久米信行

Profile

1963年、東京都生まれ。慶応義塾大学経済学部卒業。 イマジニア株式会社、日興証券株式会社での勤務を経て、家業の三代目となる。 グリーン電力やオーガニックコットンを活かして自家工場で生産。「日本でこそ創りえるTシャツを世界に、未来の子供たちに」発信するのがモットー。 日経インターネットアワード、経済産業省IT経営百選最優秀賞などを受賞した。 著書に『メール道』(NTT出版)、『考えすぎて動けない人のための「すぐやる!」技術』(日本実業出版社)、『ピンで生きなさい』(ポプラ社)など。

Book Information

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職住一致の下町コミュニティーが与えてくれるもの



久米信行氏: 僕の幼少期には、父は自ら配達をしていたので、よくトラックの助手席に乗せ「納品ドライブ」に連れて行ってくれました。自宅兼会社には勉強部屋がなかったので、楽しそうに仕事をする父の隣りで勉強をしました。父の書棚には松下幸之助の経営書など、ビジネス関係の本がたくさんありました。例えば日本マクドナルドの創業者、藤田田さんの本なども面白かったですね。頑張って成功していく起業家の本を読み、父の生き様と重ね合わせて、商売人も楽しそうだなと思いました。

僕が育った下町では、家は日本家屋で窓も開けっ放し。内と外の区別がありません。自分の部屋もなくプライバシーはゼロでした。昨今の子供たちは自分の個室にこもれますし、近所の人などと日々接することも少なくなっています。僕が子どもの頃は、おつかいに行ったお店の人や、銭湯でご一緒した人と話すのが日常茶飯事でしたので、気がつけばコミュニケーション力が磨かれました。街中が井戸端会議状態で情報が行き交っていました。あのおじさんが作っているメンチやはんぺんを食べているとか、街の人たちと自分の暮らしがリンクする部分も多かったのです。今はコンビニで売られているものが、どこで作られているかもわかりませんよね。

両親のみならず、街の働くおじさんやおばさんたちを先生として、僕は育ちました。もちろんカッコイイだけではなく、時には大変な失敗をして慌てている姿も見てきました。そんなリアルな生きざまを見ているのといないのでは、仕事観や人生観に大きな違いが生まれると思いますね。「なんの仕事をしたらいいか、わからない」と言う教え子が多いのは、職住一致の環境で働く元気なおじさんおばさんに触れてなかったからでしょう。それは子どもの教育に良くないと感じます。もちろんグローバル企業でバリバリ働くという世界も必要です。でも、生き生きとした下町の庶民の生活、昔ながらの顔が見える手仕事を見直す必要性も感じています。

日本の下町は多様な考えが身につく環境だったと思います。今の日本は、色々な人との接点が少なくなってきているように感じます。昔は近所に「寅さん」みたいな人がいても、周りが温かく見守っている余裕がありました。「あの人は、いつも何の仕事をしているかわからないけど、祭りの時だけは輝いて見える」とか(笑)「勉強はできないけど、かけっこが速い子を讃える」など、誰でも尊敬する文化があったわけです。お稽古から受験にシフトしたことも、子どもに良くない影響を与えていると思います。僕たちの小学生時代は受験塾ではなく、読み書きそろばんや、柔道、剣道。女子はバレエやピアノに通っている子供が多かったのです。共通しているのは、頭を動かすのではなくて、手や体を動かすものであるということですね。

――単純作業の反復練習ですね。


久米信行氏: 今の子どもたちが我慢強くない一因は、お稽古不足だと思います。脳の仕組みで三年も反復練習をすれば、無意識に体が反応できるようになるそうです。脳内麻薬のセロトニンも分泌され快感になります。昔は“三年、辛抱する”意義を誰もが体感していたのです。下町の工場で、生涯手仕事を続けているおじいさんはセロトニンが出ていて幸せなのです(笑)。さらに「十年後はもっとうまくなりたい」という目標や「一生続けられる」幸せがあります。スマホやゲームの規制も必要でしょうが、仕事を楽しむ大人の姿を子どもたちに見せることこそが必要だと僕は思います。脳の成長が著しい十四歳くらいまでに、コミュニティーの中で色々な人と出会い多様性とチームワークの大切さを知る。そして、一つのことを掘り下げてお稽古を通付け三年は辛抱する。この二つが重要だと思います。

――“物知りのぶちゃん”も、物事を探求し続けることでセロトニンが出ていたのではないでしょうか。


久米信行氏: セロトニンを出す快感を知ったし“物知りのぶちゃん”は、中学に進むと一瞬だけ“神童”と呼ばれます(笑)。探求し続けた挙げ句「宇宙の果て」や「死後の世界」などの難題に出くわしてしまいました。映画「猿の惑星」の核戦争も怖かったし、公害や温室効果の問題にも頭を抱えていました。とどめは『日本沈没』『ノストラダムスの大予言』など終末思想。人類の終わりばかり考えていた時期です(笑)。無意識にニュースの現実から離れてサブカルに逃げ込み、深夜放送やロックを聴くことで、危ういバランスをとっておりました。

