“生みの苦しみ”を学ぶ
――部活をしていた、という話でしたが。
森俊憲氏: 中学のバレー部がすごく強くて、全国レベルでした。実は私は成長が遅くて、身長が150センチを超えたのが中2の時でした。中学の頃は体が小さかったので、“強い男の体に対するあこがれ”というものが、根底にあったのかもしれません。高校でもバレーをやっていましたが、背が低いのでセッターをやっていました。でも、今のように“司令塔”という風にもてはやされてはいなかったので、なんとなく物足りなさを感じていましたね。昔のバレーは、今のように時間差とかそういうものではなく、基本的には高くオープントスを上げて、エースがクロススパイクを打ち込むというパターン。つまり、真っ直ぐトスを上げられればいいという、縁の下の力持ち的な存在でした。だから大学では、個人競技もやってみたいなと。
――それで、大学時代にトレーニングへと。
森俊憲氏: 「やればできる」と昔から思っていましたから、セルフイメージはもともと高かったかなと思います。仕事の依頼があれば、できないとは言わないですし「こうすればできる」というように言い方を変えます。そういった部分は、最初の仕事である京セラ時代で学んだことが大きいと思います。京セラはベンチャーの気質がすごく強かったように思います。数字に対しても厳しいし、メーカーなので結局モノを生み出して売らないと商売にならないわけです。頑張って結果を残すという“生みの苦しみ”を京セラで学びました。必要十分な機能でリーズナブルな商品を作った方がいいんじゃないか、という“実用重視”の考えが私にも染み込んでいます。
「遠回りして見出したメソッドを共有したい」という思い
――そういった精神的なものとメソッド組み合わされて、今のボディクエストがあるのですね。
森俊憲氏: そうですね。サービスに関しては、広告などは一切やっていません。ネット商材とも言えるかもしれませんので、売り方としては色々とあるのかもしれません。購入後は三ヶ月から半年の間マンツーマンで、密にコミュニケーションをとってやっています。もともと、自分が遠回りして見出したメソッドを、共有したいと思ったのが一番の起業のきっかけだったのです。
ブログもない時代でしたが、実は京セラにいる頃から、自分でホームページを作って、そこで日記のように、自分の思いをつづっていました。そうするうちに、「何かモヤモヤしていたものを、あなたが的確に文章化してくれた」とか、「まさにこういうことを、自分もやりたいと思っていたんです」というようなレスがつくようになりました。相手の本名も、住んでいる場所もわからないけれど、自分が苦労して生み出したものに対して、価値を感じてくれたり、お礼の言葉をかけてもらえたりして、それが心地よかった。そうやっていくうちに、アクセス数が、1日に何千件となり、「良いサイト」などと紹介されたりしていて、「これはもしかしたら、ビジネスにすることができるかもしれないな」と。一方で、京セラに10年位勤めていて、「やっぱり自分はサラリーマンも向いていない」と自分では感じていたのです。
自分がやっている仕事は、商品が企画されてから量産されるプロセスの中の、ごく一部だから、実感としてはわかりにくい。そういった部分がなんとなく、自分の中でモヤモヤしていました。Vodafoneに移ってからは開発にも携わっていたので、居心地も良かったのですが、入って半年ぐらいでSoftBankに買収されるという話が出てきました。開発に携わっている人間は、自分が携わることによってサービスがより高度化したり、ユーザーの利便性が上がったりということをやりたいものなのです。でもそれが買収により、難しくなりました。進む道はそのまま残るか、転職するのか、もう一つが起業でした。その時に、自分には少し手応えを感じているウェブサイトがあるなと。もし起業にチャレンジしてダメでも、極端な話まあ死ぬことはないだろうと考えたのです。
――命を取られることはないと(笑)。
森俊憲氏: そう、なんでもできるんですよ(笑)。それで具体的に、起業という道を考え始めました。その時に出会った本が、神田昌典さんが2006年に出した『成功者の告白』です。神田さんが起業後に遭遇したエピソード、仕事と家庭とのバランスのとり方が書かれています。この本に背中を押されたのと同時に、自分のことをバックアップしてくれる家族についても考えさせられました。「家族を幸せにしたい」という気持ちからの出発だったので、自分が起業するのならば、将来性もリスクも不安も、全てを家族と共有する方がいいと思い、妻は半導体の会社の営業をやっていて全く関係のない分野の人でしたが、一緒に仕事をやっていくことにしました。そういうヒントを与えてくれたのが、この本でしたね。
ベンチャーの知り合いの中には、会社の規模やある種の華やかさを求めている人も多いように感じますが、私的には、その辺に全くこだわりがなかったのが、良かったのではないでしょうか。出資したいという話もありますが、もともと起業した目的が会社を作ることではなかったし、IPO(新規公開株)にはもっと興味がない。自分がやりたいことをやって、自分が社会に対して提供するサービスの対価を受けるというのが、自分にとっての一番の手応えであり、共鳴してもらえることこそが最も求めているものなのです。
――そこが森さんにとっての、クロスポイント。
森俊憲氏: でも最初は大変でしたよ。二年間は赤字だったので、夜もおちおち眠れませんでした。銀行にお金を借りるために事業計画の話をしても、「オンラインのコンテンツなんていう実体のないものに、誰がお金を払うんですか」と言われました。普通のサラリーマンだった人間が、メールなどで情報交換することによってお金を得ようというわけですから「いいビジネスモデルだね」などとは誰も言ってくれませんでした。
でも「この方向は間違いないはずだから、道は開ける」という自信がありましたので、自分自身で、どうにかするしかないと。それで「エクササイズの動画のコンテンツは、毎週、必ず2種目増やす」 と 公言し実行しました。一時期は200種類以上ものエクササイズのコンテンツがありましたね。もっと多くの人に認知してもらうためには、さらに「本」にまとめたいと思うようになりました。それで本を出すことを想定して、引き続きブログやメルマガを更新していきました。思いを共有するためのツールとして、本に目標を定めたのがよかったのかもしれません。