カノウユミコ

Profile

鳥取県の専業農家に生まれる。生来の料理好き。高校生の頃から自然食に興味を持ち、ベジタリアン料理、精進料理を研究する。家庭で簡単に楽しめる野菜料理教室も主宰。全国から多くのファンが集まる人気の教室で、野菜料理研究家としてカリスマ的存在。野菜にトコトン向き合ってつくり出される料理とお菓子は、さまざまなカテゴリーを超えて独自の魅力にあふれている。 著書に『おかずサラダ: 野菜たっぷり、おかずにもおいしいサラダ100』(誠文堂新光社)、『やさいのかみさま』(小学館)、『菜菜ごはん』(柴田書店)など。

Book Information

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本質を追究した先にある発見を 喜びに変える



「常に本気の真剣勝負」――物事の本質を追究し、得た知識は解放する。その手を緩めることなく、常に前のめりのスタンスで活躍する野菜料理研究家のカノウユミコさん。その原点は、自然豊かな郷土で育まれました。カノウさんの挑戦の歩みを辿りながら、その想いを伺ってきました。

食べられる芸術 消えていく芸術


――主宰する「アトリエ・カノウ」の野菜料理教室はエプロン不要とうかがいました。


カノウユミコ氏: 3年くらい前までは、精進懐石のお店を祐天寺でやっていまして、そのときはお店の厨房でやっていました。今はここ杉並区でやっています。私のデモンストレーションを、生徒さんが取り囲んで、直に見ながら、お料理のはじめから終わりまでをじっくりと見て頂きます。出来上がったお料理は、そのままお昼ご飯として食べてもらいます。調理実習をしないのは、「私をちゃんと見てください」という思いからで、匂いも嗅いで、途中経過で味見をしたり、使用している調味料を味見したり、と実際に体験してもらうことに重点を置いているからです。

実習の場合ですと作ることに、追いつくことに必死になってしまいがちですが、工程をじっくり最初から最後まで見て頂くことが大切で、ここでは工程をじっくり観察してもらって、家庭に持ち帰ってもらうようにしています。

――「家庭でも簡単にできる」というのが、みそです。


カノウユミコ氏: 料理教室というと、レシピを再現することが最大の目標、先生と同じようにする、教えられた通りに再現することに注力されがちですが、ここでは百様百通りのやり方を容認しています。料理の背骨の部分、エッセンスを伝えています。この引き出しを増やす事によって、各々の料理の世界を広げるということが、私たちの料理教室の目標です。

私は、音楽や絵と同様に料理も芸術だと思っています。それが健康や心の豊かさにつながっていく「食べられる芸術」と呼んでいる所以です。「料理」を日々の作業としてではなく、芸術、アートとして捉えることが出来れば、毎日をもっとクリエイティブに生きることができます。絵画で言うと、絵の具の画材を教えて、描き方を教えているような感じです。目の前にある一期一会の食材に感謝して、食材に語りかけ、想像力を最大限発揮する。それが他人の喜びや健康につながる……料理とはとても素晴らしい創作作業なのです。

――消えていくものに命をかける……。


カノウユミコ氏: 食材は消えてなくなります。この芸術は残りません。一瞬一瞬の喜び、そして消えて誰かのエネルギーになる。力を注いで、また白紙に戻る。香りも美味しさも消えてしまうんです。その儚さに魅力を感じています。ゼロになってまた新たな喜びを見いだしていく。ワンパターンに陥ると、つらいきついという家事になってしまいます。生み出すことの喜びを味わえば、きっと変わります。

里山が育んだ世界観


――カノウさんの表情からも、イキイキとした喜びがうかがえます。


カノウユミコ氏: 何かに興味を持てば、それをとことん探求していくことに喜びを感じていて、私の場合、料理はそのなかのひとつでした。私の出身は、鳥取県の小さな田舎町で実家は専業農家でした。うちは長寿家系で、祖父母や曾祖父母も一緒に、四世代が一緒に住んでいました。私たちは二人姉妹でしたが、明治生まれの人間に育てられました。

家では、季節の伝統行事を大切にしていて、正月には家族総出となって薪で餅米を蒸かしていました。曾祖父は農業の他にきこりもしていて、ウチにある臼や杵(きね)はすべて手作りでした。毎年夫婦単位で、お餅をつくのですが、世代が上になるほど、餅が踊ったように、やわらかな美味しいお餅になっていくんです。夫婦の息が合うってこういうことなのかと、お餅から学びました(笑)。

しめ縄も、自分たちで作っていました。お供え餅も自分たちで作っていました。鳥取砂丘、北条砂丘、とあって、ウチも砂丘になっていました。家の前の道も砂だったんですよ。それが砂利になり、コンクリートになり、アスファルトになるに従って、生活もどんどん変化していきました。畑も緩やかだったあぜ道は区画整理されていって……。

