自由を求めて 好奇心で進化する
自由であり続けたい――株、投資に関する情報を発信される株式アナリストの秋津学さん。そのキャリアは“フリーランス”から始まりました。「自由とは何か」の解答を求めて英国に渡り研究を修め、帰国後はその分析力を激動する株・相場に応用……と常に挑戦の連続である秋津さんの原動力とは。秋津さんが「経験の先取りができる最良の手段」と定義する本への熱い想いとともに、その歩みを辿りながら挑戦の軌跡を伺ってきました。
株道場『積乱雲』
――株道場「積乱雲」での取り組みについて伺います。
秋津学氏: 株式アナリストとして、株式チャートを研究する株道場『積乱雲』を主宰しています。苦労をしても初級レベルを脱出できない、売買ポイントを見逃してしまう、心理的な弱点が邪魔をする……等々、さまざまな問題に苦しむ投資家の皆さんが暗夜の灯を求め研究会に参加されています。掲示板を利用したカジュアルな株研究会ですから女性はもとより、熱心な会員が集まり、同じテキストを使って互いに研鑽されるのを私がお手伝いするのがこの会の趣旨です。
さらに大学院生、研究者時代に培った分析力で、国際情勢を見極めながら、会員と一般の方にレポートを発信しています。会員の使用テキストは、多数の電子書籍化で対応し、その一部はアマゾンとDLマーケットで発売しています。また会員プレミアムのe学習による特別個人指導は株式投資力もパワーアップに結果しています。これまでは学者という全く別の道を歩んでいましたが、今、過去の点と点が私の中ではうまく一本線に繋がって、この仕事に活かされていると思っています。
“私家版”漢字字典で文字を覚え、偉人伝で“自由”を目指す
秋津学氏: 奈良は薬師寺周辺の牧歌的な田舎で生まれ育ちました。お寺あり史跡ありという具合に、子どもの遊び場には不自由のない環境で、関西で言うところの「やんちゃ少年」で、何にでも興味を持ち、観察して分析ゴッコをしたがる子どもでした。ですから、小学校へ行くのが待ち遠しくて・・・。
小学3、4年生の頃に漢字に強く興味を持ちはじめ、とうとう自分で字典づくりをするまでになりました。そうすると読める漢字がどんどん増えていって、結果的にたくさんの本を手に取るようになりました。
特に好きだったのは偉人伝。子どもながらに、「未知の世界を、疑似体験できる。経験の先取りだ!」とわくわくしました。なにしろ偉人ですから、天才ですし、ユニークな人格・性格を持ち、歴史に名を残すほど波瀾万丈の人生を送ったわけで、少年はその生涯のダイナミズムに圧倒されたのですね。日本人の偉人伝は道徳臭が強く、西洋人の方が面白かった。ただ少年少女相手の偉人伝ですから、執筆者側にイデオロギー的な意図があったのでしょう。後年人物叢書などを読むと、野口英世や石川啄木のように人格破綻者的なエピソードが偉人伝には隠されていたことがわかりますね。一種の人心操作でしょうか。
偉人伝を読んで思ったことは、自由であるフリーランスの生き方の具体例があるということでした。サルトルも「人間は自由だというより、自由そのものである」と言いましたが、そういう自由な生き方に憧れるようになり、図書館に通っては、次から次へと全集を読込んでいましたね。
私が述べる自由は、責任に裏打ちされた自由のことです。権利を主張するときには、必ず義務を伴うという形と似ています。この自由は動物がもつ野性的な自由とは違って、理性的な思考と決断を可能にする力です。ただ小学生だった私には、まだまだ自由の概念は漠然としていましたが。
卑近な例を挙げますと、中学入学を控えて、自由でありたいと願う私の前にひとつの「自由を阻害させる事例」が立ちはだかります。
――それは……。
秋津学氏: 校則でした。当時の中学生男子の髪型は、押し並べて「丸刈り」。小学6年生の私は、髪を丸刈りにしないと入学できないと知り愕然としました。今にして思えばたいしたことはないのですが、当時はそれがまるで囚人みたいにひどく屈辱的で、「私の自由を侵すもの」に思えました。もしかすると理髪業界と文部省の癒着があったのでしょうか(笑)。それで「髪型が自由である」――この重要な点だけのために、中高一貫の私立である東大寺学園に進みました。進学校だから選んだつもりはないのですが、人は信用してくれません(笑)。
――ボーズ頭が嫌で、寺院系の学校へ(笑)。
秋津学氏: なにしろ中学1年から漢文の授業が始まります。しかも漢文担当が東大寺という名にふさわしい僧侶上司永慶先生でした。通称「かっちん」。授業では『唐詩選』の五言絶句や七言絶句を暗唱するのですが、出てくる漢字は、難しい漢字ばかり。漢字字典を作ったくらいでは、追いつかない・わからないの連続で、かなり焦りましたね。かっちんの授業の常態は教える姿勢に気合いが入っていました。今でも鮮明に覚えていますが、東大寺の年中行事であるお水取りの時期に、ご自身が不眠不休の修行をされているにもかかわらず、授業を一度も休むことなくいつものかっちんでした。その神々しい姿から私は責任感、信頼、尊敬などを学んだのでしょうね(参考:浦上義昭編『東大寺二百十五世別当上司永慶――華厳のこころ』)。
――“かっちん先生”はどんな本を読むように、指導されたのでしょうか。
秋津学氏: 中1の夏休みの課題図書では、中国史家・鳥山喜一さんの『黄河の水』です。旧漢字の洪水にたじろぎました。
漢字スパルタ時代というべき頃で「角川の漢和中辞典」が手放せず、いまだに私は当時の辞典を使っています。この体験がその後の自分の血肉となっています。続いて同じく鳥山先生の『支那・支那人』も興味深かったです。現在「支那」という単語をタブー視しているようですが、この本を読みますと「支那」という言葉を使ってもよい正当性を論じていて、マスコミの方と会ってこの正当性を説明すると「知らなかった」と言われて……残念なことですね。
殺風景な男子校の六年間は、大学受験勉強を除き読書三昧で、鹿の顔を見ながらのんびり過ごしていました。カミュ、カフカらの実存主義作品をかじったかと思うと、築城コンペティションを題材にした『富士に立つ影』という白井喬二の5巻ものの長編時代小説を読んだり、田中香涯(たなかこうがい)の医事怪奇モノのトンデモ本まで。そして大学受験期になると、尾崎士郎の『人生劇場』でしたね。舞台となった早稲田での生活模様や、「雄弁会」の存在に憧れ、そこで学ぼうと思うに至りました。極めて単細胞「であるんである」。「であるんである」は、早大創設者・大隈重信の演説の終わり方の癖です(笑)。
――いつも節目に本の存在が。
秋津学氏: 大学に入って初めて麻雀、しかも徹夜した時も、事前に三時間ほどハウツー本を読んで臨んだおかげで、「本当にビギナーか?」と、あきれられました。繰り返しますが、本は経験の先取りが出来る素晴らしいものです。もちろんその“疑似”体験だけを鵜呑みにしてしまうと、思わぬ落とし穴が待っているのですが……。
著書一覧『 秋津学 』