“まだ見ぬ友”を書き出す
――様々な分野の成果を、本に記されています。
岡本浩一氏: 自分が死んだ後、残るのは本だけです。本を書くことはとても大切に思っています。昔、長女から「岡本浩一という人間は、書いて残したものだけによって知られたいっていう感じで書いているんだね」と言われたことがあります。お茶の世界でも、あまり人前には出ません。書いたもので知ってもらうほうがいいと思っています。
書くという行為は自分の知っていることや自分の考えを伝える場ですが、もう一つ、それを読む読者を、よく知っていなければいけません。例えば、ぼくのお茶の本を手に取る人の立場や、そういう人が何に迷うかということまで、考えた上で書きます。どこから手をつけたらいいだろうかという時に、何を見ながら考えたらいいか、また迷っている人が何に迷うのかということを、ぼくがちゃんと深く理解して書いて、伝えなければいけません。最近出した『一億人の茶道教養講座』という本には、お茶を習っているけれども、まだお茶の全体感が見えないと思っている人、それからお茶はしないけれども、茶道というものを一通り教養として知っておきたいという人、その二種類の人を想定して書いています。
本を書くとき「この本を必要とする人はどこにいるんだ」ということです。町工場のおっちゃんだったり、学者だったり、読み手の顔を思い浮かべながら書きます。昔書いた、女性向け恋愛本は、ぼくの娘たち二人が、ちょうど結婚直前ぐらいの男にだまされかねない年ごろだったので、悪い男の見分け方と振り方を、ちゃんと伝えておこうと思って書きました(笑)。
僕が死んだ後になってから見る読者もいるとしたら「この著者は、私がこの本を手に取ることをはるか前に知っていたんだな」という感覚を持ってもらいたいですね。まだ見ぬ友人、そういう思いで執筆をしています。
――時を超えて洋の東西もまたいで、様々なことを伝えてくれるのが書物ですよね。
岡本浩一氏: ぼくたち学者も、先人のものを読んで研究します。お茶の世界でもそうです。何百年も前に書かれたものを読んで、アッと思うことがあります。例えば井伊直弼。人の殺し方が残酷だったので、あまり好きではないのですが、茶人としては、『茶湯一会集』など、良い本を残していて、読んでみると井伊直弼に対する考え方がちょっと変わりますよ。ぼくらは亡くなった人の本を読んでも影響を受けるんです。そういうものを残していきたいですね。
その大切な書物が、幾らかおかしなことになっていると感じています。アメリカの本で、ゴードン・ウィリアム・プランゲが書いた『At Dawn We Slept』という、真珠湾攻撃について書かれた本があります。著者はパールハーバーの作戦を必ず解明すると決めて、日本語を学び、マッカーサーに、軍で雇用してほしいと手紙を書き、そこで日本軍の将校たちへインタビューをしました。3000ページにもなるインタビューのノートがあったのですが、プランゲは本になる前に亡くなってしまい、弟子3人がその後を引き継いで、それをまとめ、ちゃんと資料も付けて出版したのです。日本でも2回、翻訳が出ていますが、上下2巻になっていて、合わせて2万円ほどします。そんな高価なものは、なかなか一般に読まれないから、その本は絶版になってしまいます。日本人にとって貴重な資料であり、必読の書なのに商業ベースに乗らないと読めない、それは間違っていると思うのです。
昔、虐げられた人たちは、本を読んで自分たちの知性を強化することによって、平等などを獲得してきました。本が読めなかったり本がなかったりということは、自分たちの市民権が剥奪されているのと同じなのです。知る権利や成長する権利というものが剥奪されているという危機感を感じた方がいい。文字から遠いということが、私たちに及ぼしている危機に対して、あまりに無頓着ではないかと思います。ですから編集者には「売れる本も書くから、売れない本も書かせてほしい」とお願いしています。
妥協のない戦いで 本が生まれる
――編集者とは、どんな関係ですか。
岡本浩一氏: 本の種類によって違うのですが、書いている時は戦いです。ぼくは自分で一つ決めていることがあって、編集者と普段は仲良くするのですが、いざ執筆が始まると原稿を渡すまでは、途中で酒を飲まないようにしています。編集者が著者の言い分を通していたら良い本になりません。昔、ある本を出したとき「編集者があなたにほれすぎた」と編集者の上司に言われたことがあります。お酒を飲んでいると、こっちは本のスタンスを妥協させようと編集者の顔色を見たりしますし、編集者も著者に交渉しようというような気分があるものだから、本が甘くなるのです。ぼくが今まで作った中でも良い本だなと思うものは、原稿以外では岡本浩一という人柄を編集者に対して見せなかった本です。一度、きちんと原稿を出して、そこに編集者が赤を入れたり鉛筆を入れたりする、そこで初めて明瞭に議論し、戦うわけです。
――期限などについては。
岡本浩一氏: ある時から、期限は遅れないようにしました。20年ぐらい前に決心したんです。当時、どんどん執筆依頼が舞い込んで、雪だるま式に書かなければいけない原稿がたまってしまいました。それは、書く日数を数えないで仕事を受けてしまったからで、それを整理するために、一つ書き上げるのにいくら時間がかかるのか、全部計算し直しました。そこから、締め切りを聞いたら、その時に執筆時間を全部手帳に書き込むようにしました。執筆予定のスケジュールは大事な予定で「読者との約束だから、もう変更しない」という風に決めました。自分は1年間にどれ位のものが書けるのかなどがはっきりしましたし、今ではギターの練習など全部入れて大体、どれぐらいで書けるというのも自分でちゃんと分かっています。
著書一覧『 岡本浩一 』