倉都康行

Profile

1955年、鳥取県生まれ。東京大学経済学部卒業。東京銀行で東京、ロンドン、香港に勤務した後、バンカース・トラスト、チェース・マンハッタン、などを経て2001年にRPテックを設立して独立。現在に至る。産業ファンド役資法人執行役員、マネタリー・アフェアーズ誌編集人などを兼務。NHK「マネーワールド」レギュラーコメンテーターや中央大学経済学研究科大学院客員教授も務めた。 近著に『12大事件でよむ現代金融入門』(ダイヤモンド社)、『金融史の真実―資本システムの一〇〇〇年』(筑摩書房)、『危機第三幕―次はアメリカ、そして日本が震源になる!』(ビジネス社)など。

Book Information

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自分にフィットした経済のスタイルを



RPテック株式会社代表を務める倉都康行さん。ロンドン、東京、香港と国内外で活躍されてきました。マネタリー・アフェアーズ誌の編集・発行人なども兼務されています。金融の世界を見て来た倉都さんの今の想いを伺ってきました。

興味はアマチュア無線機から音楽へ


――RPテック株式会社について伺います。


倉都康行氏: 日本やアメリカの銀行で働いていた経験を活かして、設立しました。資本市場(キャピタルマーケッツ)における、債券や株、為替などの動き、分析などのリサーチを、お届けするサービスや、金融工学に関するコンサルティングもおこなっています。金融機関やそのシステムを請け負う会社から一般の企業まで幅広いお客様がいます。

――設立から14年間が経ちました。


倉都康行氏: 激動の14年間でした。リーマンショックのような時期もありましたが、悲愴感はありませんでした。自分が好きなことをやっているということは最高なことで、厳しい状況や辛いことはあまり苦にならないんですよ。鈍いとも言われますが(笑)、やはり自分の好きなことをやっているというは何事にも代えがたいですね。会社を作った当初の売り上げはゼロでしたが、3年目ぐらいから軌道に乗っていきました。金融の世界は、ハッピーな日もあれば、リーマンショックの時など、ボロボロでどうしようもない時もあります。天気は良くてもすぐに景色が変わるので、飽きのこない世界です。マーケットで感じる日々の違いが、仕事を続けるモチベーションにもなります。

――金融の世界へ入られたのは。


倉都康行氏: 鳥取県の倉吉という町で生まれ育ちました。わりと内向的なタイプで、人前で喋るのが嫌いだったので、昔は「あまり積極性がない」と、よく言われました。好きだったのは、本と音楽。本は、文学というよりはサイエンス系が好きでした。それから、小学校6年生でアマチュア無線の免許を取り、受信機と送信機を自分で作りました。送信機のキットを買うために、お年玉を3年分ぐらい前借りしたこともあります(笑)。

――理系少年だったのですね。


倉都康行氏: 自分で何かを作ることに、のめり込んでいましたね。アマチュア無線の相手はほとんど日本国内でしたが、時々ブラジルやアルゼンチンなど海外と交信できる機会がありました。英語も話せず、ごく簡単な会話だけでしたが、それでもらったQSLカード(交信証明書)は宝物でした。興奮しましたね。それからステレオアンプ、ギターアンプの製作へと続きます。エレキギターに興味が移っていきますが、当時は「不良の象徴」ということで買うことが許されず、代わりにクラッシックギターにピックアップを付けて、それで自分のアンプを入れてエレキギターにして、ベンチャーズを弾いていました(笑)。中学・高校の六年間はもうこればっかりでしたね。



湯川秀樹に憧れた少年時代


――大学では経済を学ばれます。


倉都康行氏: 根っからの理系少年だったため、私のヒーローはノーベル賞を受賞された湯川秀樹さんでした。彼と同じように、京大の理学部へ進みたいとずっと思っていましたが、高三になって、法律や経済の側面から世の中を動かすことに興味が移っていきました。数学が好きだったので、経済を学ぶことにしました。実際に進んでみると経済学を好きになれなくて、がっかりしました。初志貫徹をして、そのまま理学部か工学部に行ってやればよかったと、しばらくは後悔をしていましたが、数字を扱う統計に面白さを見いだしました。

好きな音楽の影響を受けて、海外へ


――卒業後は東京銀行へ入行されます。


倉都康行氏: ブリティッシュロックと米ウエストコーストサウンドが大好きだったので、英米に行って仕事できることが第一条件でした(笑)。商社だとなかなかイギリスはなさそうだし、保険会社はそもそも海外での仕事がイメージできない。それで銀行に行くことを決めました。でも、海外へ行くには選抜試験などがあり、僕は英語もできなかったので大変でした。

――どうやってロンドン行きの切符を手に入れたのですか。


倉都康行氏: ロンドンとニューヨークの仕事は、英語というよりは、体力勝負という部分もありました。「こいつは飄々としてるし、働かせても全然くたばりそうにないから」ということで、英語ができなくても行けたのだと思いますよ(笑)。ロンドンに行けたことは、本当にラッキーでしたね。僕のサラリーマン人生は、そこから始まったようなものです。ロンドンの仕事も面白かったし、英語もやらなきゃいけないなと思って一生懸命やったおかげで、勤めていたアメリカの銀行でも仕事をこなすことができました。今でも仕事はほとんど英語なんです。僕は、ロンドンには2回行っていて、通算するとだいたい10年弱いたので、第2の故郷ですね。1回目は2年間ロンドンに行って、その後、東京に帰れるかなと思ったら香港に行くことになり、その後再度「ロンドンに行け」と言われたんです。本当に忙しくて、色々苦労はしましたが、その3倍ぐらい楽しい思い出もできました。ロンドンはいいですよ。

――銀行ではどのような仕事をされていたのですか。


倉都康行氏: 銀行に就職してしばらく経つと、為替や証券などマーケットの仕事をさせてもらうようになり、海外にも出させていただきました。そのマーケットを分析するのに、統計の知識を使ったのですが、それに、はまってしまったんですよね。1980年代でしたが、今から考えると、僕がやっていたのは、ヘッジファンドの始まりのようなものだったと思います。その当時、日本では、そんなことをやっている人はほとんどいなかったと思います。実際に数字を拾ってきて、それを例えば重回帰分析や多変量解析などの色々なツールを使って、ドルが上がるとか株が下がるとか、そんなことをやり始めたんですよ。これはすごく面白いなと思いました。

著書一覧『 倉都康行

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