんと聞いてないと困ります。

良書を届けたいという志は同じですが、中身の専門的な内容に関しては、編集者が私以上に知るということは、あまりないですよね。特に非常に堅牢な学術書になると、なおのこと。だから納得できること、受け入れられることは、受け入れる。そうすると、非常に円満な関係となり、同時に、本をうまく出していくための、潤滑油になります。今回の『中東国際関係史研究』はまずまず円滑に進みました。

特性を生かした読書を


――『中東国際関係史研究』も含めて、どのように読んでほしいと思いますか。


山内昌之氏: 『中東国際関係史研究』に限らずですが、もっとみなさんに本を読んでほしいと思います。電子であれ紙であれ、とにかく本に接してほしい。できれば、どちらか一方ではなくて、両方の窓口で接してほしい。常に持ち歩いて、便利だという電子媒体のアベイラビリティは否定しませんが、やはり机に向かって、本を読むということも大事。

机に向かって読むのが苦痛な時もありますよね。難しいと飽きてしまうこともあります。それからエンターテイメント的なものだと、机に向かって読むより、横になって読む方がいいということもあります。電車の中で読める本と、読めない本があるといことです。

読み手の側として言えば、もっと分かりやすく書いてほしい(笑)。「なんでこういうむずかしい日本語を使うのか」と感じることもあります。貴重な研究成果や発見を、みんなに知らせていくわけだから、凝るとか、美文をというわけではなく、もう少し分かりやすい文章を書くために工夫してほしいですね。

成果と経験を結びつけたものを届けたい


――今、どんなことを伝えたいと思っていますか。


山内昌之氏: 私はもともとイスラム史という、世界史の視野から研究する立場の人間です。一方で、日本人としての歴史の見方というものも持ち合わせている。この世界史と日本史を合わせたモノの見方について、今まで読んできた古典や、自分自身の関心や生き方などとも結びつけたものを書いていきたいと思っています。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 山内昌之

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