今でも憧れるのは、ラジオデパートの親父
――仕組み作りを続けて来たという印象があります。
倉都康行氏: そうなんです。職人に憧れているんですよ。昔、秋葉原には、ラジオデパートといって、ものすごく狭いところで、しかめっ面をしたおっちゃんが小さい電子部品などを売っているところがありましたが、僕はあれが理想だったんですよ。今でも、職人という意味で、ラジオデパートの親父になりたいと思っています。お客さんが来たら、うんちくを垂れて「こんな物を買っちゃだめだ」、「こっちの方が絶対いいんだ」という話を1時間ぐらいするなど、自分で作った良い物を、きちんと教えてあげたい。そう思っているからか、時々「学校で教えろ」とか、「なんで学校の先生にならないの?」と言われたりもします。
――教える立場になろうとは思われないのですか。
倉都康行氏: オファーはあるのですが、教えるのが下手なので難しいかもしれませんね。僕にとっては、口であれこれ言うより「書いたものがあるから読んでおいて」、「そこでちゃんと自分で感じてくださいね」という方が楽なのかもしれません。
伝えたいことを100%は出さず、読者に想像させる
――どういったいきさつで本を書くことになったのですか。
倉都康行氏: 1冊目の本は『相場を科学する なぜ上がり、なぜ下がるのか』という本で、ブルーバックスから出ました。最初は、ある金融関係の本屋さんから「本を書きませんか?」という打診が会社にきたんです。その話が僕のところにきたので、僕がやっていたことを話したら、「難し過ぎる。そんなの、読む人がいない。金融機関だってこんなことをやっている人はいないし、興味もないだろう」とあっさり言われました(笑)。ある程度、形ができていたので、もったいないなと思い、ダメもとで、大ファンだったブルーバックスに「こんな原稿があります」と出してみました。そしたらすぐに「企画を考えたい」という返事があって、びっくりしましたよ。当時はまだワープロがなかったので、鉛筆書きで一生懸命、数式を書きました。ブルーバックスでは自然科学系の本を出していて、経済や金融の分野は初めてということで、なかなか言葉を理解してもらえず、僕が当たり前のように書いていることも「わからない」と言われて、色々と書き直したことを覚えています。当時は、話がわかる人たちの間だけで暮らしていたサラリーマンだったので、全く違う畑の人たちと話し合うのはそれが初めてでした。初めは「なんでわかってもらえないの?」と思っていましたが、自分がわかればいいという考えを捨てて、きちんとわかってもらえるように書かなきゃいけないということを、そこで勉強させてもらいました。
――『日経ビジネスオンライン』など、連載を色々とされていますね。執筆の際などに気をつけていることとは。
倉都康行氏: 文章には、基本的にリズム感がないとだめ。でも、どうしてもワンパターンなリズム感になってしまいがちなので、何度も読み返し、気に入らないところを直します。あと、自分の思っていることが、どれだけ伝わるんだろうと考えたりもします。でも僕は100パーセント、伝える必要がないと思っているのです。読んでいる人が自分で解釈を膨らすことができるような、そういう文章を書きたいという気持ちが僕にはあります。その思いから、時には、ちょっとわかりにくいようなボヤっとした言い方を、わざと入れる時があります。本当に出したいところは出しますが、ちょっと引いて、ここは読んでいる人に勝手に想像してもらえばいいなという部分を、いくつか必ず入れるようにしています。「ちょっと皆さん、考えてくださいよ」と、わざとそういう風にもっていくのです。
――倉都さんの本は、悲観的な見方が強いと思われる方もいるようですが、ご自身では。
倉都康行氏: 僕自身は、“悲観論”ではなく“現実論”だと思っているのです。僕は現実主義の人間だと自分では思っています。辛いことも悲しいこともあったと思いますが、最終的には楽しいことの方が多かったのかなと、感じています。
著書一覧『 倉都康行 』