若田部昌澄

Profile

1965年、神奈川県生まれ。早稲田大学政治経済学部経済学科卒業。同大学院経済学研究科、トロント大学経済学大学院博士課程単位取得修了。ケンブリッジ大学、ジョージ・メイソン大学、コロンビア大学客員研究員を歴任。専攻は経済学、経済学史。 著書に『ネオアベノミクスの論点』(PHP新書)、『日本経済再生 まずデフレをとめよ』(日本経済新聞出版社)、『危機の経済政策―なぜ起きたのか、何を学ぶのか』(日本評論社)など。

Book Information

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点と点を繋ぐ 本の可能性


――そうした経済学史の研究の成果を、本にまとめられています。


若田部昌澄氏: 最初の単著は自分の研究というよりも、むしろ一般に向けた本ですね。まとめることになった大きなきっかけは、猪瀬直樹さんが主宰されている『日本国の研究』というメールマガジンでした。当初、猪瀬さんに相談を受けたのが、田中秀臣さんで、彼は私とは大学院での同門でした。

田中さんのつてで猪瀬さんにお声をかけて頂き、『エコノミクスの考古学』という形で発信するようになったのですが、このときに今の原型である、経済学史から現代に向けた発言というコンセプトができました。

――『経済学者たちの闘い』となり、さらに数々の受賞作へと続きます。


若田部昌澄氏: この本では、内輪の学者ではなく、一般社会に向けて書くということで、まず興味を持ってもらうように、導入部、つかみを非常に意識しました。自分の考えを、そうした形でまとめ凝縮する過程は非常に新鮮でした。この本は、10 年後の2013年に増補版として刊行されました。

執筆の過程において、編集者は常に重要な役割を担ってくれました。プロデューサーであり、マネージャーであり、最初の読者でもあります。感想、評価をしっかりして言ってくれる編集者はありがたいですね。そのリアクションに対して、しっかりと対応したいと思っています。今では出来上がった原稿は事前に妻が読んでくれるのですが「ここ、よくわからないよ!」と相当な数の指摘を受け、書き直しています(笑)。

上原一男先生のゼミでは外国の経済学史の研究書を翻訳させられることが多かったのですが、翻訳した文章には徹底的に赤を入れられました。経済の勉強をしているんだか、日本語の勉強をしているんだか……(笑)、よく分からない時期もありましたが、あれは「人に伝える文章を書く」訓練をしていたんだと、今になって思いますね。

スティーブ・ジョブズが2005年のスタンフォード大学卒業式で行った有名な演説で言っていたように、人生は「点」と「点」をつないでいくこと――コネクティング・ドッツです。ただ「点」はどういう形で、どこに繋がるか分かりません。

経済学という学問は、制約条件の元で自分にとって一番望ましい選択肢を選ぶ、選択の科学とも言われます。けれども正直、制約条件も、自分にとって望ましいこともよく分からないところがあります。だからといって経済学に意味がないわけではない。むしろ、経済学は、選択は難しい、制約条件や目標は何かを一生懸命考えなくてはいけないということを教えてくれると思うのです。

本も同様に、「点」のようなものです。手に取ること自体、偶然なのか必然なのか、その時点では分かりませんが、必ずどこかの「点」につながっていくのです。ですから、読んできた本もこれから読む本も、興味の如何を問わず、人生の一部だと思っています。

――こちらの書棚にも「人生の一部」となった、色々な本が見受けられます。


若田部昌澄氏: 学生の時に真剣に読んだ本といえば中公文庫の『国富論』ですね。挿絵も入っていたりして工夫がされています。もっとも、通読は痛読に近かった思い出があります(笑)。岩波文庫では、『ケネーの経済表』や、ウイリアム・モリスの『ユートピアだより』ですね。ユートピア文学は、ある種の社会批評でもあり、社会科学というか反社会科学なので気になります。ラス・カサスの『インディアスの破壊についての簡潔な報告』も、社会科学の古典ですし、非常に重要な告発文です。このラス・カサスが出たサラマンカ大学のサラマンカ学派は初期の経済学学派のひとつで、物価革命、貨幣数量説の話につながってきます。こうした古典は、歯ごたえのある分だけ、うまく消化すれば、おおいに血肉となります。もちろん古典だけでなく、新たな本を積極的に読むことで、新たな「点」も目指したいと思っています。

チャレンジで自らの人生を切り拓く 



若田部昌澄氏: 私は、今年50歳になりますが、そうなると人生の残り時間を意識せざるをえません。どう生きていくか。ためになる人生訓は世の中にたくさんありますが、人は他人の人生を生きられません。自分の人生を生きるために何が出来るか。そういうことを考えています。

『The Oxford Book of Ages』という、過去の文学者や哲学者が、各年代について述べている面白い本があります。“50歳”については、「誰もが自分に相応の顔をもつ」という表現が載っています(ジョージ・オーウェル)。「50歳の誕生日は無視すべきだ、ここまでやってきたことの貧しさと、これからやれることの少なさに、愕然とする」という言葉もあります(フィリップ・ラーキン)。

けれども、嘆いてばかりいても仕方ありません。人間年をとって肉体は衰えても知的、精神的には、いつもチャレンジができます。退嬰的保守的になってしまえば、成長はありません。経済だけでなく、私は成長が好きなのです(笑)。とはいえ、さすがに田中秀臣さんの『 AKB48の経済学』のような発信ができるほど、私の関心は広くありませんが、方向を定めつつもアンテナは広げたいと思っています。そして、これからも成長を止めずに、研究、執筆に限らず新たなチャレンジをし続けたいと思います。

(聞き手:沖中幸太郎)

著書一覧『 若田部昌澄

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