早稲田大学“法学部文芸科”
――『人生劇場』の舞台である、早稲田での学生生活はいかがでしたか。
秋津学氏: 社会の根幹である「秩序」、英語で言うところのORDER、その成立過程を学びたいと思い、法学部に進みました。ところが学生生活は、「人生劇場」に描かれていたようなことは起こらず、そして講義もあまりのイメージとの違いに愕然とし、初端から放心してしまいました。いわゆる「五月病」とは異なった病いにかかったようで。そこで「もう自分の勉強をしよう。そして本を読もう」と、所属する学部とは無関係の本ばかり、それも小説からノンフィクション、近現代から古典の哲学書まで、ありとあらゆる本を夢中で読み漁りました。今で言うところの文芸学科のようなことを、法学部の中で「秋津学独歩行」でした。もちろん学業成績は良いに越したことはないので、法律関連書も読み込みました。我妻の民法、宮沢の憲法、団藤の刑法といったメインストリームなどです。
自由を求めてフリーランス、そして英国へ
秋津学氏: そんな心持ちでしたから、卒業後はしばらく、出版社の外注スタッフとして糊口を凌いでいました。友人たちは皆就職していましたが、私の求めるのは「自由」。つまり私のキャリアはフリーランスから始まったのです。
主に教育関係の記事に携わっていましたが、原稿取り、編集、取材記者、インタビュアー、企画を立てて雑誌を作るプロデューサーなど、何でもやりました。少しずつ仕事が認められるようになり、生活も安定して来た頃、また自由への衝動が湧き起こります。実は一度、高校生のときアメリカ留学するプロジェクトに失敗したことがありますが、やはりもっと大きな視野に立って考えてみたかった想いを実現することになりました。
妻の父親が亡くなり、相続に関する内輪の揉め事が起こりました。妻は実母を子どもの頃に亡くしており、その後来た継母は、岳父が亡くなった途端に豹変したのです。妻は「世の中ってこんなものね」と達観していましたが、私はそうした無常観ではなく岳父の「自由意思」が尊重されなかった現実を腹立たしく思いました。
大学時代に相続法の基礎は身につけていましたので、速読が可能で、伊藤昌司教授の相続根拠から読み始めて判例渉猟まで必要と思われる関連書はすべて読み込みました。伊藤先生から読み始めたのは、むろん従来の判例を打ち破る根拠を見つけるためでした。夜中に独り専門書を熟読していると、自分が置かれた環境によって読む本のジャンルが変化するのだなあ、とつくづく思ったものです。そして担当弁護士と話を重ねるうちに、法の奥深さと面白さに再び魅了され、法を深く掘り下げようと英国行きを決心しました。
――「自由の虫」が騒ぎ出したと。
秋津学氏: 「どう思う?」と妻に聞くと、「もしかすると父はあなたに人生の課題を与えたのかしら?」と言って、即座に了解してくれました。とはいえ、やはり費用のこともありますので、懸命に仕事をして、留学の準備に取りかかりました。最初選んだのは法社会学と法哲学、これでシェフィールド大学ロー・スクールに入ります。いざ研究が始まりますと、英国人の学者や同僚から刺激を受け、興味と学問的深さが増します。犯罪学、心理学と関心が広がり、結局修士論文は「犯罪における自由意思」に関するもので、幸いなことに、修士課程の成績が優等(Distinction)でしたから、その後の博士課程の費用として英国から奨学金をいただき金銭的に随分助かりました。必死に勉強をした成果という意味で嬉しかったですね。
実はこの修士課程の間、友人と論文執筆に役立つ英単語辞書を作り、格調高い文章作成のノウハウを作りました。いずれアマゾンで電子ブック化したいと考えています。こんなふうに、当初の目標修士号、博士号を取得し、その後ジャーナリストを経て、バース大学、ロンドン・キングス・カレッジで研究を重ね、エッセイ発表も行いました。するとまた次に自分の何かを「進化」させたいと思うようになりました。
英国にはトータルで10年近く住んでいました。ロンドンから西156キロにあるバース市で暮らしていた初夏のある午後、市内を流れるエイボン川の遊覧船に乗って川面を見ながらそよ風に吹かれていた時の心地良さは、人生最良と言えるものでした。「これが自由である」と実感できたのです。
――秋津さんの原動力は。
秋津学氏: 株式相場分析で私はしばしば「キーワード思考術」を使うのですが、脳裏にキーワードを飛ばします。例えば自由、自由意思、意思決定、目的、手段、美徳、利益、習慣、情念、直観、モラルなどと、自由に。するとこうしたキーワードは私の頭の中で遊びつつ、私を動かそうとしてくるのです。たぶんこの思考の運動自体が心地よく、自由なのでしょうね。
一昔前に活躍した米国の社会哲学者にエリック・ホッファーという方がおられましたが、「魂の錬金術」を読むと、ページにあふれる彼のアフォリズム(箴言)の一片一片が踊り出す気分になります。彼はドイツの移民の子で、正規の学校教育を受けず沖仲仕をやりつつ独学した学者です。つまり社会の底辺に身をおき、肉体労働をしつつ読書と思索に打ち込んだ人です。私の愛読書で、時々それを読むことが私に原動力を与えてくれます。YouTubeで彼の古いインタビュー番組が、ちょっと劣化していますが見られますよ。