“自分ごと”でバラエティのある人生を
「なんでもやってみたい!」全方向への興味を原動力に、世の中の“面白いこと”を探求し続ける、バラエティプロデューサーの角田陽一郎さん。「“自分ごと”でバラエティのある人生を」という角田さんが思い描く未来、本に込められた「少量共鳴社会」へのメッセージとは。
違和感から生み出されるもの
――バラエティプロデューサーとして活躍されています。
角田陽一郎氏: あらゆるものに興味があるので、バラエティ(なんでも)プロデューサーをやっています。いとうせいこうさんとユースケ・サンタマリアさんをMCに迎えたトーク番組「オトナの!」という番組を作ったり、音楽フェスをやったり、映画監督をやったり、水道橋博士が編集長を務める『メルマ旬報』で連載を持ったりと、テレビのフレームを超えて、色んなジャンルの様々な企画をカタチにしています。
――キラキラの携帯がふたつ机にあります。
角田陽一郎氏: こんな風に携帯を持って、仕事の紹介をすると「忙しそうですね」と言われてしまうのですが、ガラケーで通話しながら、スマホでスケジュールアプリの画面を覗ける方が断然使いやすいからで、忙しさを装っているだとか、何か秘密の連絡があるだとか、そういった理由ではありません(笑)。
携帯はひとつが普通。電話する時、画面は見えない。いつの間にか当たり前になっているけど、実はこうした方が良いのでは……そういうことって多いですよね。一事が万事、昔からこうした既存に対する違和感を無視できないんです。
"歴史"的発見
角田陽一郎氏: 一番最初の違和感は、5歳ぐらいの頃かな。子どもはコウノトリが運んでくるという話。母親に似るのはお腹から出てくるから、まあ理解できるとして、なぜ接点のないお父さんと似てるんだ「こりゃ、なにかおかしいぞ。似るからには何がしかの接点があるはずだ!」と、コウノトリの話に矛盾と違和感を覚えました。小学校高学年になって、生命の誕生の秘密をわかった時は「やっぱりそうだったか」と腹落ちした記憶があります。きっと大人たちは子供のことを気遣って、メルヘンな嘘をついていたんだな、大人もカワイイなと思っている子どもでした。このように子供の時分から、身の廻りの出来事に、人一倍興味があって、よく大人を困らせていたと思います。
少し成長して高校生になっても、聞くこと見ることなんにでも、数学もザ・ローリングストーンズもエッチな雑誌も、高尚なものもくだらないものも相変わらず全部に興味がありました。
そんなぼくにも、理系か文系かの選択を迫られる時が来ます。そのとき気づいたのが、数学やアートもすべて人類が学んできた成果物=歴史だということ。あらゆる歴史を学べば、どんなところへも進めると思い、すべてを内包できる最大円を求めた結果、世界史を選ぶに至りました。
――「好き」を原動力に進まれています。
角田陽一郎氏: 「好きかそうじゃないか」で動いています。果実を求めるなら、そのものを好きになることが一番ですが、その反対に「嫌い」になってしまうと果実への道も閉ざされるのが、もったいないという思いがあります。そして、当たり前のように決められたルールに対して、思考停止状態ではいられない。違和感を無視した行動ができないんです。これは今に至るまでずっと変わりません。
著書一覧『 角田陽一郎 』