内山節

Profile

1950年、東京都生まれ。1970年代から東京と群馬県上野村を往復して暮らす。立教大学大学院異文化コミュニケーション研究科特任教授、東京大学大学院人文社会系研究所兼任講師などを歴任。NPO法人・森づくりフォーラム代表理事も務める。 著書に『山里の釣りから』『主権はどこにあるか―変革の時代と「我らが世界」の共創』(農山漁村文化協会)、『自由論―自然と人間のゆらぎの中で』(岩波書店)、『新・幸福論:「近現代」の次に来るもの』(新潮社)など。

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哲学に実験設備はいらない


――物理学に対する違和感もあったのですね。


内山節氏: 物理学だと大学院までいこうかなと思っていましたが、哲学の場合は実験設備はいりません。アリストテレスなどは2000年も前の哲学だけど、アリストテレス自身は現代進行形の、現代哲学としてやっていたわけです。だから僕らも哲学をやるのならば、やっぱり現代哲学でなければいけません。過去から学ぶものはたくさんあるけれど、過去を学ぶこと自体が目的ではありません。現代的な問題意識があるから、アリストテレスを読むのであって、アリストテレスの文法を研究するわけではありません。アリストテレスの研究が専門ですとか、カントが専門ですという人たちも、現代的問題意識を持ってやっているので、そういう研究もあっていいと僕は思っています。ただ僕は、現在、課題とされているものをもっとストレートに見ていきたい。だから色々な書籍を読むこと、そして、現代がどんな風に動いているのかということを自分の目で見ることが重要となります。そしてもう1つは、ディスカッションしていくということ。そう考えると、僕の場合は研究室に入らなくてもいいかなと思ったのです。インフォーマルのものもありましたが、研究の議論をしたりするようなグループもたくさんあったし、先生たちも参加するような、もう少し開かれた研究の場もありました。経済哲学を学ぶために、僕に経済を教えてくれる先生もいました。だから、完全に独学という感じではないのです。

――哲学の道へ方向転換したことは、大きな節目だった。


内山節氏: あの頃は全共闘運動があったし、大学を中退する人もたくさんいたので、今よりはハードルが低かったかもしれませんね。僕の場合も、2、3年後に軌道修正しても構わないとも思っていたので、一大決心をしたという感じではありませんでした。僕の場合、就職しようという考えはなかったし、極端なことをいえば、10年後に大学で勉強しようとなってもよかったのです。

――反対などはされなかったのですか。


内山節氏: そういったことも割と自由に決めることができたのは、僕の父が映画のプロデューサーだったせいもあるかもしれません。東宝争議というのがあり、父はそれからプロデューサーとして独立して仕事をしてみたり、色々な形で仕事をしていました。映画を1本作るのに、1年ぐらいああでもないこうでもないと話し合ったり、スタッフを決めて、お金を集めてという感じで、昔は撮影に何カ月もかかっていましたし、計画性のある仕事をしているようには当時は思えませんでした。家にたまに来る人も、映画監督や小説家、シナリオライター、音楽の作曲家、それにカメラマンなどで、真面目なサラリーマンとは少し違った感じの人が多かったです。よく言えば自由な人たちが多く、父も僕の進学に関しては、どうぞお好きにという感じでした。

――ご自身の判断に、迷いはなかったのでしょうか。


内山節氏: この大学に行って、この会社に勤めてということを計算すると、そのための最適なコースを歩むことになります。でもそういう目的が存在しない場合は、自分で「いい」と思ったことをやってくしかない。その「いい」と思った自分の勘を徹底的に信じるしかありません。でも、それでいいのではないかと僕は思っているのです。50代の中盤ぐらいになると、小学校の同窓会をやりたがる人もいて、僕も1、2回くらい顔を出したことがありました。会社を辞めた人や、自分で会社やお店を始めている人とか、仲間と数人で会社を作った人たちも結構います。20代ぐらいに、通常のコースを歩んでいる人から見ると、大丈夫なのかと思うような道を選ぶ人もいましたが、それでも全員、生活ができています。農業を始めた人で、サラリーマン時代の収入には追いつかないけれど、飢え死にすることはないし、きちんと子どもを大学ぐらいまで行かせている方もいます。そういう人は海外旅行をしますが、行きたいのは、ニューヨークでもパリでもなくバングラデシュの農村。バックパッカーのような感じで、お金も使いません。また、旅行に費やす時間も長くとれたりするので、より自由な旅行ができるわけです。自分の好きな道に進んだ人は、その方向でできる範囲の生活でいいわけです。だから、案外、世の中は平等なのだなと感じました。