――畑も牧歌的なものから、どんどん生産工場的になって……。


カノウユミコ氏: 豊かな里山風景が失われていくことに、子ども心に不安を覚え、悲しさと恐怖を感じました。最初は当たり前の生活で、むしろテレビで流れる都会のように「消費する生活」に憧れていました。おやつもふかしいもや、大学芋だったのがスーパーで売っているモノに変化して、けれどもそれが「豊か」になるという風潮もあって……、大量生産、大量消費社会に突入していく違和感を感じていました。



――自然のサイクルの中に人間がいたのですね。


カノウユミコ氏: お風呂も五右衛門風呂で、私が火の担当で、案配を考えていました。その頃の将来の夢は、学者。興味を持つと、なんでも分析したりして、どんどん本質を突き詰めたくなる性格はその頃からですね(笑)。自分がしたい研究を邪魔されてしまう学校は、正直おっくうでした(笑)。

近所にある小さな書店などでは、一番難しい参考書を買ってきては、読み込んでいました。料理本に関しても、専門書を読み込んでいました。そういったハードカバーの本は、子どものおこずかいでは買えなかったので、毎日書店に通っては丸暗記していました。スイスの製菓学校のテキストの翻訳版も、手に入れた時にはすべて覚えていました(笑)。ネットもPCもない時代でしたが、人間や地球環境、社会、経済や哲学と興味の幅がどんどん広がっていきました。「料理」は、その興味のひとつでした。

自分で目指すものは自分で突き詰めていくしかない



カノウユミコ氏: 大学では、心理捜査官になりたくて、東京で心理学を学んでいました。犯罪心理学に興味を持っていたので、精神分析を専攻していました。ところが、大学の勉強ではあき足らず、独学を始めます。やはり、自分で目指すものは自分で突き詰めていくしかない、ということを大学では学んだように思います。誰かが突き詰めたものを学ぶのではなく、教わろうというのがそもそも間違いだということに気がつきました。そうやって、すべての事象を反面教師にしていました。

また大学時代は、20冊ぐらい借りてきては、いっきに読んでいました。何かを知りたければ、読書に走り、体系化していました。とにかく頭に溜め込んでいました。
それがすごい蓄積になっていました。

人を通して、だんだん自分が分かってきて、飽和状態になって、ようやく書くようになったのは、30代になってからでした。30冊以上出していますが、多い時で年間11冊を出したこともありますが、そのとき雑誌の連載や料理教室、お店などで年間1000以上のレシピを生み出していましたが、自分の中で一杯貯まっていると、いくらでも蛇口をひねって水がでてくるように、いくらでも出てきます。

――発想に至るまでの素振り、鍛錬を、読書の時点でなされていたのですね。


カノウユミコ氏: 考える状態でアウトプットするのは難しい。考えた後にひらめくという感じです。思いついたことをすぐに書き留めておきたいので、あちこちにメモ帳を置いています。電車のなかだとか、ひどい時はレシートに口紅で書いて…お風呂やトイレ、ベッドルームにも。忘れてしまうので……(笑)。



自分ごとの人生を生きよう



カノウユミコ氏: 二十代の頃は、東洋医学の側面から人間の治療について研究していました。この時もありとあらゆる書物を読みあさりました。大学院の時に結婚したのですが、そこでいったん子育てに専念することになりました。そうだ!子育てについて研究していなかった!と(笑)。

――なんでも自分ごとにしちゃえば、捉え方も変わってきますね。


カノウユミコ氏: なんにでも追求することで楽しめてします。人生が私に命題を与えて、それに応えていくという感じです。生物には本能的に産む力があるんだという考えにたどり着いたので、与えられた知識を排除して、本来どうなのかを考えると、どの動物も病院で生んでいないと気づきました(笑)。変な知識は直感的な、本質的なものを知ることを妨げる。勉強も大切だけれども、外すことも大切なんです。そんなわけで助産婦さんの所に行って、促進剤なしで三日間かけて産みました。体の神秘を感じましたね。

だからなのか産まれてからは、子どものしたいことがわかっちゃうようになったので、泣かせることはなかったですね。症状を止めるのは、人間の治す能力を阻害することなので、むやみに病院も行かず、自然療法で治していましたね。

料理を仕事に 取り組みは全力投球で



カノウユミコ氏: その後離婚して母子家庭になり、経済的に路頭に迷ってしまいました。それまで、アルバイト以外に就職したこともなく、社会とまともに接したことがありませんでした。社長の考えが反映された場所で、社員は皆、その考えに向かって進む。私には無理だったので……(笑)、子どもの頃から、働くなら社長になろうと思っていました。大学の頃に一緒に住んでいた妹と、なぜだか理由は分かりませんが、「30歳になったら起業しよう!」という目標を掲げていましたので、会社を作る準備を始めました。

そのときも、ありとあらゆる本を読み込み勉強しました。どの本にも、好きなことをやるようにと書かれていました。そこで自分の好きなこと、小さい頃からやっていた「料理」を仕事にすることにしました。妹も食関係の勉強を大学でしていたので、一緒に始めることにしました。

