菅原美千子

Profile

1969年、青森県生まれ。東北大学文学部卒業。大学卒業後、仙台放送に入社。アナウンサー兼報道部記者として、報道番組のメインキャスター、ドキュメンタリー番組制作に関わる。FNN(フジテレビ系列)アナウンス大賞でグランプリを受賞。その後フリーとなり、TBSと契約し、報道番組のメインキャスターとして数々の歴史的な場面をニュース世界に発信する。2004年にコーチングファームに入社。ビジネスコーチ、企業研修トレーナーとして活躍。2008年に独立し、同時にアナウンサー、キャスターとしての活動も再開。 著書に「共感で人を動かす話し方」(日本実業出版社)、『すぐ身につくネガポ会話術』(幻冬舎ルネッサンス)など。

Book Information

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空想アドリブ大好き少女


――アナウンサー、報道記者のキャリアが活かされています。


菅原美千子氏: 人を動かすのは物語、ストーリーです。人は、そこに感情を揺さぶられ動きます。アナウンサー時代、記者時代に気づき培ったノウハウを皆様にお伝えしています。私が最初に“物語”に動かされたのは、小さい頃に読んでいた絵本でした。特に好んで朗読していたのは、カロリーヌという主人公が、犬や猫、くまやひょうなどの仲間とともに世界中を旅するという、『カロリーヌのせかいのたび』や『カロリーヌとゆかいな8ひき』シリーズでした。

朗読を通して伝える喜びを感じた私は、保育園で下の子たちに、その場で作ったフィクションのお話を披露していました。空想から広がるアドリブの楽しさを覚えたのもその頃からだったと思います。これは楽しさというより、必要に迫られてですが、小学校低学年の時に、作文の宿題をし忘れ、真っ白な紙を見ながら、さも出来上がった文章を読んでいるかのように発表したこともあります(笑)。

高学年に進むと、校内放送で月に一度、各クラスの代表が発表をする時間があったのですが、ある日突然担任の先生に放送室へ連れて行かれ、「菅原、何か喋れ」と言われたことがありまして……。どうやら先生が、予定を伝えることをうっかり忘れていたようですが、なんとかアドリブでやり遂げました。

学業はそれなりに頑張ったつもりでしたが、理系は全くだめ、現代文も苦手で、著者の意図を聞かれても「そんなの著者に聞かなきゃ分からないだろう」と思うような学生でした(笑)。私が東北大学へ進んだのも、特に明確な目標があったわけではなく、ただただ親の期待に応えようと思っただけのことでした。基本的に私の人生は行き当たりばったり。ひらめきや、直観で動いてきました。ただ、「ここに行くぞ」と決めれば、とことんやります。

文学部の英語学科は、他学部に比べて就職には強い方ではなく、企業から話が来る男子学生とは違って、女子学生には募集すらありませんでした。そんな時に、筑紫哲也さんが「報道の世界では、(性別に関係なく)名刺一枚で地位や立場が全く違う人と出会うことができる。歴史が大転換するような瞬間に立ち会うこともできる。報道の仕事はすごい仕事だ。」という趣旨のお話を、番組でされていたのを聞いて「これだ!マスコミに行こう!」と将来像をなんとなく描きました。また、『きょうの出来事』の櫻井よしこさんの知的で上品な佇まい、物事をズバッと言う姿勢がかっこよくて、漠然とそういった仕事に純粋な憧れを抱くようになりました。

通常ですと、アナウンサーを目指す学生は、アナウンス学院に通ったり、マスコミ研究会に入るなど準備をするのですが、私は何もせず仙台でのんびりと学生生活を過ごしていました。ある日、学生課でフジテレビの社員募集の紙を見つけ「あ!これは逃しちゃいけない」と思い、「アナウンサー志望で履歴書を送りたいのですが、どうしたらいいですか?」と、フジテレビに電話をして、履歴書を送りました。

――直球勝負ですね(笑)。


菅原美千子氏: ここでも「一度決めたら、そこに突き進む」性格が出てしまいました(笑)。アナウンサーの募集に対して、応募者数は3000人ほどでしたが、そこからまず300人ほどが選ばれ、個人面接が行われました。選考には30人まで残りましたが、残念ながら最終までたどり着けませんでした。それでもフジテレビ系列には縁があったようで、仙台放送に合格することができました。

泣いてばかりの新入社員時代



菅原美千子氏: 仙台放送時代は、若くて怖いもの知らず、本当に無鉄砲というか……、マナーも知らなければ、取材についてのイロハのイも知らない。勢いだけはある、とても失礼な奴だったと思います。ただ、一生懸命やっているということだけは感じて頂けました。「報道をやりたい」ということをアピールするために、報道の先輩記者の方に「取材に連れて行ってください!」と言って、付いて行ったりしていました。

忘れられないのは、入社して間もない頃のお花見中継ですね。そこに来ていた花見客に質問しなければいけないのに、用意していた質問の答えを自分で言ってしまって……(笑)。人の話を聞くということや番組の目的を何も分からず、出たとこ勝負でやっていたので、失敗ばかり。「インタビューの意味が分かっているのか」と怒られ、オイオイと泣くこともありました。「失敗しないと人は成長しない。」と言ってくれる方もいらっしゃいましたが、そういう意味では、良い機会をたくさんいただけたことにとても感謝しています。



――「一発OKの菅原さん」と呼ばれるまでには、様々な失敗があったんですね。


菅原美千子氏: 失敗だらけですよ(笑)。そんな時に支えてくれたのは、まわりの助けと、やっぱり何かを伝えるという仕事が「好き」という気持ちでした。嫌いな仕事なら頑張れません。それから結婚のため、拠点が東京に移りましたが、好きな仕事を続けていきたいと思い、仙台放送を退職した後はフリーに転身しました。

著書一覧『 菅原美千子

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