若田部昌澄

Profile

1965年、神奈川県生まれ。早稲田大学政治経済学部経済学科卒業。同大学院経済学研究科、トロント大学経済学大学院博士課程単位取得修了。ケンブリッジ大学、ジョージ・メイソン大学、コロンビア大学客員研究員を歴任。専攻は経済学、経済学史。 著書に『ネオアベノミクスの論点』(PHP新書)、『日本経済再生 まずデフレをとめよ』(日本経済新聞出版社)、『危機の経済政策―なぜ起きたのか、何を学ぶのか』(日本評論社)など。

Book Information

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父との会話 経済学者への道


――経済学史の研究者になられたのは。


若田部昌澄氏: 私の父も昔、早稲田大学院の修士課程で経済学史を学んでいたため、実家の書棚にはアダム・スミスやデヴィッド・リカード、ジョン・メイナード・ケインズなど過去の経済学者の本がたくさん置かれていました。父は研究者ではなく普通の会社員になっていましたが、家族の会話の中でそうしたことが話題に上っていました。また私はよく新聞を読んでいましたが、そこから社会の問題を考えるきっかけが芽生えていきました。

中学、高校と具体的な将来像は、あまり描いていませんでしたが、歴史や政治の分野に興味を持っていて、世界史に触れる中で、やはり歴史の根本には経済があると思い、まずは経済学を学ぼうと決めました。その後、ずっとそこにいるわけですが(笑)。

――どのような学生生活だったのでしょう。


若田部昌澄氏: 大学では、それまでエンジンがかかっていなかったぶん(笑)、猛烈に「勉強したい」という意識を持っていました。入学してすぐに「政治経済攻究会」というお堅いサークルに入りましたが、「政治経済学部の教授の3分の1がOB」だということで、しっかり学べそうだと思ったのです。

私が学生になった80年代は、今では信じられないぐらい、日本経済が上向きの時代でした。
将来に対する経済的な不安はほとんど感じられず、楽しい空気に満ちていた中で、勉強する学生は変人でした。大学が知的刺激を提供してくれなかったので、「政治経済攻究会」は知的な刺激に飢えた、ちょっと変わった学生の集まりでした。

政治経済攻究会の活動では、経済学の初級テキストからケインズの一般理論まで、いろいろな本を、場合によっては背伸びしながら読み、わからないところを議論し、他大学とのインターゼミナールも活発におこなっていました。当時の政治経済学部の講義はごく一部を除いて経済学を学ぶには役に立たず、そのごく一部の役に立つ講義も濃密ではあるけれどもスピードが遅すぎました。ある経済学入門の講義は、大変緻密でしたが一年間でミクロの独占までしか進みませんでした。今の早稲田大学政治経済学部ならば一年間あればミクロとマクロを一通り終えます。私が経済学を勉強できたのはこのサークルのおかげです。また、提供される講義内容を受け身で習うのではなく、自分の意思で学ぶことの大切さと可能性を感じました。その頃、切磋琢磨した友人とは、今でも付き合いがあります。

3年次の演習、ゼミ選択でその後に続く、経済学史を選択します。日本の場合、経済学が輸入された学問ということもあって、経済学史は、経済学全体を俯瞰する役割を担っていた時代がありました。まだ私の学生時代には多少その名残がありました。経済学にも、労働経済学や公共経済学、財政学に金融論と様々な分野がありますが、どれかひとつに絞れなかった私は、全体を見ることができると考えて経済学史を選んだのです。

当時の学部は、学生に対して教授の数が少なく、提供される科目も限られていて、ゼミに所属できる学生は希望者の半分くらいでしたでしょうか。私の入ったゼミはいわゆる人気ゼミではなく、参加者はわずか4人でしたが、指導教授の上原一男先生からは多くのことを学びました。

経済学史の研究者としての心構えもそのひとつです。経済学史の研究者も経済学者なのだから経済の理論をしっかりと勉強しなくてはいけないこと、日本の社会科学者なのだから日本の現実経済に対して一家言を持つべきこと。けれども結局は経済学史家なのだから、古典をコツコツと読むべし、と。

私自身は経済学の歴史は過去から現在までつながっていると考えていますが、経済学史家が、現代の政策について発言することには、ある種の飛躍があると思っています。けれどもなぜ、領域をまたいで飛躍し、発言をするのか。それにはこうした先生の教えが影響していているからだと思います。

経済学史の役割 


――『ネオアベノミクスの論点』では、低成長と格差の時代は終わらせることができるという、力強いメッセージを発信されています。


若田部昌澄氏: 低成長と格差には密接なかかわり合いがあります。たとえばトマ・ピケティの『21世紀の資本』では経済成長をすると格差は縮小するということが書いてあります。この考えが正しいかどうかはともかく、両者の関係は密接です。私は現状のリフレ政策の先にあるもの、次に挑戦すべき課題であると考えています。私自身にさほどユニークな視点があるとは思っていませんが、数ある視点を理解した上で議論を組み立てるよう意識しました。また、かつての「成長と格差」をめぐる論争についても振り返ってみました。今でも成長を優先するか、格差是正を優先するかで論争がありますが、高度成長期の日本にもそういう論争はありました。もちろん完全な俯瞰はありえませんが、例えば本書では「低成長と格差」という事柄についての別の意見や批判は取り入れています。

――問題を切り分けて読み解く。


若田部昌澄氏: 分析とは分けることです。そうすることで「アベノミクス」も、金融緩和、財政出動、成長戦略など、項目を分けることで冷静な判断を下すことが出来ます。たとえば、金融緩和は良いけど、財政出動はそこそこ、成長戦略はだめ、とか。最近では消費税増税もあるので、アベノミクスはまずまず良かったけど、消費税増税はダメだったという評価もできます。

それぞれの項目について、経済学史は、現在一線級の経済学者が研究するものではないという位置づけになりつつありますが、古典には経済学者が長年格闘している論争、たとえばデフレについての答えを提示できる力があると思います。

学者は、自分の研究については新規の学説を唱えるべきですが、一般社会に向けた情報発信は、自説ではなくできるだけ通説を唱えるべきだと思います。例えばケインズが『一般理論』で、最初に「これは専門家向けである」仲間の経済学者に向けている本だと書いています。一般の読者は、そこに参加するのは自由だが、あくまでこれは、基本的には経済学者の間に起きている論争を、終結させるために書いているんだと言っているわけです。これは、専門家向けと一般向けを意識した発言ですね。

社会に向けて情報発信する場合、私は、これまでの歴史の風雪に耐えた経済学の精髄の部分を伝えないといけない、時流を追いかけるのではなく、しっかりとしたタイムスケールで見るものを、ちゃんと伝えなければいけないと考えます。もちろん、風雪に耐えたからと言って、それがいつも正しいとも限らないので、そこは現代を見る目も必要です。

著書一覧『 若田部昌澄

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