書き手と編集者の間にあった深い繋がり
――文理を行き来することで見えてくる魅力を本に記されています。
村上陽一郎氏: ガリレオを一緒に読んでいた、物理学の専門家である小野健一先生が『美と豪奢と静謐と悦楽と』(三省堂)という本を出された際の担当編集者に、私を紹介してくださったことがきっかけでした。『日本近代科学の歩み』(三省堂)に繋がるのですが、元となった修士論文は、日本における生物進化論を題材にした、わりと大きな論文でした。大森の貝塚を発掘したと言われているモースが紹介する前の段階の、主として江戸時代の文献などをだいぶ読み込んで、そういうものを全部まとめて書いたものです。それから本をいろいろと書くようになりました。
――翻訳もされています。
村上陽一郎氏: シャルガフの書いた『ヘラクレイトスの火』を翻訳しました。彼の自伝なのですが、その内容たるや、とにかくすさまじい幅広さなんですよ。文学もあり芸術もあり、思想もあり、それから政治もあり、研究者としての生き方もあり。彼は十カ国語以上話せましたし、ハンガリー語やデンマーク語まで勉強しているんです。私はデンマーク語なんて知りませんので、とても苦労しましたが、面白い仕事でした。自分の知らない世界を開いてくれるという点では、翻訳はすごく大事な仕事だと思っています。
それを「お前しかやれない」とおだててくれたのは岩波新書の浦辺さんという方でした。新曜社の堀江洪さんという編集者も印象的でした。新曜社の前は培風館にいらして、自然科学系、社会科学系の担当をしていました。東大の社会学を出た方で、決して難しいことは言わないのですが編集者としては少し怖い人でした。
――怖い、というと。
村上陽一郎氏: 非常に知識も広いく、この人が見ている限り下手なことは書けないな(笑)、というような思いを書き手に抱かせるような人なのです。彼から「村上さん、単行本を書かないか」と言われて出したのが『西欧近代科学』です。堀江さんが、亡くなる前に「どうしても自分の手で復活させてほしい」と言ってくださって『西欧近代科学』と『近代科学と聖俗革命』の二冊を再刊してくださいました。堀江さんに出会ったことは、本を書くという点では、ある意味で決定的でしたよね。彼と出会えたことは、本当に幸いでした。
――どんな存在でしたか。
村上陽一郎氏: 堀江さんに限らず、編集者は私にとって共同作業者です。岩波書店の元社長である大塚信一さんもそういった方でした。1996年に『奇跡を考える』という本を出したのですが、その時にまたも、「お前しか書けない」と……殺し文句の上手な人で、のせられると「なんとかしてそれに応えよう」と思うわけです(笑)。その頃と比べると、編集者との付き合いもずいぶんと様変わりしました。単に「本を書く、原稿を貰う」という関係ではなく、もう少し身近で、時には生活を共にするような時代から見ると、今はなかなか難しいのでしょうか。業界全体の逼迫感のようなものを感じます。
変化した「本」とのつきあい方
――本の世界も大きく変わりましたか。
村上陽一郎氏: 電子書籍の登場などはその最もたるものではないでしょうか。昔は、版権のなくなったものなど、手に入れたくてもなかなか手に入れられない状況でした。今は、あっという間に、直接目にすることができる。夢のような状態ですよ。書く時も、ネットとパソコンが切り離せなくなりました。そういう点から言えば、技術の進歩は本当にありがたいと思っています。
――研究活動にも変化はありましたか。
村上陽一郎氏: 今、国立情報学研究所では、各大学の紀要などを電子化してきています。研究者の間でも、電子化されることの便利さというのは、大きいのではないでしょうか。ただ、便利さが故に、いろいろな問題が生じていることも事実です。コピー&ペーストが、ごく自然になってしまっていること。東大では、学生のレポート執筆の際「ウェブサイトから引用することは禁じない。ただし、引用元やその日時まで詳しく書き込むように」と言っています。一つでもそういうことを怠った論文があると、その学期の試験は0になるよ、と厳しく言っていますね。
デジタル化されたデータを、どう扱っていくかっていうことに関しては、今まさに過渡期にあります。引用をきちんとすること、それから時間もきちんと同定すること。共通認識、ルールをきちんと研究者が作り上げなければいけません。
読者と一緒に喜びたい
村上陽一郎氏: 最近は書店に足を運ぶことは減りましたね。特に古書店。昔は、神田や本郷に入り浸っていて、大体の古書店の店主さんとは顔なじみになっていました。今はAmazonで古書がいくらでも手に入るようになりました。それでもある種の古書に関してはまだ繋がりがあって、月二回ぐらいのぞきますが、それ以外はあまり、本屋さんに行かなくなりました。本だけでなく、もしかしたら歳をとった自分自身の感性も変わってきているのかもしれません。
けれども変わらないものがあります。それは「読者に一緒に喜んでほしい」という想いです。「普通はこう考えるだろうけど、こんな風に考えてみたら、面白いことが見えてくるんじゃないか、どう?」という思いですね。それが、今までやってきた一番大きな動機になっていると思いますし、これからもそんな想いで書き続けていきたいですね。
(聞き手:沖中幸太郎)
著書一覧『 村上陽一郎 』