CHANCE FOR CHANGE 教育で変革の機会を
学習塾の経営、学校や教育委員会の支援、本の執筆および講演という三つの事業を展開する株式会社プラスティー教育研究所のCEOを務める清水章弘さん。教育委員会の学習アドバイザーや文部科学省研究指定校の研究アドバイザーも務めながら、全国の学校で精力的に講演をしています。執筆した本は8冊。海外諸国でも出版され、累計30万部を突破しました。「広告を打たず、クチコミで拡げる」というポリシーのもとに、生徒ひとりからスタートした塾は、生徒数200名になりました。「日本の教育に一石を投じたい」と言う清水さんの、教育現場発の想いとは。
新世代が吹かす 新しい風
――塾(プラスティー)の運営のほか、全国各地で講演をされています。
清水章弘氏: 全国の教育委員会や、公立・私立問わず様々な中学・高校のお手伝いをさせていただいています。学習プログラムや教材を導入して頂いたり、年間のべ30校で講演させて頂いたりしています。青森県三戸町では、教育委員会のお力添えのもと、町全体でプラスティーの学習コーチを導入して下さっています。また、保護者の方々向けの講演やセミナーもさせていただいています。私塾が本来あるべき姿を私たちは追いかけています。
――本来あるべき姿、とは。
清水章弘氏: 誤解を恐れず、勇気を出して大胆に申し上げますと、「受験知識伝授型」の塾は、本来のあるべき姿ではない、と私は考えています。創業の動機には「世の中から“今の”塾をなくすために、塾を作ろう」という気持ちがありました。例えば、授業が終わってから夜遅くまで塾に行って、睡眠不足になり、学校でうとうとしてしまう状況。これは必ずしも正しい状況ではありません。とは言え、塾を否定してしまうのもおかしい。
私は大学院時代に大学受験の歴史を研究していましたが、日本教育史の観点から見ると、公教育を支えてきたのも塾や予備校だったのです。シンプルに考えると、塾や予備校が提供してきた価値を学校が提供できるようになれば、私塾はさらに新しいことに挑戦できる。それはプロジェクト学習かもしれないし、この世にない新しい教育手法かもしれません。「思考の省力化」を促す大学受験に加担してビジネスを大規模に展開するのではなく、私塾は学校の一歩先に行くべきなのです。そういう考えから弊社がやりたいことは、クチコミだけで広まるような良い塾を作って、そのノウハウを学校や教育委員会の方に提供して使っていただくということなのです。それをする会社のリーダーが涼しい顔をしていてはみっともない。会社経営や本の執筆をしつつも率先して現場で汗を流しています。「年間1500時間、授業をする」というハードワークを毎年のノルマにして、全国の学校やうちの教室で子ども達と向き合っています。
厳しくも優しい母の教育
――清水さんは、どのような教育方針のもとに育てられたのでしょう。
清水章弘氏: 私は3兄弟の一番下で、両親は「とにかく子どもには苦労をさせよう」と考えていたようです。母は特に厳しく、子どもたちの初めての遠足には必ず、お弁当の箸を1本しか入れず、対応方法を見るような人でした(笑)。長男は甘えん坊タイプで、先生に泣きついて箸を貸してもらい、2番目の兄は、ガキ大将タイプだったので、友だちから調達したそうです(笑)。私はというと、箸を半分に折って使いました。両親は、それぞれがどのように対応したのかを確認し、子どもたちの性格を把握して、教育方針を決めたそうです。
――すごいお母様ですね(笑)。
清水章弘氏: 「可愛い子には旅をさせよ」を言葉通り実践している母親でした。3歳のころには「この本を図書館に返してきて」というミッションが与えられ、三輪車で1時間かけて図書館に通わされることもありました(笑)。帰りは、母親と仲がよかった司書さんが家まで送ってくださいました。千葉県の北習志野という場所で育ちましたが、地域の方々に育ててもらいました。
また、母が「本を好きになれば、将来、勉強に困ることはないだろう」と読み聞かせをしてくれていたので、小さい頃から本は大好きでした。地元の図書館に通い詰めていたので、置いてあった児童書は、ほとんど読んだのではないかと思います。中学生の頃は「かばんの脇にある小さいポケットに、必ず文庫本を入れろ」という先生の教えに従い、往復三時間の通学中、そのポケットに忍ばせた本を常に読んでいました。
芽生えた教育への問題意識
清水章弘氏: 私が通っていた海城中学では、1学期に一度、自分で関心を持ったテーマを設定して、論文にまとめていました。中学2年のある日、「日曜討論」というテレビ番組で「ゆとりの教育の是非」に関する内容を見たことが、その後の私を変えることになりました。ゆとり教育の弊害と、その元に育ったいわゆる“ゆとり世代”の害を論じていました。私たちが新課程の「ゆとり第一世代」だったこともあり、出演者の方々に取材をさせてもらいたいと電話をしてみました。
