村上陽一郎

Profile

1936年、東京都生まれ。東京大学人文系大学院博士課程修了。東京大学教養学部、同先端科学技術研究センター、国際基督教大学などの教授を経て、2014年3月まで東洋英和女学院大学学長。専門は科学史・科学哲学。 『エリートたちの読書会』(毎日新聞社)、『私のお気に入り─観る・聴く・探す』(集英社)、『知るを学ぶ あらためて学問のすすめ』(河出書房新社)など、著書多数。

Book Information

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病を患い、絶望の縁に


――その頃の興味対象はどのような所に向いていましたか。


村上陽一郎氏: ある意味、なんでも好きだったと思います。歌も好きでした。スポーツはあまり得意ではなかったのですが、中学の時に、杉下茂を指導したことを自慢にしている英語の先生と出会って、「タッパがあるな(背丈が高い)。杉下二世にしてやる」と言われて、カーブの握り方などを教わりました。

――先生に見いだされ、やり方を教わって……。


村上陽一郎氏: そしたら、すごく曲がるんですよ。最初はもしかすると、自分は天才じゃないかと思いましたよ(笑)。クラス対抗などでピッチャーをやったりもしました。でも、やはりそんなことはなく、「自分には何が出来るんだろう」と考え始めました。

そんな時に、自宅で開業している父親の背中を見て、やりがいのある仕事だろうなと思うようになったのです。父は、本当に限られた範囲のご近所の方々しか診ておらず、その中には、実は太宰治もいたんです。それから、後に市村羽左衛門になった、板東さんもいました。父親のような仕事が自分に向いているかどうかはさておき、「進むべき道なのかな」という漠然とした想いを抱き始めましたね。

――父親からはどんな反応をされましたか。


村上陽一郎氏: 大学受験の際「多分、理Ⅱを受ける」と相談した時は、少し嬉しそうな顔をしていました。でもその時一言「さて、お前に向いてるかな」と言われたのも覚えています。実はその頃、チェロをやっていて芸大にも興味を持っていたので、迷いが頭をよぎっていました。そんなとき、私は胸の病気に罹ってしまいました。その年の十二月に父が亡くなり、一家は生活に困るようになり、色々と思い描いていたこと、自分の中にある可能性などが全部消えてしまいました。

――時間を要する実験が必須の理系学生にとっては、大きなハンデとなったのではないでしょうか。


村上陽一郎氏: 当時は「きれいな空気の場所で、絶対安静」とされていました。本すら読まずにひたすら休んでいるという時間を、一日何時間か過ごさなくてはなりませんでした。何もしないという時間は本当に辛かったです。先に入った連中が、学生実験で徹夜しているのを見ると、その道も閉ざされたなという思いはありました。この時期に病気になったのは、人生において一番大きな曲がり角だったと思います。ただ、幸福か不幸かっていうのは、それこそ死んでみないと分からないかもしれません。

幸せへと導いた、師との出会い


――そのような状況からどのように這い上がったのでしょうか。


村上陽一郎氏: もう何もかもあきらめていた部分もありました。健康状態がそんな感じだと、それこそ家庭を持つことも、そう簡単ではない。確かに、私はわりあい引っ込み思案になって、積極的に動く人間ではなくなりました。けれども私の根本には、楽観主義がありました。それは辿ると信仰と繋がるのかもしれませんね。聖書の言葉に、「明日のことは思いわずらうな」という有名なものがあります。「野のユリを見なさい。野のユリは、何を着ようとか、何を食べようとかいうことは、一切思わずに、ただ生きているじゃないか。それは神の恵みが、そこに及んでいるからだ」と。ギリギリのところで、そういった思いがあったのかもしれません。

――信仰が支えになったと。


村上陽一郎氏: もう一つ私が前に進めたのは、大森荘蔵先生に出会ったことが大きな理由だと思います。大森さんは、非常に不思議な人だと思います。学生を突き放す人でもあるし、非常にある種、シニカルな人でもありました。大森さんは物理から文転をして、哲学科に学士入学をした方です。

その際、東大の物理の教室におられた小谷正雄先生が「これで、日本のノーベル物理学賞候補者が一人減った」と嘆いたというエピソードが残されているくらい、物理学の世界で将来性を嘱望された学生だったそうです。鋭い能力から放たれる光みたいなものを持ち合わせた先生だったと思っています。その光に私は照らされて、追いつけないながらも後を歩んで行こうと思えたことは、私にとって幸せだったと思います。

科学史科学哲学の大きな魅力



村上陽一郎氏: 私の専門は科学史・科学哲学となっているのですが、当時は、科学史・科学哲学を学ぶ大学院はありませんでした。大森先生がおられる教養学部に、比較文学・比較文化課程があったので、そこに進みました。科学哲学は、大森先生と個人的なゼミや学習会をしてもらい、科学史については、私と同じように科学史を専攻したいけれど、比較文化に入ってきた後輩と勉強をしていました。私が教員になってから、科学史・科学哲学の大学院ができ、教員として勤めることになりました。本との出会いと同じく、人との出会いにも、大きな力があるのだと思います。

――そうして科学史・科学哲学の道に進まれたのですね。


村上陽一郎氏: 大森先生に出会ったことが運命的でした。科学史・科学哲学という領域は文系的なアプローチだけではなく、理系的な実験も結構できるんです。生物学の実験も、物理もできます。ちょうど文系と理系との半々のところに位置しているものですから、理系から完全に離れる意識のなかった私にとって、どちらも行き来できるのはものすごく魅力的でした。

著書一覧『 村上陽一郎

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