古賀史健

Profile

1973年、福岡県生まれ。 1998年に出版社勤務を経てライター/編集者として独立。一般誌、ビジネス誌、ムック等のライターを経て現在は書籍のライティング・編集を中心に活動中。 インタビュー集に『16歳の教科書』『40歳の教科書』(講談社)などがあり、その他、『ゼロ』(堀江貴文著。ダイヤモンド社)など構成・編集協力として携わった書籍が80冊超。 著書に『20歳の自分に受けさせたい文章講義』(星海社新書)、『嫌われる勇気―自己啓発の源流「アドラー」の教え』(共著。ダイヤモンド社)がある。

Book Information

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録音から拡声へ 届けるための“編集力” 



古賀史健氏: 世の中に伝えるために、相手が話した言葉を正確に録音します。しかし、その録音された言葉そのままでは、あまり広がりがありません。もっと伝えるためには「拡声器」が必要です。ぼく自身は「拡声器」の役割を果たしたいと思っています。アンプを通すので、音が歪んだりとか、若干、その人が言っていた言葉から、変わってしまったりする部分もありますが、それはいわば、アコースティックギターとエレキギターの違いのようなものなのです。アコギの音だけだったら、ちょっと伝わらなかったりすることもあるけれど、エレキの音は遠くに届くし、なによりかっこいい(笑)。「日本武道館全員が喜ぶ」というような感じです。

――アンプを持ったロックなライターが求められている、と。


古賀史健氏: 原稿を書くだけのプロというのは、もはや成立しなくなっているのではないかと思っています。例えばSNSなどを見ていても、講演録など記録(録音)されたテキストデータは即日であがってくる時代です。ライターの存在意義は、うまい言葉に変換するだけではなく、その情報をいかに編集して、どういう順番で物事を伝えていくかということではないかと思うのです。情報の出し方など、うまく編集していく能力が必要となります。

特に一冊の本となると、読む方も疲れますので工夫が必要です。例えば1章から5章まであるとしたら、めちゃくちゃ面白い話を1・2章に入れて、4章ぐらいでちょっと専門的な話をして、5章でクライマックスを迎えるというように、ある程度、展開を作らないと読後感も良くありません。おいしい話を最後にとっておいても、序盤でつまらなかったら、その段階で本を閉じてしまう人もいるかもしれません。だから、編集の目線は常に持っておかなければいけません。編集者は私たちの原稿にたくさん赤を入れますが、同じように、自分の原稿にいかに赤を入れられるかも大事です。

――自分の原稿に、赤ですか。


古賀史健氏: ぼくの場合、普段はテキストエディタのソフトで原稿を書いています。ゴシック体で横書きなのですが、書き終わったらそれをWordにペーストして、縦書きに組み替えて、フォントも明朝体に変更します。ルックスを変えるだけでも、ずいぶんと色々なアラが見えてきます。さらにそれを紙に出力してチェックすると、自分ひとりでもかなり赤を入れることができます。

巻物でも本でもできなかった、新しい形


――多くのプロセスを経てようやく本が出来上がります。


古賀史健氏: 多くの手を経て作られた本などは、まさに書き手と編集者の思いの結晶だと思います。それをどのようにして読者に届けるか。いくら良い内容であっても読者との対話が生まれるようなものでなければ届きません。パッと見た時に、読者が「これってどういうこと?」という「?」マークが頭の中にパッと浮かぶようなものです。目次やあとがきを読んで、頭の中の「?」マークが、なるほど!という「!」マークに変わる瞬間を、パッケージで作ることができるようにと考えながら、本を作っています。

――届ける哲学を感じます。


古賀史健氏: ネットやリアルに限らず「書店は、競馬場のパドックだ」というのが、ぼくの持論です。握りしめた手持ちの1000円を払って、それに見合う読書体験が得られるかどうかというのを、本に賭ける。村上春樹さんの新作などは鉄板ですが、時々、千円で買って、十万円とか二十万円の万馬券になって返ってくるような本もあります。最初に目に入るタイトルと装丁の情報から、いかに見つけるかというのが、パドックで馬を見ているのと同じような感覚なのです。

――馬券のように、本も手元で買える時代になりました。


古賀史健氏: アナログからデジタルに。入手方法もデバイスも常に変化し続けています。しかし、本質的な内容や重要性は変わりません。巻物という形から本になった時に、「読みにくい」と言う人や、活版印刷が出てきた時には「手書きじゃないと、本の味がない」と言う人はたくさんいたはずです。今、「紙ならではの手触り」とか、「インクのにおいが」と言っているのもそれと同じですよね。デバイスが変わったところで、中身が変わるわけではありません。

ただ気になるのは、本の出版文化が育んできた、職人的な部分との折り合いをどうつけていくのか、ということです。デザイナーとの会話でよく話題にされるのは「意図した文字組が、反映されづらい」ということ。電子書籍では、拡大したり行間を変えたりと、自由にカスタマイズできますよね。伝統と新技術がうまく融合した先に、あらたな書物の可能性があるのだと思います。

たとえば、村上春樹さんの『1Q84』の冒頭に、女の人が歩いていて、車からマイケル・ジャクソンの「ビリー・ジーン」が流れるシーンがあります。電子書籍ならば、実際に「ビリー・ジーン」の音楽が流れ出す、というような仕掛けも組み込めます。そういう風に、今まで無かったものが加わる事によって、読書体験がもっと広がっていく可能性があると思います。小説家やクリエイターは、面白い表現を追及していくのが好きな人たちだと思うので、この電子化の流れは、積極的に進めていけば、きっとぼくらがまだ考えてもいないような、あらたな本の形が、出来上がっていくのではないでしょうか。

あらたな世界で「書ける」ライターを育てたい


――表現の幅も広がり、明るい書籍の未来が見えてきました。


古賀史健氏: あとは、どれだけコンテンツの作り手がいるか、ということです。書籍の執筆依頼を受けたとき、どうしてもスケジュールが埋まっていてお断りしなくてはならない場合があります。すると編集の方が「誰かいいライター、いませんか?」とさらに聞いてきてくれます。その時「この人だったら、絶対大丈夫ですよ」と言える人が、依頼の数より少ないのです。これは明るい書籍の未来に対して、対照的な悲しい状況だと思います。ライター業界には、「これをやっちゃ駄目」という禁止のルールが多く、「ここを伸ばしたら、もっと面白くなる」というような加点主義的な評価と育成をしてこなかったのが、一つの原因ではないかと思うのです。

――『20歳の自分に受けさせたい文章講義』(星海社新書)には、古賀さんのノウハウと哲学が詰まっています。


古賀史健氏: この本の中で、現役のライターであるぼくは現場で15年かけて蓄積したノウハウを余すところなく伝えるという“文章の授業”に挑戦しました。「結局、センスや才能の問題だ」と、考えられているライティングですが、技術的に教えられることは、山ほどあります。おかげさまで、多くの人々に読んで頂き、賞をいただくきっかけにもなりましたが、それだけこうした文章に対する関心の高さがうかがえます。これからは、この紙面で展開した文章講義をマンツーマンで教える制度を作っていきたいと思っています。単に講座を開くだけでなく、ひとつの組織として、しっかり教えていきたいですね。そうやって教えることによって、自分よりも面白いライターさんがもっとたくさん出てきて、業界全体が活性化していくことを願っています。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 古賀史健

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