いきなり電話で、自分の所属を名乗り取材を申し込んだのですが、みなさん快く応じてくれました。レポートは全て教育問題で書き続け、中学時代に100人以上に取材をさせてもらい、レポートは累計10万字以上になりました。“尾木ママ”こと尾木直樹さんや、和田秀樹先生、早稲田大学の総長をされていた西原春夫先生などにも取材をさせて頂き、取材中、「教育で世の中を変えるんだ」とイキイキと語っておられる方々を目の当たりにして、私も同じ仕事に就きたいと思うようになりました。さらに当時読んでいて一番面白いと思ったのが、東大の教育学部の教授が書いた本だったので、東大の教育学部で学ぼうと決めました。
――在学中には伝統ある海城の制度改革にも乗り出します。
清水章弘氏: 生徒会長を務めていた時に、指定かばんの自由化を実行しました。海城の前身は海軍予備学校だったので、戦時中に使われていたような「白かばん」だったのですが、当時、それを使っていない生徒も少なくありませんでした。生徒会でも10年ぐらい前から「白かばんを変える」という議論は出ていましたが、変わらず続いていたのです。「なんで変わらないのだろう」と不思議に思って観察をしたところ、「言われたことも守れない生徒の主張なんて聞けない」という先生方と、「守られていない校則なんて変えてしまえ」という生徒の対立が問題の根を深くしていることがわかりました。次に、この「白かばん問題」の関係者を分析したところ、先生と生徒だけでなく、保護者(PTA)も深く関わっていることに気がつきました。三者をうまくまとめなければいけません。
まず、私たちがしたことは、毎朝誰よりも早く学校に行き、正門の前で「全員で白かばんを使いましょう」と呼びかけたことでした。「権利を主張する前に義務を果たそう」と。その上で「先生方、お願いします!」と “要望書”を提出しました。PTAの方々にも「どういうかばんが理想的か」というアンケートをとりました。
ただ、それだけでは校則は変わらないと思いました。「外圧」として、近くの整形外科の先生に取材をさせてもらい、“小中学生に対する、骨のゆがみ”に関してレポートを書いて、併せて提出しました。伝統校の厳しい一面もありながら、こんな「やんちゃ」な中学生の声に耳を傾けてくれた海城は、本当に良い学校だと今でも感謝しています。
教育の経営者、実践者、研究者として
――東大在学中に株式会社プラスティーを立ち上げられます。
清水章弘氏: 入学してからしばらくは、体育会でホッケー三昧の毎日を送っていたのですが、2年生の夏に、選手生命を絶たれる大怪我をしてしまいました。治療のためのリハビリ中に、何のために大学に入ったのか、自らを問い直すことになりました。それからは1日1冊、本を読むことに決めました。一番心に響いたのは、やはり教育学の本でした。「教育を志してここに来たのだから、そろそろ何かやろう」と考え、会社という“現場”を作ったわけです。その後リハビリも終えて、選手としてホッケーを週5日やりながら、会社経営と研究を続けました。会社を倒産させそうになったり、私のせいで社員が離れてしまったりと、最初の3年間は失敗の連続でした。歯を喰いしばって「無休かつ無給」で無心で働きました。
――めげずに続けられた原動力とは。
清水章弘氏: 世界中から研究者が集まってくるような、日本が世界に誇れる教育現場を作りたいからです。もともと江戸時代までは、日本の教育は世界一だったと言われています。識字率や就学率などがその根拠です。その再来を目指すわけではありませんが、私たちの底力を世界に発信してみたいと思っています。
会えない子どもたちへの手紙
――「本」で想いを伝えるようになったのは。
清水章弘氏: プラスティーの前に運営していた「文武両道ドットコム」というサイトがきっかけでした。部活と勉強を両立するノウハウを教える、「東大の体育会の大学生を、家庭教師で派遣します」という家庭教師派遣サービスを行っていました。ある日、“文武両道”という言葉で検索した方から、野球好きのおじさんが集まる飲み会に誘われました。私は家庭教師の仕事で参加できなかったのですが、野球だけに「代打」で送った友だちに、私への執筆依頼のお話を頂きました。それで書いたのが、最初の『習慣を変えると頭が良くなる』です。類書を100冊以上読み、タイトルから小見出しまで、全て自分で決めさせてもらいました。それがたまたまヒットし、様々な出版社の方にご依頼頂き、今は年に2冊のペースで執筆しています。書くときは、全国を回っていても会いきれない子どもたちを意識して、子ども達に届ける手紙のように書いています。
――まだ、活動は始まったばかり。
清水章弘氏: 今は経験の下積み時代であると捉え、効率は二の次で、ひたすら経験を積んでいます。もっともっと泥の上をはっていきたいなと思っています。テレビ出演はこの数年間お断わりしています。有名になってチヤホヤしてもらうと自分が怠けてしまいそうな気がして怖いのです。トイレ掃除の活動で有名な、イエローハット創業者の鍵山秀三郎さんがおっしゃっている“凡事徹底”を心がけています。小さなことを大切に、ということですが、当たり前のことを真面目に。いま目の前にあるお仕事ときちんと向き合って、いつか来るかもしれない大勝負に向けて一日一日を丁寧に積み重ねていきたいと思っています。
(聞き手:沖中幸太郎)
著書一覧『 清水章弘 』