最初に始めたのが、天然酵母の創作総菜パン屋さんでした。今でこそ、当たり前になっていますが、当時はまだ珍しかったですね。起業する前から天然酵母には着目していて、家庭でも取り入れていました。当初考えていた総菜屋さんのアイディアも盛り込む形で、おやき(天然酵母の創作総菜パン)屋さんを、荻窪で始めました。

――はじめてお店を出すことに不安はありませんでしたか。


カノウユミコ氏: 最初はみんな素人です。分からないことは聞けばいい。どんな百科事典のような人物でも、最初はみんな素人です。私たちも、パン作りは探求を重ねていたので作る不安はありませんでしたが、それを目の前のお客様に届けるということに関して、初めてのことだったので、まわりの意見を聞きながら、手を震わせながら(笑)、作っていました。

経験はムダにならない



カノウユミコ氏: そのお店は、おかげさまで繁盛し、そのうち口コミが広がって、雑誌の取材を受けるようになりました。行列も出来、地方発送もさせて頂くようになり、仕事はどんどん忙しくなりました。お店をやっていて感じたのは、「全ての体験はムダではなかった」ということでした。そのときは、何になるか分からない未知の体験が、後々繋がっていくんです。何に繋がるかは、分からないけれども、何かに繋がるという確信はありました。

ですから、その体験の間口を広げるため、夏休みの二ヶ月間は休むと決めていました。休みの間は、将来ホテル経営がしたかったので、実地研修もかねて海外のホテルを泊まり歩いていました。

――この体験も……。


カノウユミコ氏: 実際にネパールでのエコリゾートホテルを立ち上げるプロジェクトに繋がっていきました。世界各地のホテルを泊まり歩いた経験が、調度品からお庭の設計にまで、ありとあらゆるものに役立ちました。そうしてパーマカルチャー(持続可能な自然循環システム)をコンセプトにしたホテル、「はなのいえ」がネパールに完成しました。そこには二年間いましたが、今でも、料理監修で訪れています。ひとつひとつ形になっていくことが嬉しくて、宿泊客も喜んでくれる。今はネットで世界中のお客様が訪れて下さっています。

自分の代わりに出会ってくれる「本」



カノウユミコ氏: 海外で暮らしながら、日本料理の素晴らしさを再認識しました。日本に帰国してから、和食の真髄を提供できる精進料理、懐石料理をやろうと、祐天寺でお店を始めることにしました。毎週末、山に山菜を採りに行ったり、とにかく満足してもらえるように、全力投球していました。「これ以上いい店はないぞ!」と思う店作りができたところで、また雑誌の取材を受けるようになりました。そのうち、取材だけでなく、お店のメニューを家庭で再現できるようなレシピページを執筆するようになりました。それとともに、料理教室も厨房でやっていたのですが、そこから、編集者からお声がかかって本作りがスタートしました。子どもの頃から慣れ親しんだ、あの柴田書店から料理本を出すということは、感慨深いものでした。

本作りはもちろん、ひとりでは出来ません。特に料理本の場合、編集者や写真家、スタッフの方たち、みんなで作り上げていきます。「この布陣でいきたいと思います」と言われたスタッフの中に、私が一緒にお仕事をしたいと思っていた方たちが入っており、「夢か!?もう死んでしまうのか!?(笑)」と思うほど、とても嬉しかったのを覚えています。

――どんな想いで本を作っていらっしゃいますか。


カノウユミコ氏: 料理も本も活動も、いつも100%でやっています。「本」も、読者に対するひとつのおもてなしだと思って書いています。だから手抜きは出来ない。常に本気の真剣勝負なんです。私にとって、編集者は世の中との仲立ちをしてくださって私の想いを形にしてくれる大切な存在です。表現方法を一緒に考えてくれます。

モスクワやニューヨーク、ソウルなど、世界中で私の本を手に取ってくださる方がいます。私の分身とも言える「本」が、私の代わりに何倍もの旅をしています。分身が色んな人に出会っています。物理的な制約から解放されて、色んな人に出会うことができる本。読んだことで、皆さんの生活の中で何か豊かなものに繋がっていってほしいなと思っています。



蓄積が創造を育む 



カノウユミコ氏: 私の使命は、本質を追求することによって生まれてきた本や、料理、レシピを世の中に届けること。誰かの幸せや、社会の良いものになっていく、そういう創造をしていきたいと思っています。私は夢を決めるのが嫌なんです。色んな巡り合わせでやってきた、私には想像できない何かが待ち構えているので、そのものを受け入れたいと思っています。現時点での自分自身が決めてしまうと、どうしても狭い範囲になってします。新たな世界に飛び込んで、そこで感じたものを、例えば本などで社会に還元していきたいですね。

――今どんな世界に、飛び込まれているのでしょうか。


カノウユミコ氏: 今は、絶え間なくレシピを生み出すことを楽しんでいます。今は、発酵文化に興味があって、麹をつかったレシピの作成に取り組んでいます。もっともっと知識を増やして、自分の育てたぶどうやお米で、ワインやお酒を作っていきたいと目論んでいます(笑)。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 カノウユミコ

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