「この本だけは、出したい」という編集者、そしてそれを読む読者がいた


――ご自身の目で見たものを、本という形にまとめて出されたのは、20代の頃ですね。


内山節氏: 自分の考えを少しまとめておこうかなという気持ちがあり、26歳の時に出すことになりました。でも僕にとっては、出版することよりも、まとめておくことの方が重要だったのです。22、3歳ぐらいになると、周りの人は「普通だと大学を出て就職している歳なのに、あいつ、どうするんだろう。就職先を世話しちゃおうか」などと僕のことを心配するようになったそうです。それで研究会の仲間や先輩が、勝手に雑誌の編集部と話をつけてきて、編集部の方から僕に依頼がきたのです。「なんで突然、僕のところに依頼がくるんだろう」と思いましたよ。当時は、専門誌でも「無名だけど、面白いことやっている奴はいないか」と探しているようなところもありましたので、僕が書いたものを、またどこかの出版関係の人が読んで「ぜひうちでも、出してくれ」という依頼があったりもしました。そういう感じで1~2本書いたら、「これをきちんと書いて、本にする気がありますか?」と単行本の編集者が来たりして、基本的にこっちからお願いすることはありませんでした。

――本を出すことになった頃と今とでは、出版社や編集者の考え方は違うのでしょうか。


内山節氏: 今だと、企画が採算ラインに乗るかどうかというのが、一番重要な検討課題という感じもあるのかもしれません。でも「これは、出したい」というものについては、採算ラインに乗るかどうかはどうでもいいという編集者も、当時は結構いたように思います。会社が倒産しないように、それなりに売れるものも出してバランスをとる必要はありますが、こういうものも出したいとか、こういう傾向のものを出しながら社会を変えていきたいとか、そういったところが多かったです。そして、どうしても出したいということで出す本でも、少なくとも大幅な赤字は出さないという、そういった経営が成り立つだけの読者が当時はいたのです。著者と同じような気持ちを持って、本を読んでくれる人たちがいたというのも大きかったと思います。編集者・出版社、そして読者という全部が、少しずつ変わっていったのです。

信頼により、成り立つ関係


――編集者とは、どういったやり取りをされているのでしょうか。


内山節氏: 僕の場合は、色々な提案をされ過ぎても困ることがあります。例えばビジネス書だったら、編集者からの「こういうことも入れてください」という意見も、場合によっては有り得ますが、哲学や思想は、そういったことが簡単にできる分野ではありません。最初の頃は、原稿ができた段階で、編集者の目から見てわかりにくいところなど、そういうことを教えてもらうこともありました。でも、ある程度、本の数も増えてくると、そういうこともなくなり、「どうぞご自由に」とか「やりたいことをやりませんか」というような依頼のされ方が多くなりました。雑誌の特集の中に1本、載せる形になれば、当然その特集のテーマから外れてしまうわけにはいかないので、大きなテーマの中で、こういうメンバーでやりますということは言われますが、それでも中身に注文を出されることはあまりありません。編集者の方はどうかわかりませんが、僕は編集者を信頼しています。でもヒントになる場合もあるので、何か提案したいこととか、気が付いたことがあれば言ってもらいたいと思います。それを採用できるかどうかはわかりませんが、信頼関係があるから、本当に気持ちよく仕事ができます。

――信頼関係で成り立っているのですね。


内山節氏: 雑誌や新聞だと締め切りは明確になりますが、単行本は、締め切りも場合によっては、あやふやになるケースがあります。編集者も企画書を作って了解をとっているわけですが、それと違うものが出てきたとしても、特にものの考え方に属するものだったら、規格通りである必要性もないというか、問題にはならないこともあります。AKBの本を書くといっておいて、出てきたのがプロレスの本だったというような極端なケースじゃなければいい。アメリカなどの出版社だったら考えられないかもしれませんが、日本の場合、契約書は基本的に最初に取り交わしません。初めて仕事を一緒にする時以外は、大体わかっているというような感じがあって、社会通念と違うような形で印税を支払うとか、今回はこれだけに下げますとか、そういった場合以外は、印税の話もあまりしません。契約書を作ってしまうと入稿の日付が入りますが、場合によっては、もう少し時間をおいた方が良くなるという可能性もあるわけです。大抵の場合、再稿が出るぐらいの時に、最終的に契約書を交わします。原稿料も振り込まれてから、初めてわかることも多いのですが、信頼関係があるからこそ、対立したり破綻することがないのかなと、僕は思っています。

著書一覧『 内山節

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