高校、大学では、体を動かして悩みを忘れようと、日払い労働を中心に色々なアルバイトをしました。引っ越しや厨房の清掃、レタス畑の収穫までしていましたね。福沢諭吉先生の心訓に「世の中で一番さびしい事はする仕事のない事です」ありますが、競馬場でガードマンをやった時に、まさに痛感……誰も道さえ聞いてくれないし、何一つトラブルが起きなくて辛かった(笑)。どんなに体がキツくとも、レタスを運んでいる方が楽だなと思いましたよ。一方、バイト先では、これまで会ったことの無い人たちにも出会えました。中年にさしかかったバイトの先輩が競馬新聞を読みながら「惜しい!ここで当たっていれば、2~3日仕事しなくて済んだのに」と聞いた時などは衝撃でした。「こういう遊牧民みたいな人がいるんだ」と、妙に気分が楽になったのです。アルバイトを通じて、下町とはまた違う人生の数々に触れました。お百姓さんであれ職人さんであれ「無名だけど、かっこいいなあ」と思える心が育まれたように思います。

“縁”を紡いで



久米信行氏: 大学を卒業して、松下政経塾出身の神蔵 孝之社長が創業したイマジニア株式会社で働くことになりました。入社すると、いきなりカーネギーの本『道は開ける』と『人を動かす』が、新入社員全員に配られました。それまで自己啓発本はあまり関心がありませんでしたが、社長のことも好きでしたし読んでみて「ああ、なるほどなぁ」と思うところが多々ありました。親父も夢を叶える経営者だったので、自然に教えを受け入れられたのかもしれません。「潜在意識でポジティブなイメージを持っていれば、だいたいの夢は叶うんだ」という気持ちを持てるかどうかが凄く重要なのです。その教えは、自ら企画制作に関わったゲームソフトがヒットしたことで、僕の心に刻まれました。その後、先輩からお声を掛けて頂き、日興證券にてAIを使った資産運用や相続診断のシステム開発にも挑戦します。ゲーム開発と同様にまったく未経験の領域でしたが、多くの達人のお力もいただいて成果を挙げることができました。以来、僕は、基本的にWhatよりもWho。面白い人と仕事がしたいと考えるようになりました。

――メールマガジンにも「縁尋奇妙」とあります。


久米信行氏: 僕はあえて“奇”にしていますが、正しくは“縁尋機妙”。「人は会うべくして、会うべき時に会うようにできている」という安岡 正篤先生がよく引用した仏教用語です。楽しそうにしていれば、楽しい人が寄ってくる(笑)。“縁”を意識して、大切に紡いでいくことが大切です。イマジニアの神蔵社長も、日興証券で出会った上司、稲葉喜一さん、笠 栄一さん、神戸 孝さんという方も、僕が知らない世界を見せて導いてくださる面白い達人でした。イマジニアはゲーム会社ですが、僕自身ゲームはそれほど好きではありませんでした。大学時代は、マルクス経済学のゼミに入っていたので、証券会社は敵というか(笑)。父は株が大好きでしたが、その父親でさえ「証券会社への転職はダメだ」と言っていました。でも、みんなから「やめろ」と言われると、やりたくなってしまうところもあって……天邪鬼なんですね(笑)。そのおかげで、視野を広げられて、縁に恵まれることになったのです。

証券会社での金融の勉強は、面白いものでした。なにしろ、バブル崩壊の前後を、証券会社の内側から見ることができたのです。昔から人間が欲に目がくらむたびに、同じような馬鹿げたことを繰り返すのです。そんな笑うに笑えない話がたくさん書かれてある『金融イソップ物語』という本も面白いですよ。お金は、幸せになるための必要条件ではあっても、十分条件ではありません。お金があまりにないと不幸せになるけれど、お金が一定以上あると、逆に不幸せになったりもするのです。そんな悲喜劇を、目の当たりにすることができました。

――その後、日興証券を辞めていよいよ家業を継ぐことになります。


久米信行氏: バブルも崩壊し、不況まっただ中。安価な海外製のTシャツが出回ったために国産のTシャツはなかなか売れませんでした。価格破壊と流通革命で、これまでの販売ルートも失われ、インターネットで宣伝するしかありませんでした。ご存知のように、ネットでのお客様とのやりとりは諸刃の剣。ちょっとした言葉遣い一つで、クレームにも感謝のお礼にもなるのです。僕の経験から得た『メール道』を、社員や縁者に向けてメルマガとして発信していました。それを知ったNTT出版の人から「本にしましょう」と話を持ちかけられました。題名もメルマガと同じ『メール道』にいたしました。同じお悩みをお持ちの方が多かったせいか、おかげさまで、Amazonで総合1位のベストセラーになりました。

僕が日興証券にいた時に「華道、剣道そして柔道があるように、相場にも『相場道』というものがある。あらゆるものに道がある」ということを教えてくれた師匠がいました。そこで僕もあらゆることで“道”を歩むことを意識し始めました。以前より、僕は老子や荘子の思想にも惹かれていたので、常にTAO(道)が気になるのです。ですから、拙著『メール道』と『ブログ道』を、師と仰ぐ日下 公人先生と日本財団の笹川陽平会長に差し上げた時に、日下先生から「これは、TAOだね」と言われたのが一番嬉しかったですね。もうひとりの師匠、『森を見る力』『企画書』著者である橘川 幸夫さんに「久米くんは何を書いても、道になるね」と言われたことも、僕の誇りです。

著書一覧『 久米信行

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